ハイクノミカタ

折々己れにおどろく噴水時の中 中村草田男【季語=噴水(夏)】


折々己れにおどろく噴水時の中)

中村草田男

 草田男は第8句集『時機(とき)』に収録された昭和37年の作品以降、句集として作品を発表し、世に問うことはなかった。むしろ、草田男はそもそも句集刊行というものに消極的な態度であったと言わざるを得ない。というのも第7句集『美田』の跋において、「実は、第5句集『銀河依然』を発行した直後に、私は当時の主観的客観的な諸事情の上に立脚して、今後は永く句集の形のものを世に出し世に問うことを潔く打切ってしまい、ただ孜々と各月の実作だけに没頭し献身しつづけていこうとの決意を定めたのであった」と書いており、詩人草田男にとって、句集刊行による世の誉れ云々を求めず、あくまでも自身の求道的俳業の成就こそを求めていたことは明らかであろう。

 それでは、第5句集以降の句集刊行の原因はなんであったのか。第6句集『母郷行』、第7句集『美田』の刊行理由は、『美田』の跋で草田男自身が語っている。

 「第6句集は、その題名『母郷行』が暗示しているように、亡母の遺骨を故郷の地に無事に納め得た終始を詠んだ一連の作品を中心とする性質のものであって、私としては一種の『鎮魂歌』としてこの時期中にモニューメント的な句集に具現化して置くことが、これ亦絶対に必要であったのである」ということであり、生母の死が第6句集刊行のきっかけとなる。

 第7句集においては跋文中で、草田男が33年間勤めた成蹊大学を定年退職したことを告げ、これからいよいよ俳句の一本道に再出発していく意志を表明。「そのためには否応なしに自己の分身である実作品のありの儘の実姿を直視しつづけてゆくことが絶対に必要であることに心づいたのである。第6句集以後の作品は現在概数五千に達しているが、これだけでもを取り敢えず句集の形に纏めて、今言ったようにそれの実姿をつぶさに直視することが、現在の位点における私としては一種の責務であることに心づいた」とあり、第7句集刊行のきっかけは、職場の定年退職であり、己れの俳句道へ再出発するにおいての強い意志であった。

 それでは第8句集刊行の直接のきっかけはというと、これも同句集の跋文中に明らかであるように、草田男の妻直子の突然の死である。草田男の人生におけるたった一人の女性、生涯のたぐいなき伴侶であった妻直子は、昭和52年11月15日、高野山の南院の僧房にて脳出血で倒れ、同21日に帰らぬ人となった。それから3年後に上梓された第8句集『時機』は、妻直子へのひそかなレクイエムであり、草田男自身が自らの死との対面を再確認する意味を帯びている。

 そもそも句集名の「時機」という言葉自体、新約聖書の預言者ヨハネの「黙示録」を拠り所としており、草田男によれば「天地間の根本法則の経回(へめぐ)りの必然性を明示した言葉であり、具体的にはすべての存在者の終熄の必然性を明示している、つまり死を直示しているもの」であるとし、妻直子の死に遭遇したことによっての「根本的啓示の感銘にも直結している」。そして、「自己に与えられた生命そのものも亦、本来有限の必然(ことわり)の下にあることを念々に自覚しつづけてゆくことこそが、真に生きてゆくことの自覚の基本であることを、あらためて自覚するものである」とされる。

 前述の通り、第8句集以降の草田男の作品は主宰誌『萬緑』上での発表に留まり、その後の約20年に渡る草田男俳句の世界は、一般の人々からは遠ざかる結果となった。しかし、その晩年の5000句弱の作品の一端が遺句集『大虚鳥(おほをそどり)』として、全貌が『中村草田男全集第5巻』として草田男没後に収録され、真の文芸の道に専念した草田男の句業を垣間見ることが出来る。

 草田男の句は晩年になってもなお、類想類句を寄せ付けない多彩さと、一句を重層的に織りなす多面さで、自らの魂としての詩を詠みつづけている。それは、いわば腸詰め俳句と揶揄され、軽々と黙殺されて良い代物ではなく、むしろ一句一句をしっかりと読み解き、味わうべき性質のスケールと奥行をもっている。もちろんその鑑賞には、前回の「メランコリア」同様、読者側の丹念な研究とねんごろな努力が必要となり、いわば鑑賞のための訓練を要するであろうが、そこには草田男が生涯をかけて詠んだ己れの精神とユニークな詩世界、純度が高く文学的価値に優れた作品が見出されるだろう。

花柊「無き世」を「無き我」歩く音   草田男(「中村草田男全集 第5巻」より)

四季薔薇の(はて)平花(ひらばな)なりとても

笛の(しづく)振り切る孫もイースター

林檎(りんご)一顆撫でて孫曰ふ「はいつてる」

犬ふぐり一面恩寵溢るるの記

触れてみて信ずる(やから)夏陽炎

神父の竿に虹鱒躍り吾妻(あづま)笑みぬ

泉へ落ちで罪人堕涙顎伝ふ

青丹かがやく黴の群華と堕天使と

泰山木咲きて法王常に老ゆ

梅雨泥乾くも「十七歳は二度と来ない」

青蘆よ異郷にパスカル読む吾娘(あこ)

冬の(いのり)(もだ)し魚口うごく

泉辺までへ「我等が足を洗へ」の声

妻に(なら)ひて「天なる父」の名呼びて朱夏

初蜩(はつひぐらし)明日へ備へて身をば(きよ)

中指は人指さで雪中人へ迫る

 ところで晩年の草田男は、主宰誌「萬緑」の全国大会の俳話において、毎年「軽み」について言及しつづけている。その発端となったのが、昭和49年に発表された、評論家・山本健吉の評論「『軽み』の論——序説」である。

 この評論によって山本健吉は、「『軽み』とは、『さび』『しをり』などと同等な、美の範疇を示すだけの言葉ではない。それはより深く、人生に相亙る」として、「軽み」という一美的範疇を、芭蕉の根本本質へと発展させ、芭蕉文学の到達点としてだけでなく、人生論、生き方の問題あるいは生きる決意の問題として「軽み」というものを置いた。さらに、「漂泊と思郷と」(昭和52年)「重い俳句と軽い俳句」(同年)「『俳』と『詩』と」(昭和53年)「ウィットといのちと」(同年)等において、独自の軽み論を補強させていき、俳壇に衝撃を巻き起こしていった。

 それが当時の俳壇に「おもくれ」や思想性の軽視といった風潮を生む原因となったとも言えるが、草田男はこの山本健吉の「軽み」論に対する反論として、己が主宰誌の講演において、俳論を展開していくのである。

 それでは草田男の芭蕉論を見ていく前に、言わずと知れた俳句文芸の祖である松尾芭蕉という人物をおさらいしておきたい。

 芭蕉は正保元年、伊賀国の柘植(つげ)に生まれた。父は与左衛門といって士分であったが農に従っており、三子中の末子が芭蕉である。幼名を金作、後には甚七郎といったが、9歳の頃に、藩主藤堂家の嫡子(ちゃくし)良忠の近習となり、その頃に甚七郎を宗房と改めた。良忠とは頗る親密な主従関係だったという。俳諧において良忠は蟬吟と称し、北村季吟に師事しており、宗房(芭蕉)もおのずから蟬吟を通じて俳諧文学に(いざな)われていった。そんな中、宗房23歳の時に蟬吟が急逝した。宗房の衝撃は大きく、蟬吟の遺髪を高野山に納める役を果たした後は、無常の念を痛感し、短い一生を小藩に身を置くことが堪えられなかったのであろう、何度も退職を願い出たが許されず、ついにはその年の7月に、「雲と隔つ友かや雁の生き別れ」という一句を残し、主家を脱走するに到った。

 以後6年間は京にあって蟬吟の師でもあった北村季吟の元に俳諧および漢学その他の学問にも勉めたもののようであるが、細かいことは一切分からない。

 つづいて寛文12年、芭蕉29歳の折に江戸へ下り、しばらく世間一般の人々に宿をもとめ、元和元年に深川の六畳一間いわゆる芭蕉庵に入って、純粋に俳人の生活を開始するまでのおよそ9年間は「青春彷徨」を繰り返した時期であった。時に心の安定を求めては仏頂和尚の下に参禅し、時に実生活に追われては小吏となり、精神的にも実生活的にも苦悩が多い時期であったと想像される。

 芭蕉においても、いきなり独自の俳諧文学に目覚めたのではなく、貞門や談林の奔放な発想と詰屈な形の作品の影響下にあったが、天保の3年間を中心とする頃に、人間的体験と文芸的修練とを積むことにより、「さび(閑寂)」「わび」の理念を文芸のすすむべき道として自覚しはじめていった。そして、貞享元年、芭蕉41歳の「甲子吟行(野ざらし紀行)」という一種の試練的な旅によって、見事に芭蕉独自の詩世界を作り上げることに到った。

 これより没年にいたる10年間、芭蕉はほとんど旅を生活の主体と死、世俗の濁りを絶った純真な心の状態を以て大自然に触れることにより、自己のいのちをひたすら純化、深化することを求めつづけた。

 こうして芭蕉のいわば正風(蕉風)の文芸運動は全国を風靡し、多くの優れた弟子を擁し、世の誉れを一身にあつめることになった。

 芭蕉の吟行文は5つあるが、長途の旅は3回あり、前述の「甲子吟行(野ざらし紀行)」にはじまり、貞享4年の「芳野紀行(笈の小文)」を経て、元禄6年の「奥の細道」を頂点とする。また、蕉門の代表作品集は「七部集」と称えられ、「冬の日」「春の日」「曠野(あらの)」「ひさご」「猿蓑」「炭俵」「続猿蓑」がある。なかでも「猿蓑」こそは、「さび」の芸風の完成期を誇る金字塔であり、俳諧史上の最高峰であるとされている。

 さて、草田男の芭蕉論にもどるが、山本健吉の「軽み」論が発表された昭和49年からさかのぼる事32年前の、昭和17年の時点で草田男はすでに「芭蕉と現代」という一文において草田男独自の芭蕉論を評している。

 草田男はそこで、「能なしのねむたし我を行々子」「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」「何にこの師走の市に行くからす」の3句を例に挙げ、これらの句に接する際、「我々は芭蕉という独立した一個の人間の心の気息に直接に触れる思いがする」とし、この世に生を得ている存在、つまりは「人間」の意識にまで芭蕉の文芸の道は到達してしまったとしている。

 この傾向を草田男は「自我の発見」とし、芭蕉においては醒めきって意識された「人間」とその「自我」と、それを如何に生かし続けてゆくかが直接の課題となり、いわば「心の生活」と「肉体の生活」との両面における「近代の誕生」と言っていい諸問題が包含していることを指摘している。このことをもって草田男は、芭蕉の作品を「近代詩の名に値する真の意味での個性的な『たましいの抒情』」であるとし、日本文学史における近代詩の始まりは芭蕉であると断言する。

 この一文中では、「軽み」のことも取り上げており、草田男はその「軽み」について、『猿蓑』あたりを頂点としていわゆる「さび(閑寂)」の精神が、弟子たちの中で固定化し概念化されることを恐れ、「軽み」という「無心なるもの」への転化をはかることによって、蕉門の文芸運動に活路を見出そうとしたため、芭蕉は「軽み」の芸境の必要を唱えたと説く。

 そして草田男は、けれども人間芭蕉という個人の求道の精神は、そんなところを低徊していなかったと強く訴え、その証拠としてたとえば芭蕉辞世の句「旅に(やん)んで夢は枯野をかけ(めぐ)る」の中に、「およそ『軽み』とは縁遠い、あらゆる顧慮を打捨てた、執着と解脱との、二つの力の必死な争いの相」を見ていると挙げ、「軽み」の一語で芭蕉の晩年を括ろうとする立場に対してはっきりと非難している。

 つまりは、「軽み」とは一つの金字塔を成した『猿蓑』の「さび(閑寂)」の精神が意識的観念として固定化されることを嫌っての方向転換としての唱導であって、辞世句そのものが「彼の生命と共に、『造化帰一』の究極の理想、究極の解決への絶えざる精神の途上に於いてたおれたことを物語っている」としたのである。

 以上が主な草田男による芭蕉論であるが、「軽み」を一つの頂点としてそれを人間全般の人生論にまで発展させた山本健吉の論とは折り合いがつくはずもなかった。そして何より山本健吉の「軽み」論は、たましいの詩の深化という草田男生涯の営為を抹殺しかねない文学観であり、全身全霊をもって山本健吉に訴えかけ、この国の文芸の根本問題として、日本人の人間観、人生観全体にかかわる主体の問題として、草田男は切々と問いかけていたのである。

 昭和56年、草田男の生涯における最後の講演が、都ホテル東京で開催された草田男傘寿を祝う全国大会にて行われたが、そこでも草田男はこの「軽み」について語っている。

 その講演で草田男は、国木田独歩の『牛肉と馬鈴薯』という短編小説を引き合いに出す。その短編小説は、ヨーロッパのサロンのようなところに当時の文学青年や若い文学者が集まって、「自分は北海道の自由な天地に馬鈴薯をつくり、それを食べて暮らすという理想を追求する理想家型だ」だとか、「私は馬鈴薯なんかより滋養のある牛肉をたべていこうという実際家型だ」だとか、自分たちの人生の将来を語り合うという内容であるが、草田男はその中で、自身が真から心が打たれたことに、独歩をモデルにした人物のセリフを挙げる。

 その人物は作中に、「自分は馬鈴薯を食べて自由を享受しようとするような理想家でもないし、そうかといって、酒を飲んで、うまい牛肉を食おうというリアリストでもない。私が人生でいちばん追求するのは、リアリズムの権化みたいな生きようをするか、理想家型のエッセンスみたいな生きようをするというのじゃなくて、この世の中の底に潜んでいる不思議な、われわれのいのちを脅かすというか驚かすような、そういうことに目覚めてゆきたい。つぎつぎと人生の深い驚き・真実に目覚めて、たえずその深い感動を追ってゆきたいということです。つまり私が望むのは、魂が真から驚くという、生命が驚くという、それを追求してゆくんだ」と語る場面があり、草田男はこの「おどろき」こそが「われわれの心の感動をたえず目覚ましてくれる」とする。

 そして、草田男がどうしても「軽み」ということを肯定しがたい理由に、「やはり、驚きたいから」であるとし、「たえず、ほんとうの、この世に潜む力の前に、その事実の前に、真から魂が震えるという感動、これこそ詩の主さ、ポエム、ポエトリの重さだと感じます」と素直に吐露する。

 草田男はまた、詩文学とは「あったほうがいいけれども、あってもいいけれども、なければならない文学」であり、散文文学のように、存在そのものに忠実に、それを報告し、種々さまざまの事柄を知らすのではなく、詩文学のその根本には、「不思議でたまらないし怖ろしくてたまらない、その心の震えを打ち出すもの」があるとする。これは明らかに近年の、反感を感じさせないほどほどの想像力の刺戟と心の揺れようの楽しさを提唱するような文学に対しての反論であり、草田男は生涯最後の講演を以てしても、草田男が生涯をかけて貫いた真の詩文学としての理念を、我々に訴えかけてくれるのである。

 さて掲句であるが、これは草田男の死後の昭和58年の9月に発表されたいわば草田男の絶唱の句である。噴水が天に昇るかのように時折水勢が増し、水を噴出しているさまを「己れにおどろく」と表現しているのであろうが、前述の講演の通り「おどろき」とは詩人としての存在意義であり、「己れ」に「おどろく」とは、私にはどうしても、死というものに直面した抗いようのない生命存在(=己れ)に対しての「おどろき」であるのだろうと思えてならない。いつか死ぬ運命にある己れという有限で不安定な生命存在が、「時(=時機)」という無限な時空空間の中に存在するという自覚。すなわち詩人としての無常観の自覚を示していると思えてならないのである。そしてこの事こそが、『時機』の跋中に草田男が説いた「真に生きてゆくことの自覚の基本」であるのではなかろうか。

 そしてこの句の根底には、草田男による芭蕉論、ひいては草田男自身の人生論も包含しているであろう。少し長くなるが改めて草田男による松尾芭蕉のその人生論を引用してこの回を終わることにしたい。これは、芭蕉の事を論じながらも、草田男自身の人生論および俳論に通ずることは言うまでもない。

 「芭蕉の詩人としての一生も、その文業も、自己の生命の存在の自覚とその執着とから始まる。彼は生命の存在の真実におどろき、それに執着すればするほど、それが無常の嵐の前にさらされている不安から一刻ものがれることができなかった。しかも、彼は、当時の京阪の文人達のように感覚と官能との陶酔に埋没することによって、この不安を一時的に糊塗することはできなかった。自己の生命を、さらに大いなるなんらかの調和相の中に見出し把握するのでなければ、彼には真の意味での安心は恵まれなかったのだといえる。この救いの境地に到達することを究極の目的として、文業と人間としての生きる道とを一枚に重ねて、一歩一歩たどりつづけていったのが、彼の所謂『風雅の道』であった。しかも、それは彼自身の言葉で、ハッキリとこう言いあらわされている。『造化にしたがひ造化にかへれとなり』動物欲・物欲・私欲の濁りを一切払拭して、謙虚清浄のきわみになり得たときに、はじめて己の生命の上にさだかに映り又はひびいてくる此宇宙の根源にひそむ大いなる秩序と法則と其恵みとに合体帰一することである」。

北杜駿


【執筆者プロフィール】
北杜駿(ほくと・しゅん)
1989年生まれ。千葉県出身。現在は山梨県在住。2019年「森の座」入会、横澤放川に師事。2022年星野立子新人賞受賞。2023年森の座新人賞受賞。「森の座」同人。
Email: shun.hokuto@outlook.com


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2023年7月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔5〕「我が毒」ひとが薄めて名薬梅雨永し 中村草田男
>>〔6〕白夜の忠犬百骸挙げて石に近み 中村草田男

【2023年7月の水曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔5〕数と俳句(一)
>>〔6〕数と俳句(二)

【2023年7月の木曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔10〕来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
>>〔11〕「月光」旅館/開けても開けてもドアがある 高柳重信

【2023年6月の火曜日☆北杜駿のバックナンバー】

>>〔1〕田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
>>〔2〕妻のみ恋し紅き蟹などを歎かめや  中村草田男
>>〔3〕虹の後さづけられたる旅へ発つ   中村草田男
>>〔4〕鶏鳴の多さよ夏の旅一歩      中村草田男

【2023年6月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔6〕妹の手をとり水の香の方へ 小山玄紀
>>〔7〕金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ 菖蒲あや
>>〔8〕白い部屋メロンのありてその匂ひ 上田信治

【2023年5月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔5〕皮むけばバナナしりりと音すなり 犬星星人
>>〔6〕煮し蕗の透きとほりたり茎の虚  小澤實
>>〔7〕手の甲に子かまきりをり吹きて逃す 土屋幸代
>>〔8〕いつまでも死なぬ金魚と思ひしが 西村麒麟
>>〔9〕夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ  堀本裕樹

【2023年5月の水曜日☆古川朋子のバックナンバー】

>>〔1〕遠き屋根に日のあたる春惜しみけり 久保田万太郎
>>〔2〕電車いままつしぐらなり桐の花 星野立子
>>〔3〕葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波
>>〔4〕薫風や今メンバー紹介のとこ 佐藤智子
>>〔5〕ハフハフと泳ぎだす蛭ぼく音痴 池禎章

【2023年4月の火曜日☆千野千佳のバックナンバー】

>>〔1〕春風にこぼれて赤し歯磨粉  正岡子規
>>〔2〕菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵
>>〔3〕生きのよき魚つめたし花蘇芳 津川絵理子
>>〔4〕遠足や眠る先生はじめて見る 斉藤志歩

【2023年4月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔6〕赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波
>>〔7〕眼前にある花の句とその花と 田中裕明
>>〔8〕対岸の比良や比叡や麦青む 対中いずみ
>>〔9〕美しきものに火種と蝶の息 宇佐美魚目

【2023年3月の火曜日☆三倉十月のバックナンバー】

>>〔1〕窓眩し土を知らざるヒヤシンス 神野紗希
>>〔2〕家濡れて重たくなりぬ花辛夷  森賀まり
>>〔3〕菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 金原まさ子
>>〔4〕不健全図書を世に出しあたたかし 松本てふこ【←三倉十月さんの自選10句付】

【2023年3月の水曜日☆山口遼也のバックナンバー】

>>〔1〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔2〕砂浜の無数の笑窪鳥交る    鍵和田秞子
>>〔3〕大根の花まで飛んでありし下駄 波多野爽波
>>〔4〕カードキー旅寝の春の灯をともす トオイダイスケ
>>〔5〕桜貝長き翼の海の星      波多野爽波

【2023年2月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔6〕立春の零下二十度の吐息   三品吏紀
>>〔7〕背広来る来るジンギスカンを食べに来る 橋本喜夫
>>〔8〕北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子
>>〔9〕地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子

【2023年2月の水曜日☆楠本奇蹄のバックナンバー】

>>〔1〕うらみつらみつらつら椿柵の向う 山岸由佳
>>〔2〕忘れゆくはやさで淡雪が乾く   佐々木紺
>>〔3〕雪虫のそつとくらがりそつと口笛 中嶋憲武
>>〔4〕さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

【2023年1月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】

>>〔1〕年迎ふ父に胆石できたまま   島崎寛永
>>〔2〕初燈明背にあかつきの雪の音 髙橋千草
>>〔3〕蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴
>>〔4〕流氷が繋ぐ北方領土かな   大槻独舟
>>〔5〕湖をこつんとのこし山眠る 松王かをり

【2023年1月の水曜日☆岡田由季のバックナンバー】

>>〔1〕さしあたり坐つてゐるか鵆見て 飯島晴子
>>〔2〕潜り際毬と見えたり鳰     中田剛
>>〔3〕笹鳴きに覚めて朝とも日暮れとも 中村苑子
>>〔4〕血を分けし者の寝息と梟と   遠藤由樹子

【2022年11・12月の火曜日☆赤松佑紀のバックナンバー】

>>〔1〕氷上と氷中同じ木のたましひ 板倉ケンタ
>>〔2〕凍港や旧露の街はありとのみ 山口誓子
>>〔3〕境内のぬかるみ神の発ちしあと 八染藍子
>>〔4〕舌荒れてをり猟銃に油差す 小澤實
>>〔5〕義士の日や途方に暮れて人の中 日原傳
>>〔6〕枯野ゆく最も遠き灯に魅かれ 鷹羽狩行
>>〔7〕胸の炎のボレロは雪をもて消さむ 文挾夫佐恵
>>〔8〕オルゴールめく牧舎にも聖夜の灯 鷹羽狩行
>>〔9〕去年今年詩累々とありにけり  竹下陶子

【2022年11・12月の水曜日☆近江文代のバックナンバー】

>>〔1〕泣きながら白鳥打てば雪がふる 松下カロ
>>〔2〕牡蠣フライ女の腹にて爆発する 大畑等
>>〔3〕誕生日の切符も自動改札に飲まれる 岡田幸生
>>〔4〕雪が降る千人針をご存じか 堀之内千代
>>〔5〕トローチのすつと消えすつと冬の滝 中嶋憲武
>>〔6〕鱶のあらい皿を洗えば皿は海 谷さやん
>>〔7〕橇にゐる母のざらざらしてきたる 宮本佳世乃
>>〔8〕セーターを脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔
>>〔9〕動かない方も温められている   芳賀博子

【2022年10月の火曜日☆太田うさぎ(復活!)のバックナンバー】

>>〔92〕老僧の忘れかけたる茸の城 小林衹郊
>>〔93〕輝きてビラ秋空にまだ高し  西澤春雪
>>〔94〕懐石の芋の葉にのり衣被    平林春子
>>〔95〕ひよんの実や昨日と違ふ風を見て   高橋安芸

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔5〕運動会静かな廊下歩きをり  岡田由季
>>〔6〕後の月瑞穂の国の夜なりけり 村上鬼城
>>〔7〕秋冷やチーズに皮膚のやうなもの 小野あらた
>>〔8〕逢えぬなら思いぬ草紅葉にしゃがみ 池田澄子

【2022年9月の火曜日☆岡野泰輔のバックナンバー】

>>〔1〕帰るかな現金を白桃にして    原ゆき
>>〔2〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ なかはられいこ
>>〔3〕サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子
>>〔4〕琴墜ちてくる秋天をくらりくらり  金原まさ子

【2022年9月の水曜日☆田口茉於のバックナンバー】

>>〔1〕九月来る鏡の中の無音の樹   津川絵理子
>>〔2〕雨月なり後部座席に人眠らせ    榮猿丸
>>〔3〕秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子
>>〔4〕いちじくを食べた子供の匂ひとか  鴇田智哉

【2022年6月の火曜日☆杉原祐之のバックナンバー】

>>〔1〕仔馬にも少し荷を付け時鳥    橋本鶏二
>>〔2〕ほととぎす孝君零君ききたまへ  京極杞陽
>>〔3〕いちまいの水田になりて暮れのこり 長谷川素逝
>>〔4〕雲の峰ぬつと東京駅の上     鈴木花蓑

【2022年6月の水曜日☆松野苑子のバックナンバー】

>>〔1〕でで虫の繰り出す肉に後れをとる 飯島晴子
>>〔2〕襖しめて空蟬を吹きくらすかな  飯島晴子
>>〔3〕螢とび疑ひぶかき親の箸     飯島晴子
>>〔4〕十薬の蕊高くわが荒野なり    飯島晴子
>>〔5〕丹田に力を入れて浮いて来い   飯島晴子

【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を
>>〔5〕美校生として征く額の花咲きぬ  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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