広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第50回】 黒部峡谷と福田蓼汀

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【祝☆第50回】
黒部峡谷と福田蓼汀

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


黒部峡谷は、国内最大級の黒部第四ダム上流の上廊下と、下流の下廊下からなり、飛騨山脈を立山連峰、後立山連峰に分断する日本三大峡谷でもある。大町市扇沢から黒四ダムを経て室堂に通ずる立山黒部アルペンルートは観光客で賑わうが、それ以外は本格的登山の領域である。

黒部峡谷下廊下(黒四ダム下流)
黒四ダム放水の虹

秋雲一片遺されし父何を為さん   福田蓼汀

巌紅葉天わたる日に触れむとす   水原秋櫻子

全山の紅葉()れ場を除く他                    山口誓子

岳越えて若葉のダムへ送油管     大島民郎

霧の夜の流木を焚き葬へり           岡田日郎(奥黒部遭難地)    

浄土原てふ山の背にちんぐるま   棚山波朗(室堂)

雪田を隔てしヒュッテ灯りけり   広渡敬雄

〈秋雲一片〉は、福田蓼汀の最愛の次男善明が昭和44(1969)年8月11日、奥黒部ヒュッテ付近の東沢で鉄砲水又は山崩れにより遭難した折の作品群の一句。

黒部第四ダムと赤牛岳黒岳(遭難地:ダム最深部奥黒部ヒュッテ付近)

再三の捜索にも拘らず徒労に終わり、慰霊祭を行ったのち、この遭難をテーマとした涙の絶唱「秋風挽歌」30句を角川「俳句」11月号に発表した。〈秋風や遺品とて磧石ひとつ〉〈晩夏湖畔咲く花なべて供花とせん〉〈吾子踏みし路父踏みて悼む秋〉〈流木に凭りまどろめば風は秋〉〈焚火消す葬るごとく砂をかけ〉等々の作品で、翌年、第四回蛇笏賞を受賞。句集以外の雑誌発表作での極めて異例の受賞であったが、水原秋櫻子は、「愛する令息を山で失った傷心を声の続く限り詠みあげ、人の親としての気持ちを切実に現わした作は古今にない」と絶賛した。

晩秋の室堂より立山三山(雄山大汝山富士ノ折立)

本作品は、「最も山を愛する私が、最も愛する息子を山で失った悲しみ」と、後書に記す第五句集『秋風挽歌』に収録され、「秋雲」の銅板句碑が遭難地点の岩に嵌め込まれた。

蓼汀は明治38(1905)年、山口県萩市生れ、本名は幹雄。長州藩士の父は、乃木希典大将の副官の福田彦助中将で、父の勤務で各地を転々とする。旧制広島高校時代に母ムメ(俳号無声女)の参加する句会に出て俳句を始めた。東北帝大法文学部に入学後、小宮豊隆の「木曜会」のメンバーとなり卒業後、東京の大手損保会社に就職して、丸ビルに高浜虚子を訪ね、「草樹会(のちの東大俳句会)」に加わる。会員の風生、青邨、草田男から啓発を受け、以後青島神社宮司長友寛の長女即子と結婚後に登山を開始し、黒部峡谷を始め、日本アルプスの山行を重ねた。

室堂の紅葉のチングルマ

同15年に発足した「九羊会」(虚子命名、九人の子羊の意味、草田男、たかし、茅舎、立子、汀女、杞陽、正一郎、友次郎、蓼汀)のメンバーとなり、「ホトトギス」同人に推挙され、山口青邨の「夏雲」にも関係を持った。

同18年には次男善明が誕生。戦争中は、山梨県韮崎や埼玉県与野に疎開した。戦後の同23(1948)年11月、43歳の時に第一句集『山火』を上梓し、俳誌「山火」も創刊し主宰となる。 

室堂のダケカンバ

虚子は、序文で「写生への信奉は顕著で、容易に個性が表れない故に、大成した暁には堂々たる作家となろう。また貴公子風で剛健なところは、登山熱に拠る」と述べる。

同27年に上梓した第二句集『碧落』は、柴田白葉女の「蕪村的なものから芭蕉的、深い観照的態度が見え、独自の句境となった」との鑑賞がある。この年から、後の「山火」の後継主宰となる岡田日郎が編集長となった。

第三句集『暁光』は、野見山朱鳥が「大自然を愛し、孤独を求める精神が伝える山の姿、山の威であり、更に山霊に触れんとする命である。山岳俳句を代表する蛇笏、普羅の骨格を引き、更に近代の息吹を与えている」と絶賛した。

同32年、「年輪」(橋本鶏二)、「菜殻火」(野見山朱鳥)、「青」(波多野爽波)と、新人の顕彰と伝統の中での新しさの追求を掲げ四誌連合会を結成する。同37(1962)年、俳人協会幹事として結成の世話役となり、その後社団法人設立後に理事、副会長の要職を務めて重きをなした。

黒部アルペンルートケーブルカー

第四句集は、『源流』。直弟子岡田日郎が、本句集から次句集『秋風挽歌』の前半までが、蓼汀俳句の最高峰と称し、「山岳俳句こそ、蓼汀調というべき個性豊かな巨花を開かしめた主観的、動的、感動的写生句」と述べる。虚子が指摘したように大器晩成の堂々たる作家となったのである。

写生を押しすすめて写生を突き破ったとも言える。蓼汀の「写生」に関する考えは、写意も含めた心象風景で、対象を凝視し、確実に把握し、的確に描写することとし、具象化を拠り所としている(『四季讃歌』)。

又、同49年の69歳の折には、日本の三〇〇〇㍍峰全山を踏破した。第六句集『霰』は、引き続き愛児善明鎮魂の句が多いが、八十歳代を迎えての第八句集(遺句集)『神の山仏の山』は、無常観の翳りを深めつつ、命終への予感を漂わせる。「殊に句帳最後の句〈神の山仏の山も眠りけり〉は、句の格も備わり「山岳俳句」の領域を開拓した蓼汀にふさわしい」(日原傳)と評された。

弥陀ヶ原(室堂)

昭和63年(1988年)1月18日逝去。享年82歳。有馬朗人は「山男に共通する孤高、人なつかしさのある詩人」と偲んだ。先述以外の句集に『福田蓼汀全句集』、評論・随筆に『黒部幻影』『四季讃歌』がある。

山葵田を溢るる水の石走り

わが胸をふたつに断ちて華厳落つ(日光)

福寿草家族のごとくかたまれり

幽明の境の尾根を月照らす

河鹿笛聴くわれ一塊の岩となり(奥利根・宝川温泉)

生涯にかかる良夜の幾度か

秋風やいただき割れし燧岳 (尾瀬)

雲海の音なき怒濤尾根を越す(木曽駒ケ岳)

我等父子雷鳥親仔と尾根に逢ふ

神々の座とし春嶺なほ威あり

髭白きまで山を攀ぢ何を得し

山降りてすぐ山を恋ふ十三夜

連嶺に礼して年の改まる

さすらひの冬の孤蝶に逢ひしのみ

本格的な山岳俳人として、蛇笏、普羅とは異なる「山岳俳句」の新境地を作った。長州藩士族の家系を生涯誇りとしたが、俳人とサラリーマンとの両立には苦悩した。  

(「青垣」26号 加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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