俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第20回】遠賀川と野見山朱鳥

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【第20回】遠賀川と野見山朱鳥

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


遠賀川(おんがかわ)は、福岡県の英彦山(彦山川)と馬見山(嘉麻川)を源流とし、日本最大の炭鉱地帯・筑豊炭田の三炭都であった田川、飯塚、直方を経て響灘に流れる58キロの一級河川の大河。流域には、長崎街道や装飾古墳で全国最大級の王塚古墳があり、九州で唯一鮭が遡上する。北九州の鉄鋼産業を支えた筑豊炭田は、昭和30年代以降エネルギー革命で閉山が相次いだが、幾つかのボタ山(選炭後の岩石や粗悪な石炭を積み上げた山)が往時を偲ばせる。又川筋気質と呼ばれる気風のいい男つぷりは、五木寛之の「青春の門」で名高く、俳優高倉健、医師中村哲が知られる。

穂波川(遠賀川支流)流域のボタ山

火を投げし如くに雲や朴の花     野見山朱鳥 

石炭の貨車つづくことつづくこと   高浜虚子

谺して山ほととぎすほしいまゝ(英彦山)杉田久女

玄室に星の散華や春の闇(王塚古墳)千々和恵美子

(ぼた)山のわらび短し坑夫の妻      西東三鬼

遠賀川大芦原を率てゆけり      高野素十

日本武尊(やまとたける)征きし遠賀の蘆青む     岸原清行

たそがれの菜の花明り遠賀川     広渡敬雄

「朴の花」の句は、句集『曼珠沙華』に収録。昭和21年12月「ホトトギス」六百号記念号の巻頭句で、同時句に「なほ続く病床流転天の川」がある。朱鳥29歳、まさに彗星の様なデビューであった。

遠賀川(提供=遠賀川河川事務所)

直方石炭記念館のある多賀公園に句碑があり、裏には、朱鳥の著『助言抄』の冒頭にある「苦悩や悲哀を得て来なければ魂は深くはならない」が刻されている。「ロマンがあり、且つ実に効果的な手法を駆使して、夏の夕焼けの景を描く。若々しい躍動感が、夏の風景によく呼応している」(林誠司)の鑑賞がある。当時ホトトギスの新進気鋭俳人・波多野爽波は、この巻頭句に羨望とともに、「俺だってやってやるぞ」とのファイトを湧き立たせ、後日この句の短冊を朱鳥に所望したと述べている。画家志望で「火と赤」を愛した朱鳥の絵画的色彩感と青春性が溢れる会心の出世作。病弱な体質、五年余の結核による入院療養にも関わらずこの句の明るさは、朱鳥の情熱によるものかも知れない。

心酔する川端茅舎の「朴散華即ちしれぬ行方かな」に触発され、最も好きな色「赤」を取り込んだとも思われる。

生涯の大半をすごした出生地・直方市に、「野見山朱鳥記念館」があったが、惜しむらくは六年前に閉館した。

多賀公園「火を投げし」句碑

野見山朱鳥は、大正6(1917)年、福岡県鞍手郡直方新町(現直方市)の呉服商の次男として生れ、旧制鞍手中学卒業後、画家を目指して、上京するも結核の再発で帰郷、療養中に読んだ茅舎の句に感銘し、昭和17(1942)年作句開始。但し、茅舎とは生前会うことはなかった。

同20年虚子に師事、翌年に巻頭の快挙となった。虚子の子息池内友次郎から「絵との両立は出来ないから、俳句一本に絞れ」との忠告を受け、絵画(版画)は、余技として、本格俳人の道を歩み始めた。同24年、ホトトギス同人、「菜殻火」創刊主宰、耶馬溪でのホトトギス全国大会で初めて虚子、素十と対面。同25(1950)年、33歳で第一句集『曼珠沙華』を上梓。虚子の有名な序「(さき)に茅舎を失ひ今は朱鳥を得た」を拝し、俳壇に好評のうちに迎えられた。同29年には、第二句集『天馬』上梓。虚子の序は「具体化が不充分な感じがする」と痛烈であったが、朱鳥の虚子を生涯唯一の師と仰ぐ信念は不変だった。 

同30年「生命諷詠」(季題を通して永遠の生命に触れんとする詩精神)を提唱。同33年から8年間、ホトトギスの現状を憂い、橋本鶏二(「年輪」)、福田蓼汀(「山火」)、波多野爽波(「青」)と四誌連合会を結成、宇佐美魚目・大峯あきらとも交友した。同四十二年、五十歳の折「ホトトギス」同人を辞退。入退院を繰り返し句境も著しく静謐で透明となるも、同45(1970)年2月26日、逝去。享年52歳。句集は6冊、死後ひふみ夫人が纏めた『野見山朱鳥全句集』他、『純粋俳句』『川端茅舎の俳句』等の俳論集、評論集多数、3冊の版画集もある。

英彦山神社参道

「朱鳥の晩年の絶唱は、本格俳人そのもの」(飯田龍太)、「朱鳥は自らの晩年を明確に意識して五十二歳で一俳人として自己完結を為す。句集『曼珠沙華』が前期のピーク、茅舎研究で自ら成長し、茅舎を越えた晩年の句集『愁絶』で再び火を放つ」(岡田日郎)、「朱鳥は他界の感覚を持つ俳人、感官を越え出た世界が、しかも感官に与えられるのが詩であり、その世界との交信が出来得た」(大峯あきら)、「晩年の清澄世界も、初期の異端の美の下塗りがあってこそ。近代俳句史の朱鳥は、江戸期の若沖、蕭白、芦雪に連なる」(宗田安正)、「名門「ホトトギス」の最後のプリンス、キリスト教、聖書の影響もある」(冨田拓也)等の評がある。

いちまいの皮の包める熟柿かな

曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて

阿蘇山頂がらんどうなり秋の風

運慶の仁王の舌の如く咳く

雪渓に山鳥花の如く死す

かなしみはしんじつ白し夕遍路 

わが中に道ありて行く秋の暮

胸の上に聖書は重し鳥雲に

炎天を駆ける天馬に鞍を置け

秋風や書かねば言葉消えやすし

仰臥こそ終の形の秋の風

茅舎忌の夜はしづかに天の川

うれしさは春のひかりを手に掬ひ

初秋と思ふはるかだとも思ふ

つひに吾れも枯野のとほき樹となるか

眠りては時を失ふ薄氷

亡き母と普賢と見をる冬の夜

遺句集の『愁絶』の静謐さ、透明さは、話題を集める『正木浩一句集』の死と向きあう真摯で壮絶な句と相通じる。 

和服の似合う芸術家跣で酒も嗜まなかったが、「生命諷詠」を一心に実践し、その裡に川筋気質が脈々と流れていると感じるのは、同じ遠賀川流域に生を受けた筆者の思い入れなのかも知れない。  

(「青垣」20号加筆再編成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


<バックナンバー一覧>
【第19回】平泉と有馬朗人
【第18回】塩竈と佐藤鬼房
【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子
【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
【第13回】神戸と西東三鬼
【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎


【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
【第7回】大森海岸と大牧広
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【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
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