ハイクノミカタ

鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ 三島ゆかり【季語=鴨(冬)】


鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ

三島ゆかり


ここマンハッタンでも、筆者の散歩コースであるセントラル・パークの池や、ハドソン・リバーに、鴨が見られる季節となった。

掲句は、馴染みのある水辺の鴨の風景ではあるが、読者が十七文字を辿りながら心に映像を再現する、この短い時間の中に静かな驚きを用意してくれている。

試しに、一句がビデオカメラで撮影された光景だと仮定して、それを上五・中七・下五の経過通りに、心の画面に映していってみよう。

再生ボタン、オン。

〈鴨翔つて〉

画面には一羽の鴨が大写しになっている。その鴨が今翔び立った。

〈みづの輪ふたつ交はりぬ〉

カメラはここでグッと引き、画面は、鴨が跳びたったあとの水面に、今跳びたった鴨が作った水の輪と、少し離れたところにできたもうひとつの輪が、互いに広がり交わってゆく様子を映している。

ここで初めて、実は鴨は二羽いて、同時に翔び立っていた、ということに、読者は気づくのだ。

何回も再生するうちには、言外である、翔び立つ時の羽音や水音や、番いの鴨が空を飛ぶ様子を想うこともできるだろう。

掲句は〈鴨翔つて〉の後のカメラの引き、つまりズームアウトに冴えがあった。そこで今度はズームインが効いている鴨の句を、心の画面に映してみよう。

鴨の中の一つの鴨を見てゐたり  高浜虚子

再生ボタン、オン。

〈鴨の中の〉からは、画面に、たくさんの鴨が水面に群れる様子が見え、〈一つの鴨を〉にてカメラは一気にズームイン、一羽の鴨が画面に大写しになった。さらに〈見てゐたり〉にて、なんと、画面の映像に向けていたはずの読者の視線が、このビデオの撮影者の視線となって画面の中に入り込んでいたことに気づく。

ここから読者は、句中の〈見てゐ〉る動作の主として、句中の鴨の詳しい様子や、それを見る心情をじっくりと味わうのだ。

連句誌『みしみし』第四号所載。

*「鴨の中に」は小西昭夫著『虚子百句』(創風社出版)より引いた。

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino


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