【春の季語=初春〜晩春(2月〜4月)】蝶

「蝶」の一語で春の季語になります。のちに紹介するさまざまな先例に支えられ、華憐さ、春のよろこび、夢・幻想の世界に誘うあやしさなど、広く豊かなイメージを持っています。

蝶にはいくつかの偉大な先例があります。「蝶々蝶々菜の葉に止れ/菜の葉に飽たら桜に遊べ」にはじまる唱歌(野村秋足作詞)。また、夢で蝶になったのか、蝶の夢として自分があるのか分からないとする荘子の「胡蝶の夢」。さらに、安西冬衛の名高い詩

  春
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた

は、「てふてふ」と「韃靼海峡」のイメージの重なりが美しいです。また、ジュール・ルナール『博物誌』には

二つ折りの恋文が、花の番地を捜している(岸田國士訳)

という機智に富んだ短詩があります。俳句においては「蝶々のもの食ふ音の静かさよ」(高浜虚子)、「方丈の大庇より春の蝶」(高野素十)などが有名です(後者は「蝶」に「春の」をわざわざつけた句としても有名であり、かつきわめて例外的です)。


【蝶(上五)】
蝶の飛ばかり野中の日かげ哉 松尾芭蕉
蝶々のもの食ふ音の静かさよ 高浜虚子
蝶になる途中九億九光年 橋閒石
蝶々のあしおと残る山の空 中尾寿美子
黄蝶ノ危機ノキ・ダム創ル鉄帽ノ黄 八木三日女
すうっと蝶ふうっと吐いて解く黙禱 中村晋
蝶ふれしところよりわれくづるるか 髙柳克弘 

【蝶(中七)】
山国の蝶を荒しと思はずや 高浜虚子
夢青し蝶肋間にひそみゐき 喜多青子
濛濛と数万の蝶見つつ斃る 佐藤鬼房
人体に蝶のあつまる涅槃かな 柿本多映
蝶われをばけものと見て過ぎゆけり 宗田安正
子抱への教師に蝶の身軽さよ 楠節子
林中に蝶の道ありハンモック 村上鞆彦
ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋 
白地図へ蝶は顎(あぎと)を響(な)らしゆく 九堂夜想
つかみゐし蝶がだんだん恐くなる 松永典子

【蝶(下五)】
方丈の大庇より春の蝶 高野素十
わが家の見えて日ねもす蝶の野良 佐藤念腹
詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり 久保田万太郎 
ペルシャより吹き流れたり蝶の紋 和田悟朗
音楽を降らしめよ夥しき蝶に 藤田湘子
美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目 
変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地 
漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に 関根誠子
山頂は人待つところ蝶生れ 津川絵理子 

【蝶(その他)】
蝶道や蝶に噎ぶがごとく行く 大石悦子
蝶の死を蝶が喜びゐる真昼 柿本多映
追ふ蝶と追はれる蝶の入れ替はる 岡田由季 

【ほかの季語と】
飛んでゐる蝶にいつより蜂の影 中西夕紀



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】



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