神保町に銀漢亭があったころ【第49回】岸本尚毅

「銀漢亭」について

岸本尚毅(「天為」「秀」同人)

私はいわゆる馴染みの店というものを持つことが殆どなかった。大学生の頃に流行っていた高橋留美子の『めぞん一刻』という漫画では、主人公とその周辺の人々が集まる喫茶店(「ま・めぞん」)や居酒屋(「豆蔵」)があって、そこでの人々の会話がじつに楽しそうだった。

私の場合、そのうち馴染みの店が出来るだろうと思っているうちにいつしか歳月が経ってしまったのである。「馴染みの店」の定義も判然としないが、店主がこちらの顔と名前を覚えていて、店に入ると「久しぶり、元気だった」というやりとりがある、そんな店を想像する。若い頃は辛うじて、歌舞伎町の「胡桃」がそうだった。そこはいろいろな俳人が来る店で、ママさんも俳人だった(俳人として活躍中の好井由江さん。句集も何冊も出されている)。

もう一軒が「銀漢亭」である。出不精な私は「胡桃」も「銀漢亭」も一年に一度行くか行かないかだから、ほとんど客のうちに入らない。それでも「銀漢亭」が存在すること自体が、何となく私の気分を和ませてくれたのである。苦労人の伊藤伊那男さんが老若の俳人たちと交す会話は、その場にいなくても、想像するだけで楽しい。私が「銀漢亭」から蒙った恩恵の一つは、そこで坊城俊樹氏と親しく話せたことだ。虚子直系の御曹司の一人で「世が世なら」の坊城さんの個性に触れることが出来たのは貴重な経験であった。

具体的に何事かがあったわけでもないが、私より年齢的に一回り以上先輩の伊那男さんの粘り強い生き方は、後輩を勇気づけてくれるものである。私自身は還暦を機に長年の会社勤めを辞することにした。居酒屋を始めるわけでもないが、六十五歳定年の世に還暦で職を辞することは小心な私にとって大英断である。人の真似をする気はないが、俳壇の諸先輩の身の処し方は何となく耳に入っていて、それが諸事に優柔不断な私の背中を押してくれるのである。そんな意味でも伊那男さんは私にとって「重要人物」である。

【執筆者プロフィール】
岸本尚毅(きしもと・なおき)
1961年生まれ。「天為」「秀」同人。


horikiri