神保町に銀漢亭があったころ【第51回】大野田井蛙

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始まりは同窓会

大野田井蛙(「銀漢」同人)

神保町の角を曲がると「銀漢亭」の灯が見える。しばらく進むと、開け放った店の入り口から、何やら賑やかな話し声。またある時は、ドアを開けるとカウンターに店主が一人。そんな銀漢亭を始めて訪れたのは、今から11年前の平成21年2月だった。

その前年に、伊那北高校20回生の卒後40周年記念同期会が、故郷の伊那で開催された。その時に、伊藤伊那男さんが「老後をどう生きるか」とのテーマで、記念講演を行った。

①俳句は紙と鉛筆があればできる→お金がかからない、②俳句は座の文芸で友達ができる③俳句は頭を使うのでボケ防止になる。だから、俳句をやればボケ防止に役立ち老後を楽しく過ごすことができるという話であった。

一度銀漢亭に遊びに来るように誘われた。しばらくして、銀漢亭を訪ねると、店の奥で句会(後でわかったのだがこれが「湯島句会」であった)を開催していた。

見学をしていたところ、折角だから選句をしてみればと誘われ、何が何だかわからぬまま選句とやらをした。すると、来月から投句をしてみたらとどうかと誘われた。

ということで、俳句とはまったく縁の無かった私が、たまたま銀漢亭に遊びに行ったために俳句の世界に足を踏み入れてしまったのである。

しかし、すぐに銀漢亭に入り浸るようになった訳ではない。俳句を始めた頃は、投句をして句会に参加し、一点も入らなかったことに淋しい思いをし、句会後の銀漢亭での飲食も隅で大人しく友人と飲んでいるだけであった。

ところが数年たったころ、あることがきっかけで銀漢俳句会の事業部の手伝いをすることとなり、その打合せなどもあり銀漢亭に出入りするようになった。その後は、複数の句会にも参加し、一週間に二度三度と顔をだすようになった。

なかでも、三水会(伊那北高校の東京同期会)は、毎月第三水曜日に5名から7名が集まり、銀漢亭で飲むという会で、伊那男さんの手作り料理と、どんなに飲んでも三千円に魅せられてほとんど欠かすことなく通い詰めた。酒はあるときは一升瓶が2、3本空くこともあった。

銀漢亭は信州出身者のアンテナショップ的なところもあり、伊那市長や駒ケ根市長はじめ、出張のついでに立ち寄る方も多かった。また、俳句の他結社の方との交流も広がった。「OH!句会」は、まさにその場であった。

俳句を始めて10年、銀漢亭に通って10年、充実の60歳代を過ごすことができた。さて、銀漢亭が店仕舞いした今、銀漢亭なしの70歳代10年をいかに過ごすかが喫緊の課題となってしまった。

(カウンターで飲む大野田井蛙さん)


【執筆者プロフィール】
大野田井蛙(おおのだ・せいあ)
長野県生まれ、さいたま市在住。同級生の伊藤伊那男主宰の奨めで平成二十二年銀漢設立に参加。俳人協会会員。俳号の井蛙(せいあ)は伊那男主宰よりいただく。


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