ハイクノミカタ

美校生として征く額の花咲きぬ 加倉井秋を【季語=額の花(夏)】


美校生として征く額の花咲きぬ)

加倉井秋を
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ウクライナ情勢を伝える連日の悲痛な報道には気が滅入るばかりだ。今年は沖縄の本土復帰50年の節目の年だという。日本にもかつて戦争の時代があったことを忘れてはならない。

先々月、戦争体験のある二人の画家の展覧会を観てきた。一人は香月泰男展(練馬区立美術館)である。自身の抑留体験をもとにしたシベリア・シリーズはよく知られている。もう一人は、野見山暁治展(美術愛住館)で、野見山氏は百歳を超えた今もなお現役の画家である。窪島誠一郎氏と全国の戦没画学生の遺族を訪ねまわり、遺作の数々を集め無言館設立に尽力されたことを知っている方も多いであろう。

掲句の「美校生として征く」のは秋をではなく、弟の和夫のことである。和夫は日本画を専攻する画学生だった。野見山氏とほぼ同年代である。秋をにとっては自身が断念した絵の道を地で行く和夫に羨望の気持ちがあったかもしれない。しかし、道半ばにして繰り上げ卒業を余儀なくされ、明日をもしれぬ戦地へ赴かなければならない弟の境遇を不憫に感じているのである。和夫は戦地から帰還し、後に日本画家として大成している。あふれる才気がありながら、戦地で命を落としてしまった学友も少なからずいたことだろう。

もう二十数年前であるが、二十歳のころに無言館を訪れた。同じ年ごろの彼らのおかれた理不尽な状況を理解したい、そして彼らの残した全身全霊の作品から絵を描くことの本質を知りたいという気持ちだった。純粋に描いていたかっただろうに、戦乱の時代に巻き込まれ、絵筆を銃剣に持ち変えなければならなかった気持ちは無念としか推し量れない。私は私の時代をしっかりと生き抜いていかなければならない、と遺作の自画像の数々を観ながら心に強く感じたのを覚えている。

「額の花」の楚々とした佇まいが好きだ。大きく開花することのない中心部の粒粒とした花の密集は、画学生一人一人の不世出の無限の可能性を暗示しているようにも思える。「額の花」の額は絵画の額縁に由来するのだという。「美校生」と「額の花」、少し付きすぎなのだろうか。いやむしろ一途に響き合いすぎているのかもしれない

余談だが、香月のシベリア・シリーズで蟻穴からの目線で描かれたような『青の太陽』という作品がある。今回の展覧会で改めてまじまじと見て、その星を蔵した青いフォルムがなんとなく額の花のように私には感じられたのだった。

もうすぐ6月である。6月2日は秋をの忌日となっている。5週にわたり句を取り上げさせてもらったことに感謝しつつ、咲き誇る額の花を愛でたいと思っている。

(句集『胡桃』より)

これまでお読みいただいた皆様に心よりお礼申し上げます。

沼尾將之


【執筆者プロフィール】
沼尾將之(ぬまお・まさゆき)
1980年埼玉県生。「橘」同人。俳人協会幹事。俳人協会埼玉県支部世話人。 句集『鮫色』(ふらんす堂、2018年)(第43回俳人協会新人賞受賞)


【沼尾將之の自選10句★】

春の雪積む棕櫚の葉をはみ出さず

開帳仏余る一臂を頬杖に

恢々と添へ木組まるる糸桜

風低き常陸の国の芒種かな

靴底で消す旱野のあみだくじ

見切りても芒の丈に縛られぬ

木の実から木の実へ歩幅大きうす

長き夜の髪の毛先を雨が統ぶ

尖峰へ畝の集まる空つ風

笹掻きの水漬くかをりの厨冴ゆ


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2022年5月の火曜日☆沼尾將之のバックナンバー】

>>〔1〕田螺容れるほどに洗面器が古りし 加倉井秋を
>>〔2〕桐咲ける景色にいつも沼を感ず  加倉井秋を
>>〔3〕葉桜の夜へ手を出すための窓   加倉井秋を
>>〔4〕新綠を描くみどりをまぜてゐる  加倉井秋を

【2022年5月の水曜日☆木田智美のバックナンバー】

>>〔1〕きりんの子かゞやく草を喰む五月  杉山久子
>>〔2〕甘き花呑みて緋鯉となりしかな   坊城俊樹
>>〔3〕ジェラートを売る青年の空腹よ   安里琉太
>>〔4〕いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希

【2022年4月の火曜日☆九堂夜想のバックナンバー】

>>〔1〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔2〕未生以前の石笛までも刎ねる    小野初江
>>〔3〕水鳥の和音に還る手毬唄      吉村毬子
>>〔4〕星老いる日の大蛤を生みぬ     三枝桂子

【2022年4月の水曜日☆大西朋のバックナンバー】

>>〔1〕大利根にほどけそめたる春の雲   安東次男
>>〔2〕回廊をのむ回廊のアヴェ・マリア  豊口陽子
>>〔3〕田に人のゐるやすらぎに春の雲  宇佐美魚目
>>〔4〕鶯や米原の町濡れやすく     加藤喜代子

【2022年3月の火曜日☆松尾清隆のバックナンバー】

>>〔1〕死はいやぞ其きさらぎの二日灸   正岡子規
>>〔2〕菜の花やはつとあかるき町はつれ  正岡子規
>>〔3〕春や昔十五万石の城下哉      正岡子規
>>〔4〕蛤の吐いたやうなる港かな     正岡子規
>>〔5〕おとつさんこんなに花がちつてるよ 正岡子規

【2022年3月の水曜日☆藤本智子のバックナンバー】

>>〔1〕蝌蚪乱れ一大交響楽おこる    野見山朱鳥
>>〔2〕廃墟春日首なきイエス胴なき使徒 野見山朱鳥
>>〔3〕春天の塔上翼なき人等      野見山朱鳥
>>〔4〕春星や言葉の棘はぬけがたし   野見山朱鳥
>>〔5〕春愁は人なき都会魚なき海    野見山朱鳥

【2022年2月の火曜日☆永山智郎のバックナンバー】

>>〔1〕年玉受く何も握れぬ手でありしが  髙柳克弘
>>〔2〕復讐の馬乗りの僕嗤っていた    福田若之
>>〔3〕片蔭の死角から攻め落としけり   兒玉鈴音
>>〔4〕おそろしき一直線の彼方かな     畠山弘

【2022年2月の水曜日☆内村恭子のバックナンバー】

>>〔1〕琅玕や一月沼の横たはり      石田波郷
>>〔2〕ミシン台並びやすめり針供養    石田波郷
>>〔3〕ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず  有馬朗人
>>〔4〕仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

【2022年1月の火曜日☆菅敦のバックナンバー】

>>〔1〕賀の客の若きあぐらはよかりけり 能村登四郎
>>〔2〕血を血で洗ふ絨毯の吸へる血は   中原道夫
>>〔3〕鉄瓶の音こそ佳けれ雪催      潮田幸司
>>〔4〕嗚呼これは温室独特の匂ひ      田口武

【2022年1月の水曜日☆吉田林檎のバックナンバー】

>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希

【2021年12月の火曜日☆小滝肇のバックナンバー】

>>〔1〕柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    正岡子規
>>〔2〕内装がしばらく見えて昼の火事   岡野泰輔
>>〔3〕なだらかな坂数へ日のとある日の 太田うさぎ
>>〔4〕共にゐてさみしき獣初しぐれ   中町とおと

【2021年12月の水曜日☆川原風人のバックナンバー】

>>〔1〕綿入が似合う淋しいけど似合う    大庭紫逢
>>〔2〕枯葉言ふ「最期とは軽いこの音さ」   林翔
>>〔3〕鏡台や猟銃音の湖心より      藺草慶子
>>〔4〕みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど 堀田季何
>>〔5〕ともかくもくはへし煙草懐手    木下夕爾

【2021年11月の火曜日☆望月清彦のバックナンバー】

>>〔1〕海くれて鴨のこゑほのかに白し      芭蕉
>>〔2〕木枯やたけにかくれてしづまりぬ    芭蕉
>>〔3〕葱白く洗ひたてたるさむさ哉      芭蕉
>>〔4〕埋火もきゆやなみだの烹る音      芭蕉
>>〔5-1〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【前編】
>>〔5-2〕蝶落ちて大音響の結氷期  富沢赤黄男【後編】

【2021年11月の水曜日☆町田無鹿のバックナンバー】

>>〔1〕秋灯机の上の幾山河        吉屋信子
>>〔2〕息ながきパイプオルガン底冷えす 津川絵理子
>>〔3〕後輩の女おでんに泣きじゃくる  加藤又三郎
>>〔4〕未婚一生洗ひし足袋の合掌す    寺田京子

【2021年10月の火曜日☆千々和恵美子のバックナンバー】

>>〔1〕橡の実のつぶて颪や豊前坊     杉田久女
>>〔2〕鶴の来るために大空あけて待つ  後藤比奈夫
>>〔3〕どつさりと菊着せられて切腹す   仙田洋子
>>〔4〕藁の栓してみちのくの濁酒     山口青邨

【2021年10月の水曜日☆小田島渚のバックナンバー】

>>〔1〕秋の川真白な石を拾ひけり   夏目漱石
>>〔2〕稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男
>>〔3〕嵐の埠頭蹴る油にもまみれ針なき時計 赤尾兜子
>>〔4〕野分吾が鼻孔を出でて遊ぶかな   永田耕衣


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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