神保町に銀漢亭があったころ【第58回】守屋明俊

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銀漢亭という故郷

守屋 明俊(「未来図」同人)

20年ほど前になるでしょうか、伊藤伊那男さんと初めてお目に掛かったのは。「俳句朝日」の誌上句会に呼ばれ、大上朝美編集長の時代でした。大上さんの司会で、「木語」の山田みづえ先生がいらっしゃり、伊那男さんも同席されていました。

伊那男さんはすでに句集『銀漢』で俳人協会賞を受賞していて、僕も「未来図」編集長に就き第一句集『西日家族』を出版したばかり。伊那男さんは51歳。僕は一つ年下で共に働き盛りでした。その句会で伊那男さんは堂々とご自身の秀作を出句しておられ、愚作だらけの僕にはとても眩しかったですね。

お話を伺うと伊那駒ヶ根のご出身とか。奇遇ですね、僕も伊那高遠の藤沢で産湯に浸かったんですよと、その時に申し上げたかも知れません。ただし、僕は産湯に浸かっただけで実際は浅草育ち。父母たちが歌える県歌の「信濃の国」も歌えませんから、信州人とは言えません。でも生まれた土地には憧れがあります。伊那出身と聞いただけでジーンと来たんです。

銀漢亭にお邪魔したのは現役の最後の方だったか、まだ通勤定期券が使えて、僕は新宿経由だったのでお茶の水に出て歩いたものです。お茶の水は中学高校の6年間、大学時代の2年間、計8年間過ごしたところだったので、懐かしいこともありました。

毎週来る皆さんを羨ましく思いつつ、年に数回の伊那男さんとの出会いを楽しませてもらいました。 懐の深い方で、僕が頻繁に発する駄洒落をにこにこ笑いながら、嫌がる素振りも見せず受け止めてくださった。人との会話が極度に苦手な僕は、その空間を埋めるための駄洒落をジョン・コルトレーンのサックスのように連発していたのです。

銀漢亭の閉店、本当に残念です。美酒も、手作りの美味しい肴も、馬肉も鯨も、新潟の若井新一さんの作る野菜ももう食べられません。またお目に掛かれる機会があればと。

「未来図」も終刊となり、僕もこれから正念場を迎えます。また愚痴とか駄洒落を聞いてやってください。兎に角、お元気で! 銀漢亭で出会った多くの皆様方と、心の中で乾杯!! ありがとうございました。感謝。

(とある年の亭主・伊那男さんの誕生日会にて)

【執筆者プロフィール】
守屋明俊(もりや・あきとし)
人生下り坂ですが、これからです、自由に俳句を楽しめるのは。実際、仲間と毎週メール句会をしています。これも銀漢亭での「席題」に鍛えられた御蔭です。


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