ハイクノミカタ

散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの【季語=牡丹(夏)】


散るときのきてちる牡丹哀しまず

稲垣きくの


 牡丹は開ききった時が一番美しい。後は散るだけの宿命を知りつつ緻密なる花弁を大きく広げる。花弁の一枚二枚が剥がれた状態はまだ美しいが、最後は芯にしがみつく形で花弁が残り醜い姿を晒す。まるで頬の肉が崩れて溶けているかのようなグロテスクさがある。牡丹園では、この見苦しさを回避するため、崩れ始めた牡丹の首を切ってしまう。あのどろりと崩れた牡丹も見慣れてしまうと味わいがあるのだが。

 女性は、過去の恋を引きずらないと言われている。どんなに好きだった相手でも別れた後はさばさばしている。それどころか嫌いになってしまうことも多い。ドラマでは、別れを切り出した男性にしつこく付きまとい、ある時は脅迫まがいなことをするが、現実的にはそれは稀な話である。女性は確かに物事に固執する一面があり、それが恋愛に向けられるとストーカー行為に発展することもある。また女性は自己愛が強いため、好きになった人をどこまでも追いかける自分に酔ってしまう。自己愛が強ければ強いほど相手に固執するのである。そういった意味では相手のことを本当に好きかどうかは分からないところだ。この自己愛の呪縛、あるいは恋の魔法は時期が来ると解けてしまう。どんなに美しい王子様も魔法が解ければ小汚い蛙なのである。

 これもまた経験値による。初恋の相手は、鼻毛が出ていても暴力をふるわれても格好良く映る。尽くして捨てられを繰り返し女性は大人になる。いつしか恋の魔法は永遠ではないことを知る。そして恋多き女性は勘が鋭い。相手が自分に飽き始めたことをすぐに察する。終わりが見え始めた恋を引き留める努力を出来る限りしてダメなら諦めて新しい恋を探すようになる。振られる前に振ることもあるだろう。

 対して男性は逃げるものを追う習性があるらしく、飽きた女性でも逃げられると追いかけてしまう。発情期の雄鳩が逃げる雌鳩をしつこく追うように。面倒なことに「逃げているけれども本当は追いかけられて喜んでいるに違いない」と思ってしまう。そのため、女性が嫌がる行為を喜んでくれていると思い込み、拒否されても続けてしまう。ストーカーは圧倒的に男性が多い。それはプライドが高いからだ。男性は、うぬぼれが強く、女性に愛されていると思い込んでいる。いわゆる勘違いである。女性の自己愛と似ているが微妙に違う。女性はただ、相手のためではなく自分のために追いかける。どちらにせよ、迷惑な限りだが。

 ただ明確なのは、女性は恋の魔法がいつかは解けるものであることを心のどこかで知っているということだ。魔法が解ければ次の魔法を探すのである。だから想い出は全て捨てるのだ。新しい魔法が手に入れば古い魔法は着られなくなった服と同じである。男性は、一度魔法にかかったら、解けても後遺症が残る。それはきっと、自分以上に愛したものだからであろう。

 小学生の頃、切手を集めていた。だが高校を卒業する頃には興味がなくなっていたため、二束三文で処分してしまった。夫もまた切手を集める趣味があったらしく、いまだに赤茶けた切手を大事にしている。値が下がらないうちに売れば良いのにといつも思っている。きっと、私は切手を集めている自分が好きだっただけで切手が好きだったわけではなかったのだ。だけれども夫は苦労して手に入れた切手は魔法が解けても美しいままなのだろう。

  散るときのきてちる牡丹哀しまず   稲垣きくの

 作者の稲垣きくのは明治生まれ。大正の終わり頃から昭和初期にかけて活躍した女優である。撮影所を退社後、俳句を始める。大場白水郎主宰の「春蘭」「縷紅」を経て、久保田万太郎に師事。「春燈」同人。万太郎の死後、鈴木真砂女とともに安住敦に師事。昭和41年に第2句集『冬濤』で第6回俳人協会賞受賞。恋の句の多い作者である。稲垣きくのについては、土肥あき子氏がウェブサイト「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」の「戦後俳句を読む」にて紹介している。いつか評論集として出版して欲しいと願っている。

 牡丹に寄せた恋の句を多く残す作者。当該句も恋の句として受け止めた。女優時代に結婚するも数年で離婚。女優引退後は財力のある年上の男性と長きに渡り恋人関係にあり、死別後は若き恋人を得たとも言われている。恋の句の多くは、若さを失った頃より増え始める。どこまでが真実でどこからが回想なのか。恋を失ってから生まれる恋の句があっても良いのだ。

 女性にも忘れられない恋はある。それは、実らなかった恋か絶頂の時に裂かれた恋である。予期せぬ時に終わりを迎えた恋は美しいまま心に保存される。だがそれは哀しみを伴う。

 別れを予感して終わった恋に女性は哀しまないのである。終わるべくして終わったと思うのだ。終わったことを哀しんでいたら女優はつとまらない。撮影がいつか終わるように、流行った映画が忘れ去られるように恋も終わる時は終わる。未完にならなければ哀しむことはないのだ。

 恋がいつか終わるように命もまたいつか尽きる。幼い頃、長い闘病の果てに祖父が亡くなった。最後の孫であった私をとても可愛がってくれた祖父であったが、全く哀しくなかった。初めて人の死に面したというのに。だが、年若い従姉妹が不慮の事故で亡くなった時は学校に行けなくなるほど哀しんだ。散るときがきて失うことは、覚悟していたことなので哀しむことはない。咲き始めた牡丹が倒れて踏まれていたらきっと哀しむだろう。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
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>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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