【連載】新しい短歌をさがして【9】服部崇


【連載】
新しい短歌をさがして
【9】

服部崇
(「心の花」同人)


毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。


多言語歌集の試み

紺野万里『雪  yuki  Snow  Sniegs  C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)が届いた。日本語、英語、ラトビア語、ロシア語の「4言語歌集」である。紺野は、歌集『雪とラトビア*蒼のかなたに』(短歌出版社, 2015)から200首を選び、短歌に日本語の発音(アルファベット表記)、英語訳、ラトビア語、ロシア語訳を付けた。英語訳はオーストラリアのAmelia Fielden氏、ラトビア語、ロシア語訳はEdvins Raups氏らの協力を得ている。

以下では、同歌集から何首か紹介したい。

竹であり竹でなきもの一管の笛はふいに風をいざなふ

take de ari
take de naki mono
ikkan no
fue wa fui ni
kaze o izanau

this flute pipe
that is bamboo, yet
not bamboo,
suddenly
beckons the wind

šī flauta no
bambusa tomēr
nav bambuss;
un piepeši
tā pamāj vējam

歌集ではこのあとにロシア語訳が続くがここでは省略する。日本語の発音はアルファベット表記のイタリック体、英語訳、ラトビア語訳は小文字で表記してある。笛は竹であり竹でないという不思議な状態を扱う一首。笛と竹と風は親和性がある。

いにしへに氷河の運びこし岩をいまペドバーレの草が抱きぬ

inishie ni
hyooga no hakobi
koshi iwa o
ima pedobaare no
kusa ga idakinu

these rocks
which long ago were brought
by a glacier
are now wrapped around
by Pedvāle grass

šos akmeņus,
kurus pirms daudziem, daudziem gadiem
atnesa ledāji,
šodiem ieskauj
Pedvāles zāle

ラトビア語は知らないが、ラトビア語の表記をゆっくりとたどるとき、短歌(tanka)は祈りであるという感慨を持った。ラトビアにはペドバーレ野外美術館と呼ばれる場所があるようだ。かつて氷河が運んできだ岩を草が覆っている。

樹はしづか静かに人を拒みをり人を拒みて枯れてゆくなり

ki wa sizuka
sizuka ni hito o
kobami ori
hito o kobamite
karete yukunari

the trees are
quietly, silently,
resisting man,
and in resisting man
they are withering

koki
mierīgi, klusi
turas pretī cilvēkam
un, turoties pretī,
iznīkst

樹を見て人を拒んでいると作者は感じている。人を拒み枯れてゆく樹という把握が厳しい自然を思わせる。

さまざまな言語による短歌(tanka)の可能性を考える。日本語の短歌は他の言語に翻訳されたときどのように変容するのか。本歌集が行った英語、ラトビア語、ロシア語訳という試みは日本語表記による日本語の短歌に対しても新たな視線を向けるきっかけになるように思われる。

本歌集はラトビアでの出版で日本国内での販売はないという。ラトビアでの取り扱い店についてはtalkabooksをインターネットでご覧ください。https://www.talka.lv


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。

Twitter:@TakashiHattori0

挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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