ハイクノミカタ

姦通よ夏木のそよぐ夕まぐれ 宇多喜代子【季語=夏木(夏)】


姦通よ夏木のそよぐ夕まぐれ

宇多喜代子
(『夏の日』)

 姦通とは、『広辞苑』によれば「男女の不義の私通」「配偶者のある者、特に妻が、配偶者以外の異性とひそかに肉体関係をもつこと」とある。道ならぬ恋というよりは、不適切な肉体関係を思わせる言葉である。氏家幹人著『不義密通―禁じられた恋の江戸』では、江戸時代の様々な密通が紹介されている。妻の密通を知った夫が藩主に申し出て相手の男を討ち取り、その首を妻に持たせ島流しにしたエピソードなどが印象に残った。人妻の密通は、姦通罪とされ相手の男とともに死罪となるのが通例であった。姦通は、命がけなのである。そうかと思うと、山中にて男女の密通現場を目撃した人の日記などもある。「知らぬは亭主ばかりなり」ではないが、夫に知られなければ罪には問われない。

 井原西鶴の『好色五人女』は、江戸時代に実際に起こった恋愛事件をモデルにしている。最初の三章までが密通事件について描いている。いずれも悲劇的な結末である。当時は、若くして嫁入りするため、亭主以外の男に興味を持つこともあるだろう。相手の男もまた、人妻は魅力的に見えたのだ。

 鈴木春信の春画で、女の上半身は蚊帳の中にあり、下半身は蚊帳の外に居る男と縺れ合っている絵がある。蚊帳の中には、蒲団を被って耳を塞いでいる男が居る。状況は不明なのだが、おそらく、耳を塞いでいる男は女の夫で、妻の浮気を容認しているという設定なのだろう。

 イギリスのローレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』では、下半身不随になった夫が妻に跡継ぎを生ませるために男と関係を持つよう勧める。ただし、相手の男は社会的地位があること、懐妊後は関係を持たないことが言い渡された。だが妻が恋人に選んだのは、チャタレイ家の領地の森番だった。森番との逢瀬に夢中になった妻は夫との離婚を望むようになる。夫は、森番を解雇し、身籠った妻は家を出てゆく。

 谷崎潤一郎の『痴人の愛』では、真面目な主人公譲治がカフェーの女給であった15歳の少女ナオミを引き取り、理想の女性に育て、いつかは妻にしようと目論んでいた。ところが、ナオミは譲治の目を盗んで若い男達と密会していた。外出禁止にしたり、追い出したりするものの、男を取り換えては美しくなるナオミに翻弄されてゆく。婚姻関係ではないので姦通罪にはならないのだが、奔放なナオミは結婚後も恋人を作り続けることが予感される。譲治はナオミに服従し不義密通も許してゆくのだろう。

 かつて、タレントの石田純一氏が「不倫は文化」と発言し非難を浴びたことがあった。実際には言っていないらしいが、確かに遥かな昔より不倫・密通、姦通は存在していた。

  姦通よ夏木のそよぐ夕まぐれ   宇多喜代子

 真夏でも日が暮れて薄暗くなると涼しい風が吹く。公園の木々が鬱蒼としてざわざわと音を立てる。姦通するには、絶好の状況である。都会には、逢引の森として知られている公園があるものだ。夕暮れになると、ベンチや東屋のある森の中へ恋人たちが吸い込まれてゆく。それを覗こうとする人たちもまた歩き回っている。夏の夜は解放的な気分になる。そんな逢瀬があっても良いだろう。

 マルキ・ド・サド原作の短編集『恋の罪』(澁澤龍彦訳)は、フランス革命間近の貴族たちの恋を描いている。舞踏会が催されている城の庭では、男女が茂みに隠れて快楽に耽っていた。政略結婚による夫婦の間に愛はなく、配偶者以外の恋人を持つことが流行であった。遊びと本気が入り混じる恋人は、自身の居城に住まわせることのできない存在だ。庭の茂みで楽しむ男女の恋は、永遠に一緒にいることの叶わない刹那的なものである。

 日本の姦通罪は、昭和22年に男女平等の原則に反するため廃止になった。現在では、不倫は男女の罪なのだが、話し合いと金で解決される。命がけの場合もあるのだが、遊びで終わらせることもできる。藪の中の出来事にするかどうかは、当事者次第だ。

 昭和のドラマ『金曜日の妻たちへ』は、バブル期の人妻たちの不倫の話である。当時は、専業主婦が多く、夫は仕事を優先し家庭を顧みなかった。子育てをしながら仕事を持ち、自由に恋愛を謳歌するニュータウンの妻たちの姿は、衝撃的であると同時に高い支持を得た。掲句が詠まれた頃には、そんなドラマも流行っていた。

 作者は姦通をしているわけではない。姦通を目撃したわけでもないのだろう。夏木から吹き抜けてくる風を受けた時に、「貫通」という言葉が浮かび「姦通」に変換したのだ。世間では、姦通が流行っている。こんな夕まぐれは、普段とは違う刺激を求めあう男女が木立の中であんなことやこんなことをしているかもしれない。みっしりと茂った木々の枝がいつもよりも激しくそよいでいる。覗きたい衝動を抑えつつ、様々な妄想が頭の中を駆け巡ったのだ。〈姦通〉という強い言葉を出したあとの抑えた表現が見事である。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔100〕水喧嘩恋のもつれも加はりて   相島虚吼
>>〔99〕キャベツに刃花嫁衣裳は一度きり 山田径子
>>〔98〕さよならと梅雨の車窓に指で書く 長谷川素逝
>>〔97〕夏帯にほのかな浮気心かな    吉屋信子
>>〔96〕虎の尾を一本持つて恋人来    小林貴子
>>〔95〕マグダラのマリア恋しや芥子の花 有馬朗人
>>〔94〕五十なほ待つ心あり髪洗ふ    大石悦子
>>〔93〕青い薔薇わたくし恋のペシミスト 高澤晶子
>>〔92〕恋終りアスパラガスの青すぎる 神保千恵子
>>〔91〕春の雁うすうす果てし旅の恋   小林康治
>>〔90〕恋の神えやみの神や鎮花祭    松瀬青々
>>〔89〕妻が言へり杏咲き満ち恋したしと 草間時彦
>>〔88〕四月馬鹿ならず子に恋告げらるる 山田弘子
>>〔87〕深追いの恋はすまじき沈丁花  芳村うつぎ
>>〔86〕恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海 坪内稔典
>>〔85〕いぬふぐり昔の恋を問はれけり  谷口摩耶
>>〔84〕バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子
>>〔83〕逢曳や冬鶯に啼かれもし      安住敦
>>〔82〕かいつぶり離ればなれはいい関係  山﨑十生
>>〔81〕消すまじき育つるまじき火は埋む  京極杞陽
>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目   森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ    正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 虎の上に虎乗る春や筥いじり 永田耕衣【季語=春(春)】 
  2. とらが雨など軽んじてぬれにけり 一茶【季語=虎が雨(夏)】
  3. どつさりと菊着せられて切腹す 仙田洋子【季語=菊(秋)】
  4. 一臓器とも耕人の皺の首 谷口智行【季語=耕人(春)】
  5. 蝦夷に生まれ金木犀の香を知らず 青山酔鳴【季語=金木犀(秋)】 …
  6. もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎【季語=冷奴(夏)】
  7. 香水や時折キッとなる婦人 京極杞陽【季語=香水(夏)】
  8. 子供は鳥 かはたれとたそかれにさざめく 上野ちづこ

おすすめ記事

  1. 朝顔の数なんとなく増えてゐる 相沢文子【季語=朝顔(秋)】
  2. 星老いる日の大蛤を生みぬ 三枝桂子【季語=蛤(春)】
  3. 冴えかへるもののひとつに夜の鼻 加藤楸邨【季語=冴返る(春)】
  4. 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏【季語=冬(冬)】
  5. 【冬の季語】聖菓
  6. ポメラニアンすごい不倫の話きく 長嶋有
  7. ここは敢て追はざる野菊皓かりき 飯島晴子【季語=野菊(秋)】
  8. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第27回】熊本・江津湖と中村汀女
  9. 【春の季語】浅蜊
  10. 神保町に銀漢亭があったころ【第92回】行方克巳

Pickup記事

  1. 【短期連載】茶道と俳句 井上泰至【第7回】
  2. コンビニの枇杷って輪郭だけ 原ゆき
  3. 【秋の季語】新酒/今年酒
  4. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2021年3月分】
  5. 【新年の季語】初詣
  6. 【連載】歳時記のトリセツ(10)/小津夜景さん
  7. さくら餅たちまち人に戻りけり 渋川京子【季語=桜餅(春)】 
  8. 詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり 久保田万太郎【季語=蝶(春)】
  9. 雪兎なんぼつくれば声通る 飯島晴子【季語=雪兎(冬)】
  10. 【冬の季語】冬木
PAGE TOP