笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第6回】2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ


【第6回】
母の名を継ぐ者
(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)


競馬の世界では血統が大きな意味を持つ。それはつまり、競走馬は血統から逃れられない宿命であるということ。親が優秀であれば高値で取引され、自身の活躍は親の名と共に語られる。私も「父ステイゴールド」の馬を応援し続けている。ステイゴールドが好きという理由でその子ども全員を応援するのは、実は結構宗教めいているのかもしれない。一頭一頭、違う命、違う生き方をしているのに。競走馬は血統という呪縛から逃れることが出来ないとも言えるし、しかしその血統こそが競馬の醍醐味だとも思う。

2019年フェブラリーステークスにて。前年の優勝馬ノンコノユメの写真が飾られている

2018年フェブラリーステークスを制したノンコノユメという馬がいる。愛らしい名前から間違われることも多いが、(去勢手術をしてせん馬となった)オスである。母の名はノンコ。つまりノンコノユメは「母の夢」として名付けられたのだ。母ノンコは中央競馬で3勝したのみでいわゆる名牝ではないかもしれないが、だからこそ子どもにかける周囲の思いは強かったのかもしれない。

母の、みんなの夢を託されたノンコノユメは3歳時に重賞3連勝を飾り、将来を大いに期待されていた。しかしそこから2年以上、ノンコノユメが勝利を手にすることはなかった。その間、関係者は様々な手を尽くした。去勢手術を行ったり、リフレッシュ休養を入れたり。そして2018年根岸ステークスでようやく復活の勝利を収め、G1フェブラリーステークスへの出走を果たす。

最終コーナーではまだ最後方にいたノンコノユメ。しかし、みるみるうちに前の馬たちを追い抜いていく。先頭に立つか、立たないかというゴール前の激しい追い比べ。一瞬、力を緩めたようにも見えたノンコノユメだったが、再び振り絞る。そして見事1着でゴール、ダート界の頂点へと上り詰める。ノンコの夢が、みんなの夢が叶った瞬間だった。

春風や母の自慢として生きん  吉田林檎

はじめてこの句と出会った時、母の自慢として生きようと思うことが正直わからなかった。母という存在から逃れられないまま生きるように思えたのだ。しかし、違う。「春風」なのである。掲句の思いに至るまでには長い年月がかかるかもしれない。けれど、ふっと自然とそう思える日が訪れた喜びはまさに「春風」そのものなのだ。母の自慢として生きること。それは母への恩返しでもあり、許しであると私が気づけたのは季語「春風」のおかげである。

母の名「ノンコ」を受け継ぎ、母の夢として走り続けたノンコノユメ。ノンコノユメは間違いなく母ノンコの自慢だろう。フェブラリーステークスを制したから? たしかにそうかもしれない。けれど、血を継いで走り続けてくれているだけで、この世に誰の力も借りずたった一頭で立ち上がったという事実だけで充分なのではないだろうか。ノンコノユメが競馬という世界で結果を残すことが母ノンコの本当の夢だとは思えない。それは私が母という立場を得て、思うことでもある。血の呪縛とは、決して解けない絆。それは馬も人間も変わらないのかもしれない。


【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。


【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】

【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)


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