ハイクノミカタ

指入れてそろりと海の霧を巻く 野崎憲子【季語=海霧(夏)】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

指入れてそろりと海の霧を巻く

野崎憲子


一年余り前、新型コロナウイルス感染のエピセンターであったニューヨークは、その後の感染者数減少とワクチンの普及に伴い、5月に入ってから、経済活動に課されていた制限が次々と解除され、かつての賑わいを取り戻しつつある。マスクを外している人も増えてきた。それは、ワクチン接種者であれば、マスク着用なし、ソーシャルディスタンスの確保なしで構わないことになったため。公共交通機関や学校そのほか例外はあるので、外出時にはマスクは変わらず必需品。夏柄のマスクにしたい今日この頃だ。

さて、掲句を『源』より。単に「霧」といえば秋の季語だが、〈海の霧〉は夏の季語、「海霧(じり)」の傍題の「海霧(うみきり)」。

海霧(うみきり)」は、夏、暖かく湿った空気が、空気に比べ温まりにくいため冷たいままの海面の上に流れ込むときに、冷やされて生ずる濃霧で、移流霧(いりゅうむ)とも呼ばれる。

句中の動作の(ぬし)は、海の霧に指を差し入れ、それを巻いている。渦を作っているという感じだろうか。海辺にて、思案の仕草をしているのかもしれない。

海と辺りに立ち込める霧の気配と、この、〈そろり〉と〈巻く〉、という謎めいた仕草やその語感を味わっているうちに、掲句の舞台が、遥かに時を遡った原初の海辺に思えてきた。

***

そこで、天の高天原の神々が、
イザナキ神とイザナミ神の男女二神に
「この漂っている国をつくり固めよ」と命じて、天の沼矛(ぬほこ)を授けて、
国づくりをお任せになりました。
イザナキ神とイザナミ神は、
天の浮橋という空に浮かんだ橋に立って、
その沼矛を指し下ろしてかきまわしました。
潮をかき鳴らして、引き上げた時、
その矛からしたたり落ちた潮が
積もり重なって島になりました。
この島を淤能碁呂島(おのごろじま)と言います。

***

句中の動作の(ぬし)は、イザナキ神とイザナミ神。差し入れた指は、天の沼矛(ぬほこ)。日本の国生みの場面が現れた。霧ごと巻き取った潮からできたこの島で、壮大な国の創生の物語が続いてゆくのだ。

掲句の孕む、神秘的な空間に大いに夢想した。

イタリック部分は「古事記の神話」から引用。

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino


【月野ぽぽなのバックナンバー】
>>〔33〕わが影を泉へおとし掬ひけり     木本隆行
>>〔32〕ゆく船に乗る金魚鉢その金魚     島田牙城
>>〔31〕武具飾る海をへだてて離れ住み    加藤耕子
>>〔30〕追ふ蝶と追はれる蝶と入れ替はる   岡田由季
>>〔29〕水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子
>>〔28〕さまざまの事おもひ出す桜かな    松尾芭蕉
>>〔27〕春泥を帰りて猫の深眠り        藤嶋務
>>〔26〕にはとりのかたちに春の日のひかり  西原天気
>>〔25〕卒業の歌コピー機を掠めたる    宮本佳世乃
>>〔24〕クローバーや後髪割る風となり     不破博
>>〔23〕すうっと蝶ふうっと吐いて解く黙禱   中村晋
>>〔22〕雛飾りつゝふと命惜しきかな     星野立子
>>〔21〕冴えかへるもののひとつに夜の鼻   加藤楸邨
>>〔20〕梅咲いて庭中に青鮫が来ている    金子兜太
>>〔19〕人垣に春節の龍起ち上がる      小路紫峡 
>>〔18〕胴ぶるひして立春の犬となる     鈴木石夫 
>>〔17〕底冷えを閉じ込めてある飴細工    仲田陽子
>>〔16〕天狼やアインシュタインの世紀果つ  有馬朗人
>>〔15〕マフラーの長きが散らす宇宙塵   佐怒賀正美
>>〔14〕米国のへそのあたりの去年今年    内村恭子
>>〔13〕極月の空青々と追ふものなし     金田咲子
>>〔12〕手袋を出て母の手となりにけり     仲寒蟬
>>〔11〕南天のはやくもつけし実のあまた   中川宋淵
>>〔10〕雪掻きをしつつハヌカを寿ぎぬ    朗善千津
>>〔9〕冬銀河旅鞄より流れ出す       坂本宮尾 
>>〔8〕火種棒まつ赤に焼けて感謝祭     陽美保子
>>〔7〕鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ  三島ゆかり
>>〔6〕とび・からす息合わせ鳴く小六月   城取信平
>>〔5〕木の中に入れば木の陰秋惜しむ     大西朋
>>〔4〕真っ白な番つがいの蝶よ秋草に    木村丹乙
>>〔3〕おなじ長さの過去と未来よ星月夜  中村加津彦
>>〔2〕一番に押す停車釦天の川     こしのゆみこ
>>〔1〕つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 麦真青電柱脚を失へる 土岐錬太郎【季語=青麦(夏)】
  2. 鵙の贄太古のごとく夕来ぬ 清原枴童【季語=鵙の贄(秋)】
  3. 春の雁うすうす果てし旅の恋 小林康治【季語=春の雁(春)】
  4. 傾けば傾くまゝに進む橇     岡田耿陽【季語=橇(冬)】
  5. 秋の日の音楽室に水の層 安西篤【季語=秋の日(秋)】
  6. 夏蝶の口くくくくと蜜に震ふ 堀本裕樹【季語=夏蝶(夏)】
  7. 美校生として征く額の花咲きぬ 加倉井秋を【季語=額の花(夏)】
  8. 禁断の木の実もつるす聖樹かな モーレンカンプふゆこ【季語=聖樹(…

あなたへのおすすめ記事

連載記事一覧

PAGE TOP