広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第46回】 但馬豊岡と京極杞陽

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【第46回】
但馬豊岡と京極杞陽

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


但馬は兵庫県の日本海岸寄りの地域。その山深い地勢から「谷間」が名の起源。記紀や「播磨国風土記」には、新羅王子天日槍の渡来定住説話があり、古くから大陸との繋がりが見られる。舒明天皇の代からの名湯城崎温泉と白壁の街並みが美しい小京都出石の中間に位置する豊岡は、日本海に注ぐ円山川流域の政治経済の中心地である。

城崎温泉(きのさき観光協会)

コウノトリの郷公園、火山活動によりマグマが冷えて固まった柱状節理の玄武洞等で名高く、江戸時代初期より京極家一万五千石の豊岡藩が明治まで続いた。忠臣蔵の大石内蔵助の妻りくは同藩家老石束源五兵衛毎公の娘である。

コウノトリ(兵庫県立コウノトリの郷公園)

おもむろに晴れ上りたる雪山河    京極杞陽

湯女を乗せ円山川の雪見舟      阿波野青畝

盆過ぎて但馬へ峠越えをせし     細見綾子

城崎に来て春少しあともどり     稲畑汀子

冬日さへ褪せて越えゆく辰鼓櫓(出石) 桂樟蹊子

遺されし人らに杞陽ざくらかな    山田弘子

こふのとりの餌場(えば)は穭となりにけり  尾池葉子

駕籠石の残されしまま木の葉雨(亀城館)山田佳乃

「雪山河」の句碑は、豊岡市の中心・神武山(標高四九㍍)の本丸跡に昭和五十七年建立、豊岡の街が一望出来る。豊岡藩十三代当主(殿様)京極杞陽の句碑にふさわしい場所であり、亀城館はその山麓にある広大な京極家本邸。

神武山からの豊岡市街

京極杞陽は、明治41(1908)年、子爵・貴族院議員京極高義の長男として、東京市本所区亀沢町に生まれ、大正12(1923)年9月1日、学習院中等科三年の十五歳の時、関東大震災で一人の姉を残し祖母、両親、弟妹の計七名と死別、生家も焼失した。昭和9(1934)年、東京帝大文学部倫理学科を卒業。その前年には大和郡山藩旧藩主・伯爵柳沢家の昭子と結婚をしている。

欧州遊学中の昭和11年4月、虚子が訪れた伯林日本人句会の〈美しく木の芽の如くつつましく〉が、虚子に注目され、生涯の師弟関係となる。「外国での虚子との偶然に近い出会いから本格的俳人となった故、出世作というより運命的な句と言う方が適切だろう」(清水哲男)。同十二年からは宮内省式部官、終戦後は短期間、貴族院議員を務めた。

亀城館の壁と門 (『京極杞陽の世界』より転載)
亀城館の奥庭(『京極杞陽の世界』より転載)

同12年11月、「ホトトギス」初巻頭、同15(1940)年には同人となる。巻頭は通算九回を数え、川端茅舎、中村草田男、中村汀女、星野立子、松本たかし等と「九羊会」結成し、4S以後のホトトギスの主要俳人となる。

終戦後豊岡に帰郷。同21年7月、地元誌「木兎」を再刊主宰、第一句集の『くくたち上巻』、同22年には『くくたち下巻』を上梓。虚子の精選に加え、手放しの愛情に充ち溢れる序文がある。再三小諸に虚子を訪ね、また豊岡に虚子を招いたほか、虚子の旅には頻繁に同行し、忠誠心は終生変わらなかった。虚子死後の昭和36(1961)年には、第二句集『但馬住』、その後『花の日に』『露地の月』を上梓し、昭和56(1981)年11月8日、心不全で逝去。享年73歳。翌年遺句集『さめぬなり』が刊行された。

辰鼓楼(但馬國出石観光協会)

「総じて杞陽俳句は喜びよりは悲しみが、技術より着眼が、意志よりは諦めがまさり、俳句的技術を使わず、逆に筋の良さを際立たせる自然で気負いのない句作りを真骨頂とする」(小林恭二)、「虚子によりその詩才を見出され、生涯虚子を信頼してやまなかった特異な存在として異彩を放つ」(山田弘子)、「生まれながらの明るさと大いなる喪失体験の虚無感の両方を否定せず、生のよろこびとさびしさとを両立させた。青空と大地―我々が無一物で再出発する時、必ずこのふたつは待っていてくれる」(櫂未知子)、「個性的で自由な作風と研ぎ澄まされた美の感性で「ホトトギス」でも異色を放った存在、その崇高な人柄と魅力的な人物像、作品群は今も多くの人を魅了している」(山田佳乃)等々の鑑賞がある。

都踊はヨーイヤサほほゑまし

香水や時折キッとなる婦人 

遊船の中なる莨盆が見ゆ

浮いてこい浮いてこいとて沈ませて

春風や但馬守は二等兵(招集・朝鮮平壌に入営)

アイスクリームおいしくポプラうつくしく

蠅とんでくるや箪笥の角よけて

スエターの胸まだ小さし巨きくなれ

野菊にも雨ふりがちの但馬住

妻いつもわれに幼し吹雪く夜も

西行忌なりけり昼の酒すこし

秋風の日本に平家物語

月一つ見つづけて來しおもひあり

うまさうなコップの水にフリージヤ

さめぬなりひとたび眠りたる山は

花鳥諷詠虚子門但馬派の夏行

虚しきが故に虚子忌に参ずなり

トトトトと鳴る徳利や桜鯛

この世とはかなかな蝉の鳴くところ

こゝも亦元禄義挙の花の跡 (正福寺・りく遺髪塚)

関東大震災は杞陽の人生観、死生観に生涯にわたり大きく影響を与えたことは、まぎれもない事実であり、震災から三十五年後にようやく「わが知れる阿鼻叫喚や震災忌」「電線のからみし足や震災忌」等を作った。阪神淡路大震災、東日本大震災に俳句はどう向かい合うべきかが真剣に論じられる昨今、杞陽が生存していたら、どのような思いを語るのか、又どんな俳句を作るのかが大いに気になる。

「喪失」のもたらす大きさを埋めてくれる巨大な存在=虚子に魅かれ、師と仰ぎつつも「マイペース」で自分の才能を大事にし虚子に吸収されることがなかった。

現在師弟関係のあり方について何かと論じられることが多いが、杞陽のこの有り様は大いに参考になろう。「ホトトギス」雑詠にある有名な〈性格が八百屋お七でシクラメン〉を第一句集『くくたち』に入れ忘れたと、あっけらかんと言う杞陽の殿様的大らかさも魅力のひとつでもある。

(「青垣」21号、加筆再構成)

神武山句碑

【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

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【第44回】安房と鈴木真砂女
【第43回】淋代海岸と山口青邨
【第42回】山中湖と深見けんニ
【第41回】赤城山と水原秋櫻子
【第40回】青山と中村草田男
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