連載・よみもの

【#16】秋の夜長の漢詩、古琴


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#16】


秋の夜長の漢詩、古琴

青木亮人(愛媛大学准教授)


秋の夜長には漢詩を読むことが多い。例えば、和漢朗詠集に収められた白居易の詩を見てみよう。

“秋夜長 々々無眠天不明

(秋の夜長し 夜長くして眠ることなければ天も明けず)

耿々残燈背壁影 蕭々暗雨打窓声

(耿々たる残燈の壁に背けたる影 蕭々たる暗き雨の窓を打つ声)“

唐の玄宗皇帝の時代、ある女性が美貌ゆえに宮中に召されたが、皇帝の寵を独占する楊貴妃に妬まれたため、その女性は東都の上陽宮に退き、虚しく年を重ね、静かに老いていった……という宮女の傷ましい生涯を詠んだ詩である。

時の帝に召された宮女は様々な政治事情や後宮の権謀術数に翻弄され、ほぼ幽閉されるように一生を虚しく過ごしたという。「上楊 白髪の人」と称された宮女の生涯や人となりは知るよしもないが、冷たい秋霖が窓を打つ夜に、空ろな孤愁に蝕まれゆく宮女の佇まいを思いやると何ともいえない気分になるのだ。

あるいは、魏の院籍の「詠懐詩」も秋夜に口ずさむと味わいがある。

“夜中不能寐 (夜中 寐ぬる能わず)

起坐弾鳴琴 (起ち坐りて鳴琴を弾ず)

薄帷鑑明月 (薄帷 明月に鑑〔て〕らされ)

清風吹我衿 (清風 我衿を吹く)”

大器と才覚に恵まれ、経世済民の志を抱く院籍だったが、乱世にはびこる偽善や人心の乱れに絶望し、また延々と繰り広げられる政争の虚々実々にやりきれなさと身の危険を感じたため、無礼を働く大酒飲みとして世に処し、竹林の七賢の領袖として人生を過ごした。

かような彼にとっての秋夜は、常日頃やり過ごそうとした様々な想いが噴き上がるように胸中に蘇り、眠りに就くことすら出来ない煩悶と憂愁の念に彩られる時間だった。その院籍に出来ることといえば、せめて琴を弾じ、清風に身を委ねることぐらいだ。

秋の夜長にこういった漢詩を繙く時、中国古楽器の音楽を流すといかにも文人趣味的な雰囲気が濃くなる。例えば、呂培原先生の「流水」あたりは聴きやすい演奏だ。

秋の夜長に古琴の調べを聴きながら漢詩を読み、季節のうつろいの中で憂愁の人生を送った人々に思いを馳せ、人の世は昔から変わらないことをしみじみ実感する。 こんな風に中国風文人趣味にひととき浸り、ふと我に返った時、何とも安逸な趣味であることに気付き、少し苦笑するのも秋夜ならではの風趣かもしれない。

【次回は11月15日ごろ配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】
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>>[#14] 「流れ」について
>>[#13-4] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(4)
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>>[#2] 猫を撮り始めたことについて
>>[#1] 「木綿のハンカチーフ」を大学授業で扱った時のこと



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