趣味と写真と、ときどき俳句と【#1】「木綿のハンカチーフ」を大学授業で扱った時のこと

趣味と写真と、ときどき俳句と
【#1】「木綿のハンカチーフ」を大学授業で扱った時のこと

青木亮人(愛媛大学准教授)

文字通りの随筆として、これから様々な話を綴ってみよう。

主に趣味や大学の授業のこと、たまに撮る写真やよく聴いていた曲といった、俳句以外のことを。

2020度前期の大学授業はオンライン実施が早々に決まったため、ある授業で歌謡曲を扱うことにした。

その授業は約120人が受講し、国語や文学にさほど関心のない受講生も少なくない。ゆえにオンラインで教員が話すのみでは持たないと感じ、昭和の歌謡曲「木綿のハンカチーフ」原曲版とカヴァー曲とを聴き比べて考察するという内容を思いついた。

「木綿のハンカチーフ」は1975年に太田裕美が発表し、約120万枚の大ヒットを記録した歌謡曲である。太田は翌年から紅白歌合戦に出演し続けるなど歌手としての地位を築いた曲であり、またあまりに強烈なイメージが定着したため、彼女としては長年に渡り複雑な想いを抱いたことでも知られている。

その後、約四半世紀を経た2002年に椎名林檎がカヴァーし、アルバム『唄ひ手冥利』に収録した。彼女らしいロック色の濃い仕上がりで、特に最後のパートには原曲にないアレンジが加えられている。

授業では太田版と椎名版を聴き比べ、歌詞に綴られた男女関係の解釈にいかなる変化が見受けられるか(または見受けられないか)をグループに分かれて議論してもらった。

議論の前後で、かような話し合いをしてもらうことの意義や具体的な留意点、またそれらのグループワークが文学作品や教科書教材の読解といかなる関係にあるかといったことを話したのだが、細かい話は省き、授業を通じて驚いたことがあった。

授業を終えてしばらく経った後、受講生の何人かと話す機会があり、自然と「木綿のハンカチーフ」の話になった。すると、複数人が次のような感想を述べたのだ。「あの曲を授業で考察するとは予想もしていなかったので、新鮮でした。太田裕美さんの好きな曲だったので、楽しかったです」云々。

その感想を聞いた時、私は少なからず驚いた。受講生(ほぼ2000年生)がなぜ1975年発表の太田裕美の曲を知っているのだろう、と。

内心の動揺を抑えつつ、「木綿のハンカチーフ」を知ったきっかけを聞いてみると、ほぼ全員が「気付いたら覚えていて、好きになった」というので再び驚いた。逆に椎名林檎のヴァージョンは初めて聴いたという学生が多く、私はよけいに混乱してしまった。

学生と音楽の話をすると、日本の曲が好きという人も多い。例えば、荒井由実(松任谷由実ではない)が好きという場合、多くはジブリアニメ経由で知り、好きになる例が多いようだ。ミスチルやスピッツのファンも多く、理由を聞くとご両親がリアルタイムのファンで――つまり現在40~50代で、1990年代に20代あたりの世代――、幼少時から家で聴いていたので好きになったという。

こういった経緯で昔の曲が好きになったのは分かるが、「木綿のハンカチーフ」はどこで知ったのか。本人も覚えていないようで、「さあ…」という感じだった。テレビで流れたのか、youtubeの関連動画で見かけたのか。謎は深まるばかりである。

ところで、彼らの一人が次のように曲の魅力を語ってくれたのは今でも覚えている。「いい曲ですよね。古き良き時代の「男」や「女」のイメージが歌われていて、別れに至る物語性もあって。スマホのない時代の恋愛は大変だったんだなと思いますし、そういう昭和感が好きです」。

なるほどと感じた。彼らにとって「木綿のハンカチーフ」はフィクションとしての懐かしさに彩られた歌詞であり、曲なのだろう。

1970年代生まれの私にとって、「木綿のハンカチーフ」に描かれた男女関係の距離感―スマホもなく、固定電話も気軽にかけられず、飛行機移動は庶民に高嶺の花で、都会と地方の距離がそのまま心理的な遠さになった時代―はぎりぎり実感しうる現実味があり、そのリアル感は現在の学生の受け取り方と異なる気がしたものだった。

そのあたりの学生との肌合いの違いをうかがえるのは授業の醍醐味であり、それでいて年齢や時代を超えて同じ曲を語り合える喜びは得がたいものだ。

椎名林檎による「木綿のハンカチーフ」カバー

【次回は1月15日配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


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