ハイクノミカタ

詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり 久保田万太郎【季語=蝶(春)】


詠みし句のそれぞれ蝶と()しにけり

久保田万太郎))


「いやあ、もう駄句ばかりで」。自分の俳句について謙遜と本音と相半ばするこんな言葉を日頃聞いたり、自分でも口にする。「儂の作品は全ていずれ劣らぬ名句じゃ!」と胸を張る人はまずいない(いるかもしれないが、幸いお目にかかったことがまだない)。自己評価はともかくとして、自分の句が可愛いということについては万人共通だろう。「自分の句はみな自分の子供だ」と断じる人もいる。優劣などない、自ら産み出した句はことごとく可愛いのだ、と。秀は衆なりに、劣は劣なりに。分かりますね。句会に出して誰も振り向いてくれなかった俳句を胸に抱きしめながら帰った夜は数えきれない。

掲句の蝶たちの中にもやはり(?)日の目を見ることのなかった句も混じっているのだろう。

「あまねく」などと十把一絡げではなく、「それぞれ」と言ったところが上手いというか芸というか。「それぞれ」と言われれば、私たちはほぼ自動的に「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」でも、「時計屋の時計春の夜どれがほんと」でも、「神田川祭の中をながれけり」でも、なんであれ万太郎の句を頭に思い描いてしまう。

とは言え、蝶となって万太郎を訪れるのは代表句ばかりではなく、句帳に書き留めただけで発表することのなかった句もあるだろう。むしろ、この句で万太郎が目を細めて見つめているのはそうした句たちなのかもしれない。

久保田万太郎の本業は小説と劇作で、俳句は「余技」と言っていたのは有名な話だが、また「かくし妻」とも呼んでいたそうだ。本宅を少し離れて身も心もくつろぎ、時には本音を零すことの出来る拠り処だった、と解釈していいだろうか。そのような場所で生み出された作品の数々が蝶となり万太郎の前で軽やかに戯れる。

そうだ、私たちも自分の句を人前では「出来損ない」などとへりくだったとしても、心の中では蝶よ花よと愛でてやりましょう。

『久保田万太郎句集 こでまり抄』ふらんす堂より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

>>〔82〕黒服の春暑き列上野出づ      飯田龍太
>>〔81〕自転車の片足大地春惜しむ     松下道臣

>>〔80〕春日差す俳句ポストに南京錠     本多遊子
>>〔79〕蜆汁神保町の灯が好きで       山崎祐子
>>〔78〕うららかや帽子の入る丸い箱     茅根知子
>>〔77〕春満月そは大いなる糖衣錠       金子敦
>>〔76〕夕空や日のあたりたる凧一つ     高野素十
>>〔75〕シャボン玉吹く何様のような顔     斉田仁
>>〔74〕鳥の恋漣の生れ続けたる                            中田尚子
>>〔73〕浅春の岸辺は龍の匂ひせる     対中いずみ
>>〔72〕猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流
>>〔71〕おやすみ
>>〔70〕雪掻きて今宵誘うてもらひけり    榎本好宏
>>〔69〕片手明るし手袋をまた失くし     相子智恵
>>〔68〕肩へはねて襟巻の端日に長し      原石鼎
>>〔67〕小鳥屋の前の小川の寒雀       鈴木鷹夫
>>〔66〕ゆげむりの中の御慶の気軽さよ   阿波野青畝
>>〔65〕イエスほど痩せてはをらず薬喰   亀田虎童子
>>〔64〕大氷柱折りドンペリを冷やしをり  木暮陶句郎
>>〔63〕うららかさどこか突抜け年の暮    細見綾子
>>〔62〕一年の颯と過ぎたる障子かな     下坂速穂
>>〔61〕みかんむくとき人の手のよく動く   若杉朋哉
>>〔60〕老人になるまで育ち初あられ     遠山陽子

>>〔59〕おやすみ
>>〔58〕天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部   加倉井秋を
>>〔57〕ビーフストロガノフと言へた爽やかに 守屋明俊
>>〔56〕犬の仔のすぐにおとなや草の花    広渡敬雄
>>〔55〕秋天に雲一つなき仮病の日      澤田和弥
>>〔54〕紐の束を括るも紐や蚯蚓鳴く      澤好摩
>>〔53〕鴨が来て池が愉快となりしかな    坊城俊樹
>>〔52〕どの絵にも前のめりして秋の人    藤本夕衣
>>〔51〕少女期は何かたべ萩を素通りに    富安風生
>>〔50〕悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし  波多野爽波
>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平

>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
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>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
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>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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