連句のたのしみ

連句のたのしみ【#1】林転石さんインタビュー

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みなさんは、連句についてどのくらいご存知でしょうか? 連句が俳句と関係していることは知ってるけど、でもどこで誰がやっているのか、実はぜんぜん知らない……という方向けの不定期連載をはじめてみます。 【#1】は、日本連句協会理事長の林転石さんに連句のキホンについておうかがいしました。


【#1】
連句の片鱗

林転石さん(日本連句協会理事長)インタビュー


◆連句の実作会について

――まずは、連句の実作会について教えてください。連句に参加するには、どこかの結社やグループに所属していなければいけないのでしょうか。会費はどのくらいかかるのでしょうか。

 会員に限定される場合とフリーで参加が可能な場合とがあります。月例会はおおむね千円前後です。

――連句というと、やはり時間がかかるイメージがあるのですが、一般にどのくらい時間をかけるものなのでしょうか。

 4時間から6時間ですね。

――連句に必要なものは何でしょうか。

 連句には、歳時記が必要です。

――「歳時記」は俳句でも必要ですが、俳句で用いられるものとはまた別物なのでしょうか。

 連句の歳時記は、四季を十七に分節しているものを使います。

春は「初春」「仲春」「晩春」春に共通するものとしての「三春」 

夏は「初夏」「仲夏」「晩夏」夏に共通するものとしての「三夏」

秋は「初秋」「仲秋」「晩秋」秋に共通するものとしての「三秋」

冬は「初冬」「仲冬」「晩冬」冬に共通するものとしての「三冬」

上記に新年を加えて十七の季となり、これを編纂したものです。例えば春の句を付ける場合、春と秋は普通、三句続けますが、その中で季節が後戻りしないようにその季語の位置を明示するためです。連句実作の場で使われている歳時記は、山本健吉『季寄せ』(文藝春秋)東明雅他『十七季』(三省堂)平井照敏『季寄せ』(NHK出版)などです。

――連句は何人くらいで巻くのが一般的なのですか。

 連句作成の場を「座」と呼びますが、一座当り4〜6名程度でしょうか。

――連句の作品は、どのように編集・公開されるのでしょうか。

 連句には、出された句を選択し治定する「(さばき)」といわれる役割があります。一言でいえば、「座の指導者」です。作品は(さばき)が校合し、後日配布および定期刊行物に掲載します。


◆実作会の始め方

――では、実際にどのように「実作会」が進行するのかを教えてください。今までの話だと、4名から6名が「座」をつくって、そのうちのひとりが「捌」というリーダー役となって座を仕切るわけですね。

 連句の開始は、

・発句を各自提出し互選で発句を定め、その発句を出した人が(さばき)(選者)を務める場合

・あらかじめ捌が決まっていてその人の発句を巻頭において始める場合

の2パターンがあります。発句(巻頭の長句5・7・5)は、当季でなければなりません。2月であれば「初春」となります。

――そのあたりは、俳句でもほとんど同じですね。2月の句会には、もちろん「暖か」のように「三春」の季語を出しても問題ありませんが、「梅」や「浅春」のような「初春」の季語が求められることも多いですから。当季であること以外に、連句だからこそ求められるものは何ですか。

 連句の座での発句の要件としては、

(1)連衆が会しているその時の季節を詠む

(2)連衆が相対している挨拶の気持ちを詠む

(3)連句一巻の出発点として連衆を率いる大将の気概を詠む

(4)できれば大景を詠む

などのことが求められます。また、原則として発句は切字を持つことが求められます。ただ、昨今は切字のない発句も目立っていますね。

――それはどういう理由によるものなのでしょうか。

 連句の句はすべて、その句の中に緊張感を作るものではなく前句あるいは付け句との間で緊張、対峙するものだからです。

――連句でも季語や季題という言い方は使うのですか?

 連句でも季語、季題という用語は使います。ただ連句の場合は季語は句の主題ではなく、季節を表す記号です。

――ちなみに、現代の俳句も、現代の連句の「発句」になれますか?

 ほとんどの俳句は発句になるものと考えます。ただし、あまりに個人的な感慨、事情、政治的な事柄を詠んだものは連衆が同意できない場合もあり、その一巻の方向を左右する懸念もあって避けるべきでしょう。


ラッパーのSHINGO☆西成を迎えての連句体験

◆実作会の進め方

――発句が決まったあとは、どのように進んでいくのでしょうか。

 前句(まえく)が長句であれば、短句(7・7)を、前句が短句であれば、長句を各人が作り捌に提出します。捌は、提出された付句(つけく)の中から優劣を評価して一句を選び、必要な場合は、その一部を補正して治定します(付句(つけく)の確定)。

――捌の方が「補正」つまり直しを入れることがあるんですね。俳句の座でも、たまに人の句を直したがる人がいますが、たいてい敬遠されます(笑)575と77という「句」が「連」なっていく連句には、いくつか形式があるんですよね。

 長句と短句を繰り返して一巻を巻き上げるのですが、「歌仙」は36句で一巻、「二十韻」は20句、「半歌仙」は18句となります。100句で一巻をつくりあげる「百韻」というのもありますが、これは古来の連歌の形式で、いまはほとんど行われません。

――句を「付けて」いくときのルールが、やはり俳句と比べると複雑だという印象があります。わたしのようなど素人でもわかるように、ルールの基本を教えていただけますか。

 季節は十七に分けられると最初に言いましたが、その季節(たとえば春または秋)の中では、季戻りをしません。「初春→晩春」は可ですが、「仲春→初春」は不可です。

――俳句では10句や20句の作品(連作)をつくるときに、同様のことが言われます。あれは連句のしきたりとつながっているわけですね。

 あとは、有季の句と無季の句があります。割合はだいたい「有季6:無季4」くらいでしょうか。

◆連句は「花」「月」「恋」が必須

 一巻の中に必ず「花」「月」「恋」を詠むというルールもあります。

――それは興味深いですね。それらを詠むタイミングは、何か決まりがあるのでしょうか。

 「花」にはこの場所で詠むという「定座(じょうざ)」があります。歌仙36句の場合は、発句から17句目(初折の花)と35句目(匂の花)です。ただし、一巻の展開の都合で繰り上げることがありますが、後に下げることはできません。

――「月」はいかがですか。

 「月」にも定座があります。歌仙36句の場合は発句から5句目、14句目あたり、29句目あたりです。「花」と違って、一巻の展開の都合で繰り上げることも後に下げることも許されます。ただし、秋の句の一連には必ず月を詠まなければなりません。

――では「恋」は?

 「恋」に定座はありません。ラブ・ストーリーは突然にやってきます。

――なるほど。

連句でも使える歳時記のひとつ『十七季』

◆同じ発想、同じ情緒の句を避ける

 あと大事なこととして、連句では出来るだけ「同じ発想、同じ情緒の句を避ける」ということがあります。

――少し具体的に教えていただけますか。これは俳句でも似たような指摘がなされることがあります。

 例えば、

  被布の子が手を振ってくる七五三

  万馬券当てゆるむ口もと 

というのはいけません。どちらも<嬉しい思いの等類>です。逆に、

  髪はやす間をしのぶ身のほど

  浮世の果はみな小町なり

のような例は、<悲しい思いの等類>となっています。

  どうしても名前が出ないマスク顔

  ワクティン接種ちょっとすかして  

というのは<時節がらみの等類>、

  鴎外が歩いたという無縁坂

  納涼の舟がゆらりと隅田川

は、<下町情緒の等類>です。

  ぼた山を登り下りしたあの頃は

  たけのこや稚き時の絵のすさび

のようなパターンは、<懐旧の等類>ですし、

  どっちかにスカイツリーは捻じれてる

  刀剣展平成館はきょう初日

というのは、<居所の等類>ですね。

――連句で最も大事なルールは、何なのでしょうか。ルール(式目)がいろいろありすぎて、逆に連句の本体が見えにくいような気がしていて。

 連衆心(風雅を愛し文芸を極めようとする心)の尊重を第一として、参加者の懇親、融和を心掛けることです。一巻を同じくすれば「従兄弟どうし」です。


◆主な連句グループ

――現在、活動している連句のグループには、どんなものがあるのでしょうか。

 主な連句のグループには、「あした」(東京)、「浅草連句会」(東京)、「伊勢原連句会」(神奈川)、「いなみ連句の会」(富山)、「神楽坂連句会」(東京)、「くさくき」(埼玉・北九州)、「ころも連句会」(愛知)、「さくら草連句会」(埼玉)、「獅子門」(岐阜)、「桃雅会」(愛知)、「都心連句会」(東京)、「猫蓑会」(東京)などがあり、また同人誌は「同人誌あした」「おたくさ」「くさくき」「猫蓑通信」などがあります。日本連句協会は、隔月で「会報連句」を発行しています。

――俳句だと全国各地で俳句大会が開催されていますが、連句はどうなのでしょうか。

 各地での主な連句大会としては、以下のようなものが挙げられます。基本的にオープン参加となります。

<4月> 茨城県連句大会(日立)

    えひめ俵口全国連句大会(松山)

<5月> 心敬忌連句大会(伊勢原)

    あつたの杜連句まつり(名古屋)

<6月> 宮城県連句大会(仙台)

         青時雨忌追善連句大会(東京)

<7月> 連句フェスタ宗祇水(岐阜)

<8月>    京都五山送り火連句大会(京都)

             くろしお連句大会(千葉)

<10月> 浪速の芭蕉祭(大阪)

             芭蕉ふるさと連句大会(伊賀上野)

      芭蕉忌明雅忌連句興行(東京)

             国民文化祭連句大会(国文祭は各都道府県にて持ち回り)

              さきたま連句大会(川口)

<11月> 裾野市宗祇記念連句大会(裾野)

<12月>  俳諧時雨忌連句張行(東京)

<4か月毎>日本連句協会リモート連句会


◆連句が近代で廃れたワケ

――江戸時代までさかんだった連句が廃れたのは、どのような理由があるのですか。

 俳諧(連句)が近代で廃れたのは、

(1)江戸後期から、ありきたりな表現におちいり(月並み調)、または賞金を出して付句を募集するという風潮がはびこって、文芸としての真摯さが褪せて俳諧が希薄化した

(2)一巻を巻き上げるのに4〜6時間を要するため、維新以降経済生活に忙しい市民の生活波長に合わなくなった

というふたつの理由が挙げられます。

――それがどのように復活してきたのか、経緯をざっくりと教えていただけますか。

 明治から昭和中期にかけ連句は絶滅寸前でしたがようやく昭和56年11月に連句愛好者による「連句懇話会」が発足し、これを基礎として昭和63年10月に国民文化祭参加を念頭に「連句協会」として形を変え、平成26年3月に「一般社団法人日本連句協会」と組織を改めました。

また、平成2年から国民文化祭にも正式参加し、以後毎年、地元の連句実行委員会への支援を行っています。

――日本連句協会は現在、どのくらいの規模なのですか。

 現在、日本連句協会の会員は600名、協会加盟の連句グループは200ほどです。加盟していない人を併せても連句愛好者は全国で3,000~5,000人ぐらいでしょうか。

――思っている以上に、連句に親しまれている方はたくさんいらっしゃるのですね。

 江戸期の俳諧の隆盛期にくらべれば寥々たるもので、現在の高齢化現象、趣味の多様化の影響かとも思います。

日本連句協会は、連句の普及と連句人口の拡大をめざして、デジタル連句会の開催など種々の活動を展開していく方針です。毎年、各地で開催される各会派の実作会にも参加、協力しこれをてことして開催地域を含めての連句復興を推進していきたいと考えています。

――最近は、オンラインの連句も増えてきたと聞いています。

 コロナ禍で対面実作が困難となったため、Zoomなどを使用するデジタル連句の会が急速に普及しています。対面の座における連句と基本的には変わりませんが、進行の部分でいくつかの変化がみられます。

――たとえば、どんな変化があるのですか。

 ひとつは、「連衆同志のやり取り、声掛けが出来にくい」ということ。これはデメリットです。しかし、「連衆がほかの連衆の付句をすべて見ることが出来るようになった」のはメリットですね。また、江戸期にあった執筆(しゅひつ)という、付句の誤字などの吟味、式目に合っているかをチェックする役割が復活して画面入力などをも行うようになってきました。


◆連句人にとっての芭蕉の言葉

――今年2022年、俳句界では小澤實さんが『芭蕉の風景』で読売文学賞を受賞されましたが、連句人にとっても芭蕉は大きな存在であり続けているのでしょうか。

 はい。芭蕉は、発句と俳諧について次のように述べています。「発句は門人のなか予に劣らぬ人多し。付合いは老吟の骨」(宇陀法師)。蕉門・森川許六はさらに、芭蕉から「眞の俳諧をつたふる時は、我が骨髄よりあぶらを出す。必ずあだに思ふ事なかれ」と聞いています(許六自讃)。

かく言うものの芭蕉は、発句-地発句(一句単独のもの)についても満々の自信を持っていたものと思います。

芭蕉の目指したものは言葉の付け合いの中に人間の本質を見出し、座の集団の文学の社会性を描写することだったのではないでしょうか。結句、付け合いの文学(=俳諧)の中で人間同士の紐帯を取り結ぶことにより、その衝突と融合のなかからから人間性の発現をさぐり、世態諷交のフェーズにおいて、彼は人間の本質を剔抉しようとしたのではないかと私は思っております。

(了)


【今回、お話をうかがった連句人】
林転石(はやし・てんせき)さん
1971年、在学中に東明雅に連句について師事。2000年、連句結社「猫蓑会」入会。2016年、日本連句協会理事。2019年より東京都調布市の「アカデミー愛とぴあ」の連句入門講座にて講師(現在も継続)。2021年、日本連句協会理事長に就任。

【日本連句協会】
1981年11 月、俳句文学館において設立された「連句懇話会」を前身とし、1988年に改称。2014年に一般社団法人日本連句協会へ移行し、全国各地の連句復興の推進を行っている。

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