広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦

【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

湘南・大磯は、相模湾を望む風光明媚な地にあり、相模の国府が置かれ、「相模路のよろぎの浜のまなごなす児らはかなしく思はるるかも」と詠われ、万葉の世に歌枕となった。東海道の宿場で、明治になり日本で最初の海水浴場が開かれ、伊藤博文他政財界貴族の別荘や島崎藤村等作家の邸宅地となった。(戦後も吉田茂邸)。その一角に鴫立沢はあり、西行法師がみちのくに下った折の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」の歌は、寂蓮や藤原定家の秋の夕暮の歌共々に「三夕の歌」として知られる。

寛文4(1664)年、小田原崇雪が西行を慕い、鴫立沢の辺に草庵を結んだのが始まりで、元禄8(1695)年、江戸の俳人大庭三千風が俳諧道場として「鴫立庵」を再建。その後加舎白雄等が代々庵主を務めた。瀟洒な藁葺き造りで、京都落柿舎、滋賀無名庵と共に日本三大俳諧道場の一つで、毎年3月末の桜の頃に「西行祭」俳句大会が催される。近年では、村上古郷、草間時彦、鍵和田秞子、本井英が庵主を務め、庵内の200坪の庭園に西行堂(円位堂・文覚上人作の西行木造)、観音堂他、句碑、墓碑がある。

鴫立庵しぐれ冷えしてゐたりけり  草間時彦
夕月や鴫たつさはの影法師     大庭三千風
吹きつくし後は草根に秋のかせ   加舎白雄
三夕の一夕の浦西行忌       阿波野青畝
とざされし西行拝む片紅葉     大野林火
円位忌の波の無限を見てをりぬ   鍵和田秞子
蜘蛛消えて只大空の相模灘     原 石鼎 

〈鴫立庵〉の句は昭和六十三年の作で、句集『典座』に収録。「時雨模様の底冷の一日。しぐれ冷えとは雨戸と障子で硝子戸のない鴫立庵そのもの」(井越芳子)の鑑賞がある。

鴫立庵の入口(撮影=鴫立庵)

草間時彦は、大正9(1920)年、東京生まれ、鎌倉で育つ。父時光は馬酔木同人俳人で鎌倉市長を務めた。胸部疾患で武蔵高校退学後、昭和24(1949)年、「馬酔木」初投句、その後三共製薬(株)に入社し、石田波郷に師事し「鶴」入会。同36年、俳人協会設立により現代俳句協会を退会した。同40(1965)年、45歳で第一句集『中年』を上梓し、同43年、鷹羽狩行、岡田日郎等と「塔の会」を結成した。

句集『淡酒』『櫻山』上梓後、昭和50年、勤務先を定年退社し、俳人協会事務局長として、俳句文学館建設に専従。「鶴」を退会し無所属となり、同53年、俳人協会理事長となった。講談社『日本大歳時記』編集に従事すると共に、同62(1987)年、大磯鴫立庵第21世庵主を継承し、14年間務めた。角川選書『食べもの俳句館』、『旅・名句を求めて』等のエッセイも執筆し、「現代俳句は真面目過ぎて、このままでは痩せてしまう。「言葉の遊び」として「恋」も題材に入れた方が良い」(『近代俳句の流れ』)と主張した。平成5(1993)年に理事長退任。同11年には、句集『盆点前』で第14回詩歌文学館賞、更に同14年には句集『瀧の音』で第37回蛇笏賞を受賞したが、受賞式を待たず、同15(2003)年5月26日、腎不全で逝去。享年83歳。句集は他に『朝粥』『夜伽」『典座』、『花神コレクション俳句草間時彦』『自註草間時彦集』、評論集『伝統の終末』『俳句十二か月』、エッセイ『淡酒亭歳時記』等がある。  

「食べ物俳句は時彦の本領発揮で独断場。師波郷とは明らかに別の独自の美的世界を構築した」(岡田日郎)、「究極の私俳句」(成田千空)、「ひたすら静かで照れのポーズとも称されたが、バランス感覚が良かった」(今井杏太郎)、「文人俳人で、連句は極道の果ての文学と言って楽しんだ」(本井英)、「波郷の「鶴・境涯俳句」の重苦しさからの解放である「明るいユーモア」を叶えたのが時彦。韻文精神を守り「サラリーマン」「食べ物」も含め闊達な俳味ある独自の句境を拓いた。無常観を超克して諧謔に昇華させ、人生即ち俳句を実践した一生だった」(角谷昌子)等々の鑑賞がある。

冬の夜の金柑を煮る白砂糖
さうめんの淡き昼餉や街の音
公魚をさみしき顔となりて喰ふ
大粒の雨が来さうよ鱧の皮 
(以上食べ物)
冬薔薇や賞与劣りし一詩人
水仙やひそかに厳と昇給差
秋鯖や上司罵るために酔ふ 
(以上サラリーマン)
色鳥やきらきらと降る山の雨
茶が咲いて肩のほとりの日暮かな
足もとはもうまつくらや秋の暮
熟れ柿を剝くたよりなき刃先かな
山国の空に游べる落花かな
ネクタイをする日しない日いてふ散る
甚平や一誌持たねば仰がれず
花冷の百人町といふところ 
俳句文学館成る
色慾もいまは大切柚子の花
波郷忌や落葉がくれに蕎麦と酒 
深大寺
胡桃噛むバッハは真面目過ぎていや
忘れ物しさうな日なり濃山吹
牡蠣食べてわが世の残り時間かな
ねんごろに贋端渓を洗ひけり
千年の杉や欅や瀧の音  
東吉野村にわが句碑成る
年寄は風邪引き易し引けば死す

生涯主宰にもならず俳人協会に貢献し、風雅な志を貫いた。結核で学業を中断し、立身出世には恵まれぬサラリーマン生活だったが、卑屈にもならず人望が厚かった。含羞のある軽妙洒脱な俳人で滋味溢れる名文家でもあった。

(「青垣」2号加筆再編成 転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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