広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第10回】水無瀬と田中裕明

【第10回】水無瀬と田中裕明

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

水無瀬は、大阪府三島郡島本町の古くから風光明媚な地域で、京都府乙訓郡大山崎の天王山と接する。後鳥羽上皇の「見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ」の名歌で知られる離宮跡は、承久の変で隠岐に流されその地で没し、遺言により建てられた上皇の霊を祭る御影堂が、水無瀬神宮の起となっている。「離宮の銘水」また、宗祇の「水無瀬三吟」でも名高い。

水無瀬神宮

木津川、宇治川、桂川が合流する淀川べりは、谷崎潤一郎の「蘆刈」の舞台でもあり、鵜殿原の蘆は京都御所の雅楽の篳篥の材とされ、蘆焼も当地の風物詩である。詩人三好達治ゆかりの本澄寺には記念館と墓があり、対岸石清水八幡宮の竹林の竹は、嘗てエジソンの白熱電球のフィラメント材料に珍重された。

鵜殿原の蘆原

淀川べりは、谷崎潤一郎の「蘆刈」の舞台

  水無瀬なる小さき雛を納めけり   田中裕明
  雪ながらやまもとかすむ夕かな   宗祇(水無瀬三吟)
  小田べりの水無瀬の紅葉水鏡    阿波野青畝
  遂に空風花ふらす水無瀬宮     能村登四郎
  春や水無瀬ゆるりと雪の舞ひをれば 川嶋一美
  芦刈の眉目佳きはみな男なり    大石悦子
  芦焼いて芦にあらざる物も燃ゆ   名村早智子
  記念館涼し達治の詩の世界     森田峠
  枯れ果てて川の真中は流れをり   山上樹実雄 

「水無瀬なる」の句は、平成6年作、第四句集『先生から手紙』に収録。俳人森賀まりと結婚後4年目の平成2年に水無瀬(島本町若山台)に転居し、三女に恵まれ、華やいだ慎ましやかな家庭だった。「小さき」に裕明らしい含羞もあり、創刊俳誌名も「水無瀬野」としている。

石清水八幡宮

田中裕明は、昭和34(1959)年大阪市生まれ。府立北野高校時代から、短詩型全般を手掛け、「青」(波多野爽波主宰)に入会。京都大学進学後の第一句集『山信』で「二十歳の自分とは、勝負あった」と師爽波を脱帽させ、同57年22歳で当時、史上最年少の「角川俳句賞」を受賞、岸本尚毅と共に、「青」の若手双璧と言われた。その後同59年「晨」創刊に参加、同60年第二句集「花間一壺」を上梓、師爽波死後の平成4(1992)年に「水無瀬野」(後の「ゆう」の母体)を創刊した。「写生と季語の本意を基本に、理屈や意味のない世界が詩の本来の世界とし、詩情を大切にする」をテーマに岸本尚毅も参加し、満田春日、山口昭男、対中いずみ、橋本石火、藤本夕衣等を育てた。

淀川と芦原

同14年、10年間の集大成たる第四句集『先生から手紙』を上梓。茫然として摑み所がなく、擬古典派のやや難解な句風から、家族への暖かなまなざしの句も多くなった。この頃から、骨髄性白血病等のため、入退院を繰り返し、平成17年第五句集『夜の客人』の刊行直前の16年12月30日、逝去。享年45歳。その後、有志の尽力で『田中裕明全句集』が刊行された。同22年には「田中裕明賞」も創設され、若手有力俳人の登竜門となっている。

「その詩質は初期の時代から、夭折には不似合いな懐の深さと大成の似合う大きさと風格があった」(宗田安正)、「伝統派の貴公子でその魅力は一言で言えばなつかしさ」(高橋睦郎)、「その史的意義は、「ホトトギス」の系譜ながら「写生」の神話を打ち破ったこと」(仁平勝)、「裕明俳句には、どこか喪失感がある。埋められない無常観の哀しみが作品に滲み出し、読者の琴線に触れる」(角谷昌子)、「ごく少数の良質の読者がいたから、裕明は次の句、更なる句が書けた」(小澤實)、「取り合わせに今日的な新しい意味を見出し、その技法を最大限に活用している極めて尖鋭的な作家である」(四ツ谷龍)、「伝統的だが古くなく、私的であるが生活臭がなく、虚と実との区別を忘れさせるほど自然である」(岸本尚毅)、「伝統俳句に納まらず、伝統とは、何かを問い質す存在としての裕明俳句は耳で聞く詩歌として似つかわしい」(小川軽舟)等々の鑑賞がある。

ラグビーの選手あつまる櫻の木
大學も葵祭のきのふけふ 
(以上『山信』)
雪舟は多くのこらず秋蛍
悉く全集にあり衣被
ただ長くあり晩秋のくらまみち
渚にて金澤のこと菊のこと
麦秋と思ふ食堂車にひとり 
(以上『花間一壺』)
水涸れて天才少女とはかなし
梨むいてゐるかたはらに児を寝かせ 
秋草のきみをちひろと名づけしは 
(以上『櫻姫譚』)
生年と没年の間露けしや
小鳥来るここに静かな場所がある
水遊びする子に先生から手紙
壺焼やこの人は磨けばひかる
子規の忌を修し爽波の忌を修す
柿の木のぽつと明るき冬構 
原子炉に制御棒あり日短
エヂソンの竹なる竹を伐りにけり
(石清水八幡宮)
どの道も家路とおもふげんげかな
(以上『先生から手紙』)
外へ出てみれば明るし冬の山 
寒の水この手にうけむこころして
(「ゆう」創刊)
けがの子をはげましてゐる櫻かな
一生の手紙の嵩や秋つばめ
空へゆく階段のなし稲の花
目のなかに芒原あり森賀まり
爽やかに俳句の神に愛されて
(発病)
みづうみのみなとのなつのみじかけれ
詩の神のやはらかな指秋の水
教会のつめたき椅子を拭く仕事
木を守り水を守りぬ初あらし
糸瓜棚この世のことのよく見ゆる
(以上『夜の客人』)
仰臥して冬木のごとくひとりなり
(『夜の客人』以後)

死後益々存在感を高める裕明俳句、古今の詩歌に通じ、平明な表現で意表を突く取り合わせながら読者を納得させ得るの妙は天性の才だろう。集中の句に多くみられる「明るい」という言葉が、何故か切ない。 

(「青垣」7号加筆再編成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。



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