猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ
雪我狂流
亀には発声器官がないので実際には鳴かない、というか鳴けないらしいが、甲羅干しの途中で喉をぐうんと反らしたりするのを見ると、鳴いてもおかしくないと思う。俊敏さとは対極のイメージが根付いている亀だけに、鳴く姿ものんびりとしたなかにちょっぴり哀れさもあり、そこが俳諧味として好まれるのだろう。歳時記によると、藤原為家の「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」に由来する季語だそうで、手元の角川文庫では更に「春になると亀の雄が雌を慕って鳴くという」と解説が加わっている。なるほど春は多くの生き物にとって恋と生殖の季節。そう考えると為家の一首も恋の情趣を感じなくもない。が、和歌の俳句は和歌的情緒よりも虚構性を楽しむ句が多いようだ。
猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ
虚構性という点では、こんな句を読むと「亀鳴く」という季語と民話は相性がいいのだなと納得する。相性がいいのだが、掲句はどこか肩透かしを喰らわせるところがある。
『猿蟹合戦』を12文字で述べよ、と言われたら確かに「猿負けて蟹勝つ話」ではある。そりゃそうなんだけれど、狡猾な猿に親兄弟を殺害された子蟹が、栗、蜂、牛糞、臼の助太刀を得てあっぱれ敵を討つまでのドラマがすっ飛ばされている。悪行を重ねた猿には死の報いが待っているという因果応報の教訓の欠片も見当たらない。身も蓋もない結末だけを放り出されれば、負けた猿が可愛そうで肩入れしたくすらなる。この句の面白さの一つはそこにあるのだろう。昔話で馴染みの価値観が覆る、とまではいかなくとも揺さぶられる感じ。「ざまあみろ」と鋏を高々と掲げる蟹さんチームは本当に正義なのだろうか?
もちろんそんなことを考えずに、猿蟹合戦のおはなしを亀が聞いているという童話的な世界を想像するだけでも楽しい。おじいさん亀を囲む幼い亀たちがおのおの首を伸ばして感想を言い合っている、なんて可愛らしくてのどかな景色だ。
でもやはり、この素っ気ない句は一本の毒針を呑んで光っているのだと思う。
(『雪我狂流句集 春のパンまつり』2012年 私家版より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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