ハイクノミカタ

谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女【季語=ほととぎす(夏)】


谺して山ほととぎすほしいまゝ

杉田久女
(『杉田久女句集』)


言うまでもなく、この作者を代表する有名句の一つである。他の有名句同様にまつわるものの多い句で、英彦山で見た白蛇から霊感を受けて云々、というものまである。

ホトトギスはこの時期の季語だが、街中にいるとその声を聴くのはなかなか難しい。姿を見るのはもっと難しい。郊外であれば場所によるだろうか。この時期、拙宅ではなぜか昼間ではなく、草木も眠る丑三つ時のあたりからふいに鳴き始める。古来和歌では、ホトトギスは他季の雪月花に並ぶといっても良い夏を代表する題であって、なかなか鳴かないものとして詠むことを本意とした。俳句では、子規の号と雑誌の名前で、これを知らなければモグリといった印象であるが、京の都の貴族同様、そう街中では鳴いてくれないこの鳥の声を、実際に都会で生活している俳人で聞いたことのある人はどれくらいいるものなのであろう。

さて、掲句についてはさまざまな鑑賞があるのだが、興味を引かれたのは、「増殖する俳句歳時記」に清水哲男が書いたもの。

「作者は下五の「ほしいまゝ」を得るまでに、かなりの苦吟を重ねたといわれる。確かに、この「ほしいまゝ」が何か別の言葉であったなら、この句の晴朗さはどうなっていたかわからない。よくぞ思いついたものだが、なんでもある神社にお参りした帰り道で白い蛇に会い、帰宅したところで天啓のようにこの五文字が閃いたのだそうだ。となれば、句の半分は白い蛇が作ったようなものだけれど、白い蛇と言うから何か神秘的な力を想像してしまうのであって、詩歌の創作にはいつでもこのような自分でもよくわからない何かの力が働くものなのだ。」

ここでも件の白蛇の話が登場するのだが、一旦ここから話は飛躍する。過日、Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」の畑正憲×五十嵐大介の回の再放送を何気なく見ていた時、五十嵐から動物との触れあいかたのコツを問われた畑が、自分の太もも股間近くに手を入れ、触ってるんだか触られてるんだかだんだん分からなくなる、というようなことを話した。子供に真似されるとケガ人が出て大変だからいままで言わなかった、などとも話していたけれど、そこになんの解説もなかったから、それだけ聞いてもなんのことやらわからない話しぶりであったと思う。けれども、昔よくテレビで「ヨシヨシヨシヨシ」って動物にやっていたあれは、アニミズム(人類学の存在論的転回以降のやつ)だったのではないか。例えばマタギは、熊には熊の世界があることをリスペクトし、己が熊になりきって熊の世界を理解して射止めるという。なりきるといっても本当にあちらの世界に行ききってしまえば己を失う(つまり己の死だ)のだが、己を人間から遠ざけ、熊でなくはないものとするぎりぎりまでもっていって熊と対峙するということなのだろう。どうやら畑は、声と表情と触ることを駆使し、己を人間から遠ざけ、触れている動物になりきって、己がその動物でなくはないものとなるぎりぎりのところ、いわば自他未分の領域に自分も行き、相手もそこに引き込む(人間の世界を理解させるのではない)ことでコミュニケーションを成立させているように思った。これは技術として簡単にできることではない。他では公にそんなことをしている人があるとも聞かない。ムツゴロウおそるべし。

さて、英彦山での苦吟のなかで白蛇と会った久女にその後起動したもの。清水の言う「自分でもよくわからない何かの力」には、このあたりの自他未分の領域に足を踏み込むメカニズムが機能しているのではないかという気がしている。ところで、英彦山は山頂に神社本殿がある。神の領域であることをはばかって、付近一帯の県境がいまださだまっていないのだという。とすると、英彦山の神は、自治体にまで自他未分の領域をもたらしているのだった。

橋本直


【橋本直のバックナンバー】
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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