ひっくゝりつっ立てば早案山子かな 高田蝶衣【季語=案山子(秋)】


ひっくゝりつっ立てば早案山子かな 

高田蝶衣(「蝶衣句集 島舟」※注1


先日、長谷川秋子の句のことを書いたら、アップされたその日にかつて秋子が主宰をしていた『水明』がふいに届いてびっくりした。たまたま網野月をさんが拙句集「符籙」の鑑賞してくださったものが届いたのだが、郵便受けを開けた瞬間、なんだか泉下の秋子から届いたかのような気になった。

さて、その「符籙」の跋でも少し書いた話なのだけれど、高田蝶衣句集「島舟」は明治41年、作者22歳の時に出版された。いまでも22歳の若さで句集を出すことは希なことではないかと思うが、蝶衣の句集は、近代俳句史上五番目の個人句集の出版であり、当時とすれば画期的なことであったといってよい。いわゆる新派の個人句集は、明治35年の正岡子規『獺祭書屋俳句帖抄上巻』(高濱清編)に始まり、松瀬青々『青々句集 妻木』、岡本癖三酔『癖三酔句集』、高濱虚子『稿本虚子句集』(今村一声編)、高田蝶衣『蝶衣句集島舟』(中野三允編)と続く。それまで個人句集というものは、基本、作者が死んでから出るものであったのである。もっとも、蝶衣の自意識としては、最早自分は作家としては死んでいる、という気分が濃厚であったかもしれない。早熟の天才肌で、例えば冨田拓也は、「おそらく高田蝶衣は、あの芝不器男と比較しても拮抗し得るだけの才質を有した俳人といえよう」と高く評するのだが(※注2)、蝶衣は病弱で、頑張ると発病し頓挫する人であった。

掲句は、その蝶衣の才気の一端を感じさせる。私的には、案山子のできあがる様子を俳句でここまであっさりかつダイナミックに詠んだものを他に見ない。多くのものは既に出来上がった案山子をああだこうだ言う(見たことがある服をきている、とか)内容のように思う。明治の世に22歳でこのような句を詠める人が他にそう何人もいたとは思われない。蝶衣は早く現れ、早世したがために再評価が遅れている俳人の一人といえるだろう。(蝶衣について詳しくはこちらを参照※3)

蛇足ながら、この蝶衣の「島舟」は、冒頭には編者中野三允の長すぎる序文が載り、目次は季題別に配列され、まるで類題句集のような体裁をしている。それは今から見れば「個」の成分を剥奪されているようにさえ見える。なぜそうあらねばならなかったのか考えるとき、「島舟」は、個人句集というものがそう簡単に出されるようなものではなかったことを今に残す明治近代の俳句遺産であることに思い至る。

※1  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/875225
※2 ウェブマガジンスピカ 冨田拓也「百句晶晶」
   http://spica819.main.jp/100syosyo/1734.html
※3 俳句空間豈weekly 冨田拓也「俳句九十九折(35)俳人ファイルⅩⅩⅦ高田蝶衣」
   http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/05/blog-post_6569.html

(橋本直)


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。

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