ハイクノミカタ

鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白 村上鞆彦【季語=鶺鴒(秋)】


鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白

村上鞆彦


ヤマモトさんは私がいちばん使うスーパーマーケットのレジ係だ。

すこし前のこと。レジを待つ行列が長くなりかけていた。凡そこういう時に限って、勘定中の客がいつまでも財布の中の小銭を探ったり、その脇から会計を済ませた人が「ねぇ、やっぱりレジ袋をもう1枚下さる?」などと口を挟んだりするものだ。ちっ。通勤帰りの客で混むと分かっている時間帯にスーパーに来てしまった自分を呪い始めた頃、エプロン姿の男性が閉めていた隣のカウンターをてきぱきと片付けて「次のお客様、どうぞ」と爽やかにこちらを振り向いた。導かれるままにレジを移り、買物籠を置く。

お待たせ致しました、という挨拶は満更おざなりでもなさそう。目を上げると、青年である。背が高い。エプロンに「ヤマモト」と名札。どちらかと言えば痩せ体型だが、顔立ちがややふっくらと見えるのは色白だからだろうか。さり気なく観察している間にも、ヤマモトさんは柔和な笑顔を崩さずに、商品をバーコードリーダーに通して行く。肘まで捲り上げたシャツから出ている腕もまた白い。右手で商品を籠から取り出す。ピッ。リーダーが音を立てる。163えーん。明るく値段を読み上げながら左手で会計用の籠に移す。右手からピッ、左手へ。右手からピッ、左手へ。きれいな腕の軽やかで淀みのない作業を眺めるうちに気づいたら

 鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白

と心の中で呟いていた。

スーパーマーケットのレジで愉快な思いをするなんて滅多にないし、いかにも愛想の良い青年の眼鏡の奥の細い目が本当に笑っていたのか確かめたくて、幾たびか同じくらいの時刻に出かけた。ヤマモトさんはいたけれど、そうそうタイミングよく彼のレジに並べるものではない。「お会計はヤマモトさんにお願いしたいの」と我儘な指名がかなうほどの上客でもない。きびきび働く後ろ姿を恨めしく見つめるばかりであった。そうこうするうちにヤマモトさんを見かけなくなった。ひと夏の学生アルバイトだったのだろう。

買ったものをバッグに詰めて自動ドアを出ると、この店を餌場にしているらしくすっかり人慣れした鶺鴒がいつものようにいた。鶺鴒は灰色の尾をときどき道に打ちつけながら警備員の脇を通り過ぎ、隣のパチンコ店まで歩いて行った。そんなけふのゆふぐれ。

『遅日の岸』ふらんす堂 2015年

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
>>〔45〕目薬に涼しく秋を知る日かな     内藤鳴雪
>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
>>〔43〕暑き夜の惡魔が頤をはづしゐる    佐藤鬼房
>>〔42〕何故逃げる儂の箸より冷奴     豊田すずめ
>>〔41〕ひそひそと四万六千日の猫      菊田一平
>>〔40〕香水や時折キッとなる婦人      京極杞陽
>>〔39〕せんそうのもうもどれない蟬の穴   豊里友行
>>〔38〕父の日やある決意してタイ結ぶ    清水凡亭
>>〔37〕じゆてーむと呟いてゐる鯰かな    仙田洋子
>>〔36〕蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり    日原傳
>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
>>〔33〕吸呑の中の新茶の色なりし       梅田津
>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
>>〔21〕あしかびの沖に御堂の潤み立つ   しなだしん

>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
>>〔19〕パンクスに両親のゐる春炬燵    五十嵐筝曲
>>〔18〕温室の空がきれいに区切らるる    飯田 晴
>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
>>〔16〕宝くじ熊が二階に来る確率      岡野泰輔
>>〔15〕悲しみもありて松過ぎゆくままに   星野立子
>>〔14〕初春の船に届ける祝酒        中西夕紀
>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
>>〔12〕着ぶくれて田へ行くだけの橋見ゆる  吉田穂津
>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
>>〔10〕略図よく書けて忘年会だより    能村登四郎
>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


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