ハイクノミカタ

特定のできぬ遺体や春の泥 高橋咲【季語=春の泥(春)】


特定のできぬ遺体や春の泥

高橋 咲
神奈川大学広報委員会編『17音の青春2022』


掲句は、昨年の第二十四神奈川大学回全国高校生俳句大賞の最優秀賞受賞五作品中の一つから。同賞は三句一組の出来栄えで評価するという独特のスタイルをとる。残りの二句は「冬の星レスキュー隊の無骨な手」「停電や布団が並ぶ体育館」。作者は東日本大震災の時は小学校の低学年くらいか。本選審査では作者のプロフィール(岩手の高校生です)は見えないのだけれど、三句並ぶと何らかの被災の状況を句にしていることはすぐに解るし、遺体が特定できない規模の災害はそうは起こらないことと、季語が冬と春(「春の泥」だが「春泥」ではないですね)であるところで、やはり東日本大震災を思い浮かべることになるのだろう。そう思うと、虚の要素がなく、技巧の洗練もなく、身近にあった経験と、暦ではなく生活の中の季節感に照らしてド直球の表現で詠まれているように感じる。引用元に所収の「選考座談会」を読むと、選考中これはすでに詠まれてきたもの、という指摘がなされている。たしかに既存の震災詠を多く読んできた人にとっては、新し味があるとは言いがたいかもしれない。しかし、この作者にとっては忘れられない体験を俳句で言葉にする手段を得た時が今であったわけで、それこそがこの句の言葉の持っている力というものであるだろう。その辺りの評価軸をすでに出来上がっている「大人」の俳句の拵え方と同列に置くことは、フェアではあるが理不尽だ。とはいえ、おそらくこういうタイプの句をだしても、表現がいろいろ洗練されてきた俳句甲子園ではもう勝ち残れないような気もする。そういう場とは異なるところで、力を持ってくる句なのではないかと思う。ともあれ、東日本大震災から11年が経とうとしている。そしてまもなく実際に被災の記憶のない世代の被災経験者達が高校生になる。そういう高校生諸君は、果たして震災想望句を詠むことになるのだろうか。

橋本直


【橋本直のバックナンバー】

>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな     秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり      正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜    大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る    今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬     佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり     鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり     桂信子

>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり      柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
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>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌     中村草田男
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>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る     井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる    星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
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>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一

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>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
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>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
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>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
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>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
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>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
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>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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