俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第14回】お茶の水と川崎展宏

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【第14回】お茶の水と川崎展宏

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

お茶の水は、東京都千代田区駿河台を中心とした一帯の地名。この地の北側の高林寺の境内に名水が湧き、将軍家御用のお茶の水に使われたのが、地名の由来で、現在JR御茶ノ水駅西口にその石碑がある。


江戸時代は大名・旗本屋敷地であったが、現在では、明治大学、日本大学、東京医科歯科大学等が集まる日本最大の学生街として知られる。又江戸の総鎮守神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂等の宗教施設、神田川に架かる半円アーチの聖橋、井上眼科等有名病院が多数存在している。

  お茶の水駅にすぼめる雪の傘     川崎 展宏

  十六夜やふるき坂照る駿河台     水原秋櫻子

  神田川祭の中をながれけり     久保田万太郎

  働きし人を涼しく聖橋        小島 健

  寒空に鳴るニコライの鐘うごけり  千代田葛彦

  古書店の灯のあつまれる朧かな   石嶌 岳

  冬立つ日マラソン一群神田過ぐ   草間時彦

「雪の傘」の句は、第二句集『義仲』に収録。当駅は、昭和49年から勤務していた明治大学の最寄駅。「授業を終えて雪の中を辿り着いた解放感が窺われ、江戸時代からの地名が現代に蘇っている」(佐藤和夫)。「すぼめる、という平俗な語によって、いくぶん軽めの地名を生かした句」(岸本尚毅)との鑑賞がある。酒豪で知られ、当駅のホームの端から立小便をしたとの伝説がある。

明治大学

川崎展宏は、昭和2(1927)年、海軍士官の父の赴任地広島県呉市に生まれ、父の転任に伴い、佐世保、東京等を転々とした。加藤楸邨が教師として在籍していた東京府立第八中学校(現都立小山台高校)に入学し、学徒勤労動員も経験し、肺浸潤で入院した後、呉の祖父母宅に疎開した。終戦後の昭和25(1950)年、旧制都立高等学校を経て東京大学文学部国文学科に入学。卒業後大学院に籍を置く。肺結核に罹るも新薬ストレプトマイシンで完治した。

同30年、28歳で「寒雷」(加藤楸邨主宰)に初投句、森澄雄、櫻井博道等との交流を深め、澄雄創刊の「杉」の編集長を務めた。同36年、山形県米沢市立(のち県立)米沢女子短期大学に勤務。結婚し長女を得るとともに、評伝『高浜虚子』を著し、金子兜太の句に親しむ等充実した七年間をすごす。同48年、人口に膾炙する跋「俳句は遊びだと思っている。余技という意味ではない。いってみれば、その他一切は余技であり、遊びだから息苦しい作品はいけない」と記した第一句集『葛の葉』を上梓する。同53年、第二句集『義仲』を上梓し、同55年には「貂」を創刊し、代表となる。

平成3(1991)年、第四句集『夏』で読売文学賞受賞。「日経俳壇」を経て「朝日俳壇」選者となり、同10年には、第五句集『秋』で詩歌文学館賞、同11年には、『俳句初心』で「俳人協会評論賞」を受賞する等の活躍振りであった。同16年に「貂」代表を星野恒彦と交替し、入退院を繰り返す。同21(2009)年、八十二歳で逝去。同二十二年『春 川崎展宏全句集』が刊行された。句集は他に『義仲』『観音』『夏』『冬』、評論『四季の詞』。

JR御茶ノ水駅

「感覚の鋭敏、語感の清冽、対象への全身的集中とそれを表現する言葉の激しい抑制との作者内部での見事なコントロール」(大岡 信)、「表現は自由闊達で不羈の精神を孕む一方、一句から立ち上がる抒情は清新で淡い悲しみを秘めている」(稲畑汀子)、「彼の胸中には大事な諸体験が渦巻きのように巡っており、火と水の正反の同時存在がその俳句のおかしくてかなしい味となる」(平井照敏)、「人間探求派の息苦しいものを嫌いながら、紛れもなく息苦しいものを胸中深く抱き続けている」(鍵和田秞子)、「展宏俳句の海の句の多さ、幅の広さ、中身の濃さ! 句の奥には海が鳴り響いている。先の大戦を生きながらえた者の覚悟とも言える、恥を知り、権勢を張ることの虚しさをずっと肝に銘じている俳人」(長谷川櫂)、「もっと無防備であればもっと生き易かったのではないか」(櫂未知子)、「軽妙洒脱、しかしあくまでも気高さを失わない句風」(高柳克弘)等々の鑑賞がある。

要約すれば、『川崎展宏全句集 春』の次の帯文に尽きるであろう。「作風は清涼にして瀟洒、即興・存問の俳句の本質を外さず、虚子の『花鳥諷詠』を遠き地平に据え、『戦後俳句』を俳諧に徹して生き抜いて見せた俳人で、清冽な詩精神と古典への深い造詣、含羞の笑顔がとっておきの俳人であった」。

  「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク(戦艦大和忌日)

  鮎の(わた)口をちひさく開けて食ふ

  人間は(くだ)より成れる日短(ひみじか)

  あつかんにはあらねどもやゝ熱き燗

  かたくりは耳のうしろを見せる花

  鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる

  まつすぐに雨が降るなり夏料理

  夏帽子大国主命かな (阿波野青畝翁)

  潜航艇青葉茂れる夕まぐれ

  秋の蟬松根に斧入れしまゝ (昭和二十年八月十五日以後)

  熱燗や討入りおりた者同士

  赤い根のところ南無妙菠薐草

  喉元のつめたき鶯餅の餡

  桜鯛子鯛も口を結びたる

  夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる (加藤楸邨先生)

  炎天へ打つて出るべく茶漬飯

  白桃の皮引く指にややちから

  箸置に箸八月十五日

  冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ

  骨もまた疲れて眠る龍の玉 (櫻井博道を憶う)

  塗椀が都へのぼる雪を出て

  而シテ見るだけなのだ桜餅

  晩年を隈なく照らす今日の月

葛桜男心を人問はば〉と詠み、生前金子兜太に「次は樫の木になりたい」と述べていた展宏。海軍士官の父を持ち肺浸潤で兵役から除外されたことで、一貫して戦没した先輩、同僚への追悼と、戦中への執拗な拘りの中に俳味と潔癖さが混在した稀なる俳人だったと言える。

(「青垣」32号加筆再編成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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<バックナンバー一覧>
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【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎
【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
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