神保町に銀漢亭があったころ【第78回】脇本浩子

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断捨離をまぬがれたもの

脇本浩子(「海」同人)

わたしになじみの居酒屋はない。

仕事がらイタリア料理店には顔を出すが、それとて一軒に年数回がいいところである。

格好つけて言えば、風のような気質がそうさせるのだが、 そんなわたしでも、いちばん思い出の残る居酒屋と問われれば、迷わず銀漢亭を挙げる。

『海』俳句会から『銀漢』へ移られたある俳人から、超結社句会「湯島句会」へお誘いいただいたのが銀漢亭へ足を運ぶきっかけだった。もう晩年の湯島句会である。

「浩子さんが伊那男先生の特選をとったら、『銀漢』に移りなよ」。

冗談めいたこの俳人の言葉が現実となり、わたしは伊那男先生から特選をいただいたことがあった。

しかし、伊那男先生は「浩子さんを移したら、『海』の悦夫先生に怒られるから」とイナされたのである。伊那男という俳号は、上手に「イナす男」の略称かもしれないと思った。

湯島句会に参加するうち、『銀漢』という新しい結社のフラットな人間関係、それゆえに俳句への情熱のままに会員が自発的に動くことで主宰を盛り立てる組織のあり方に、わたしは驚いた。いまだにトップダウンの結社が多いように見受けられたからである。

この結社はこれから伸びるにちがいない。その時のわたしの勘にまちがいはなく、銀漢俳句会は現在、会員数およそ350人という大結社となった。

わたしはといえば、『海』誌の編集・校正に毎月参加しているものの、投句をしたりしなかったりの体たらくである。「熱い句会に参加するといい」。そうおっしゃった伊那男先生の言葉が身に沁みる。

今年の新型コロナウイルスによる外出自粛期間中に、断捨離に励んだ人も多かったと聞く。わたしも気もちばかりの片づけをしたが、黒い背表紙のついた『湯島句会報』12冊は捨てることができなかった。銀漢亭は物理的に消えてしまったが、そこで培われた俳人との縁は、断捨離されていない。本稿はその証でもある。

(2013年撮影=左が脇本浩子さん、右は「銀漢」の津田卓さん)


【執筆者プロフィール】
脇本浩子(わきもと・ひろこ)
1961年愛知県生まれ、福岡県育ち。「海」同人。旧姓「中村浩子」名で、イタリア食文化文筆・翻訳家。第28回海賞受賞。第4回石田波郷俳句大会角川学芸出版賞受賞。俳人協会会員。



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