【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#16

【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#16


管理人引っ越しのため、しばしお休みをいただきましたが、今月よりいよいよ再開です(お待たせいたしました!)。今月のお題は、西東三鬼の〈露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す〉。鈴木晴香さん・鈴木美紀子さん・服部崇さんの御三方にご回答いただきました。


【2022年10月のお題】


【作者について】
西東三鬼(1900-1962)は1925年、シンガポールに渡って歯科医院を開業。30代の「中年」になってから俳句をはじめたこと、もともとダンスや乗馬など「ハイカラ」な趣味を持っていたことなどから、俳句の上でも異彩を放つ存在に。最も有名な〈水枕ガバリと寒い海がある〉は初期の作。戦後は、山口誓子主宰の俳誌『天狼』創刊に参加。一時は雑誌『俳句』(角川書店)の編集長も務めた。1993年、三鬼を生んだ津山市は「西東三鬼賞」を設立。

*三鬼についてもっと知りたい方はこちら。
俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第13回】神戸と西東三鬼


【ミニ解説】

 歌人の小池光さんに、こんな一首があるそうです。

  柘榴の実うちおとしたる露人某そののち()きしことうたがはず

 俳句に嗜みがあれば、「露人某」とはほかでもない、西東三鬼の隣人であった「露人ワシコフ」であることは一瞬でわかります。三鬼は、なんだか恐ろしい名前ですが、実のところは「サンキュー」に由来しているらしく、俳句でモダンな作家といえば、まず名前があがるのが、このひとです。

 十七音しかない俳句では、上五の字余りがもっとも許容されやすい傾向にあります。たとえば、虚子の〈凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり〉は、とてつもない字余りに見えますが、後半は「七・五」が保たれているので、収まるところに収まった感じがしないでもありません。

 しかし「露人ワシコフ」は、字余りなんてもうどうでもよくなるほど、強烈なインパクトを残します。「ワシ」のあたりも強そうだし、ロシア系の名前に多い「コフ」もそう。きっと屈強な体つきをしているワシコフが、異様なテンションで柘榴を撃ち落としている。隣人にそんな人がいたら、やや恐怖ですね。

 三鬼によれば、白系ロシア人の彼には、若い日本人の妻がいたが、結核にかかって亡くなったとのこと。年齢は五十六、七歳で、「赤ら顔の肥満」であるらしい。

「ある朝、隣人は長いサオを持ち出し異様な叫びと共に手当り次第にザクロをたたき落していた。隣人のこの仕業は、死んだ女の思い出のザクロがいまいましいからか、肺病の女から解放された歓喜か、単に食いたいからか、私には判断がつきかねたのである。」

 「つきかねたのである」ってけっこう冷静に書いてますけど、まさに目の前で発狂寸前のワシコフを見ていたら、恐ろしくなって逃げたくなるのが普通でしょう。それをどことなく冷静に観察している三鬼。身勝手な妄想を俳句のなかに書き込むことはせず、「叫びて打ち落す」と客観的な出来事だけを記すことで、読者を妄想のなかに引き込みます。

 冒頭の歌では、小池光さんが「そののち()きしことうたがはず」という想像まで踏み込んで書いているところに、俳句との発想の違いを感じずにはいられません。ワシコフは、昼からきっとウォッカを飲んで赤ら顔をしているかもしれない。精神を病んで幻覚が見えているかもしれない。そうした「かもしれない」を俳句で描くのは、なかなかに困難です。

 それに、こんな人間の狂気じみた瞬間は、一般に季語を含む俳句では、やはり描かれにくかった。三鬼の関心はあきらかに「自然」よりも「人間」にあり、「正常」よりも「異常」にあります。それは間違いありません。

 山本健吉は、かつて名著『現代俳句』のなかで、三鬼の句に青春性や抒情性が欠落していることを「中年の文学」あるいは「老境の文学」という言葉でまとめあげ、さらには「絶望の文学」とも「虚無の文学」とも呼びました。そう思うと、三鬼が「そののち()きしことうたがはず」と考えることは、やはりなかったでしょう。にもかかわらず「歌」として、三鬼の無表情を詠むことは、はたして可能なのでしょうか?



ミスター・ビーン。中学校の理科の授業で初めて観て(理科とはまったく関係がなかったが)、それからずっと好きだった。

夜、ミスター・ビーンがベッドに入る。テディベアと一緒に本を読んでいるうちにだんだん眠たくなってくる。テディ、おやすみ。その前に天井の電気を消さなければならない。さて、どうするか。ミスター・ビーンは、ベッド横のキャビネットから拳銃を取り出し、電球を撃ち落とすのである。心配はいらない。替えの電球はいくらでもある。

打つ撃つ討つ伐つ射つ討つ射つ撲つ拍つ搏つ、あるいは鬱。私のパソコンで「うつ」とうつと、うつがたくさん出てくる。私だったら、柘榴は「撃」ちたい。宝石のような真っ赤な粒が詰まっている。それが壊れてしまうのを見たいのだ。 ミスター・ビーンは、壊れた電球を見て安心して眠りについた。私は壊れた石榴を見てどうするのだろう。やっぱり眠ってしまうのか。

(鈴木晴香)



ひとには、良かれ悪しかれ、どこの国に生まれたかがついて回る。特に海外に住む者にとってはそれがより強く意識されることになる。

ワシコフはロシア人(当時はソ連人)であることを背負わされた。彼はたんにビジネスのために日本に滞在していたのかもしれないが、その一挙手一投足はロシアを体現していると受け取られてしまうことになる。読者はこのときのおそらく一時的に発せられた狂気をロシアのナショナリティーと結びつけて考えてしまわないように注意しなければならない。

2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領はウクライナへの侵攻を開始した。その後のウクライナ情勢は目を覆いたくなるような悲惨な事態となっていった。いったん開始された戦闘状態は終結するきっかけを掴めないまま、両国における人的被害は膨らみ続けている。こうした事態が生じたことについては一般のロシア人が悪いわけではない。ましてや露人ワシコフになんの責任もない。

(服部崇)



たしか、小学4年生のときでした。朝、いつものように登校し教室へ入ると、〈それ〉がわたしの机の上に無造作に置かれていました。〈それ〉をはじめて見るわたしはその独特のビジュアルに息をのみました。拳大の〈それ〉には痛々しい裂け目があり、そこからのぞく血の色をした数多の粒の生々しさは、まるで怒りの感情そのもののように思えたからです。いったいこんな得体の知れないものを誰が何のために此処へ置いていったのだろう。こんなにもグロテスクな形と色をわたしは目にしたことがなく、他のクラスメイトも気味悪がって触れようとはしませんでした。

そんな中でチカちゃんという子が不意に〈それ〉の裂け目から赤黒い一粒をつまんで口に含み、「すっぱあい。みんなも食べてみなよ」と無邪気に言い放ったのです。普段はおとなしいチカちゃんの思いがけない行動にわたしやクラスメイト達は驚くばかり。そうしている間にも一粒、また一粒と艶めく赤黒い粒を頬張ってゆくチカちゃん。何故だかそのたびにチカちゃんの身体に強い魔力が宿ってゆくようでわたしの胸はざわつきます。やがて始業のベルが鳴り、教室に入って来た担任の先生から〈それ〉は柘榴という植物の実だと教えられました。正体が分かってしまえば、〈それ〉が持っていた妖しい魔力は嘘のように消え去り、ゴミ箱に捨てられる〈それ〉を見てもなんの感情も湧きませんでした。

それでも、数週間後わたしは再び胸をざわつかせることになるのです。あのチカちゃんがクラスの女子の中で誰よりも早く初潮を迎えたらしいという噂を聞いて。秋になると、ふと思います。もしもあのとき〈それ〉が「産む性」や「子孫繫栄」の象徴だということを知っていたのなら、チカちゃんは血の色に濡れた柘榴の実を口にしたのだろうか、それとも…….。 

(鈴木美紀子)


【今月、ご協力いただいた歌人のみなさま!】

◆鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京生まれ。慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業。塔短歌会所属。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに短歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)Readin’ Writin’ BOOKSTOREにて短歌教室を毎月開催。第2歌集『心がめあて』(左右社)が発売中!
Twitter:@UsagiHaru


◆服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集に『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)
Twitter:@TakashiHattori0

◆鈴木美紀子(すずき・みきこ)
1963年生まれ。東京出身。短歌結社「未来」所属。同人誌「まろにゑ」、別人誌「扉のない鍵」に参加。2017年に第1歌集『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@smiki19631


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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