広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第57回】 隠岐と加藤楸邨


【第57回】
隠岐と加藤楸邨

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


隠岐は、島根半島北方50キロの日本海にあり、島前(どうぜん)(知夫里島・西ノ島・中ノ島)、島後(どうご)の計180余の島からなる。古来より遠流の地とされ、小野篁、伴健岑、後鳥羽上皇、後醍醐天皇等が流された。江戸時代は天領で、北前船の風待ち港として栄えた。全島が大山隠岐国立公園(その後隠岐ユネスコ世界ジオパークにも)、国賀海岸は海食崖の景勝地で、隠岐牛が放牧され、牛突き=闘牛が名高い。

西ノ島国賀海岸牧草地

隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨

鰯雲遠見る癖の隠岐の子ら     能村登四郎

隠岐枯れて空の波紋をたたみくる  石原八束

胴震ひして隠岐牛の雪払ふ     石 寒太

石の戸のここな木の実の降りしきる(隠岐行宮)宇多喜代子

ちるさくら御火葬塚を奥ざまに(後鳥羽院山陵)横澤放川

烏賊飯や秋の潮満つ隠岐郡     棚山波朗

入道雲恩師の如き牛に遇ふ     今井 聖

八十八夜の波がいざなふ隠岐の島  谷中隆子

わが航も飛魚も隠岐目指すかな   木暮陶句郎

絶壁の際に降り来る夕雲雀      下手泰子

〈隠岐や〉は、太平洋戦争開戦九ヶ月前の昭和16年3月の隠岐行「後鳥羽院御火葬塚三十三句」の一句で、他に〈炎だつ木の芽相喚ぶごとくなり〉〈隠岐の院春寒くここに果てましき〉〈水温むとも動くものなかるべし〉がある。

楸邨が最も愛着のある第三句集『雪後の天』に収録。他の隠岐吟〈牧の牛濡れて春星満つるかな〉〈鳥雲に隠岐の駄菓子のなつかしき〉も知られ、当地に句碑がある。自註に、「私の心の中の怒濤が次第に隠岐の怒濤と一つになり始め、滲み合う様に内と外とが重なり合って来た」と記す。

「楸邨の隠岐行は、後鳥羽院への追懐と芭蕉への思慕であり、胸中の「かなしび」・「ひとりごころ」(芭蕉晩年の究極の孤独感)と戦時下の時流への「いきどおり」であった」(山本健吉)、「木の芽(生命力)と怒濤(生命を脅かすもの)のみを描く省略の妙に、「木の芽」の季感が加味されて雄勁な景を描破し、院への哀悼の念を深く伝える」(鷹羽狩行)、「内に込められた力が、時に風を得て早春の海面を怒濤の様に崩していく。芽吹く命を取り囲む荒れ狂う波にも、父性の面影は宿っている」(饗庭孝男)、「島全体を鳥瞰する様な高さに視点を置いて、風景を凝縮する捉え方は、現在の映像処理技術に通じる新しさがある」(行方克巳)、「隠岐行以降、「寒雷」で唱導する理念「真実感合」へ作風が一大転換した」(江中真弓)等々の鑑賞がある。平成十二年より「隠岐後鳥羽院俳句大会」が行われている。

後鳥羽院山陵

加藤楸邨は、明治38(1905)年、東京都大田区北千束に生まれ、鉄道官吏の父の転勤で、関東、東海、東北、北陸と転々とし、金沢一中卒業後、父の病臥で進学を諦め、その死後母弟妹と上京、水戸で代用教員後、東京高等師範第一臨時教員養成所に入学。結婚後埼玉県立粕壁中学の教員となった。同僚の勧めで俳句を始め、水原秋櫻子「馬酔木」に入会し、馬酔木賞受賞後、昭和12(1937)年、石田波郷と共に「馬酔木」の編集をしながら、東京文理大学(現筑波大学)通った。同14年、第一句集『寒雷』を刊行、又『俳句研究』(8月号)の座談会を機に、波郷、草田男らと共に「人間探求派」と呼ばれるようになった。

同15年大学卒業後に府立八中教師となり、「寒雷」を創刊主宰。「馬酔木」同人を辞し、大本営報道部嘱託として中国太陸や各地を回った。大空襲で自宅焼失後の戦後同21(1946)年、「寒雷」復刊、青山学院女子短期大学教授となり、句集『火の記憶』『野哭』『起伏』『山脈』等意欲的に上梓。同43(1968)年、『まぼろしの鹿』で蛇笏賞受賞し、朝日俳壇選者、日本芸術院会員となり、『怒濤』で詩歌文学館賞受賞。その後第一回現代俳句大賞,朝日賞受賞後、平成5(1993)年逝去。享年八十八歳。

加藤楸邨句碑

句集は他に『吹越』『猫』『加藤楸邨全句集』、評論『芭蕉講座』『奥の細道吟行』、シルクロード紀行『死の塔』がある。「寒雷」は同30年に終刊、『暖流』に継承された。

「後鳥羽の文学を継承したのは「水無瀬三吟」の宗祇、「柴門ノ辞」の芭蕉、そして「雪後の天」の楸邨である」(目崎徳衛)、「一句集ごとに見事に「螺旋志向」で変貌を遂げ、加えて虚子に並ぶ挨拶句の名人」(石寒太)、「楸邨は俳句にも人の俳句にも、自分の句にも常に否定精神を持つ」(中村和弘)、「楸邨の本質は、ヒューマニズム、正しい生き方、箴言的表現でなく、一回性の対象との出会いを通して「私」を刻印すること」(今井聖)等々の評がある。

棉の実を摘みゐてうたふこともなし

かなしめば鵙金色の日を負ひ来

蟻殺すわれを三人の子に見られぬ

鰯雲人に告ぐべきことならず

寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃

長き長き春暁の貨車なつかしき

蟇誰かものいへ声かぎり

蝸牛いつか哀感を子はかくす

白地着てこの郷愁の何処よりぞ

十二月八日の霜の屋根幾万

毛糸編はじまり妻の黙はじまる

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ(空襲で自宅焼失)

雉子の眸のかうかうとして売られけり

死ねば野分生きてゐしかば争へり

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる

木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び

落葉松はいつめざめても雪降りをり

しづかなる力満ちゆきばつたとぶ

原爆図唖々と口あく寒鴉

洋梨はうまし芯までありがたう(川崎展宏へお礼返信)

おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ

ふくろふに深紅の手鞠つかれをり

天の川わたるお多福豆一列

百代の過客しんがりに猫の子も

「楸邨山脈」と称され、伝統俳句系の森澄雄、社会性俳句・前衛俳句の金子兜太までの多様な俊英俳人を輩出し、牛の様な存在感がある。教師俳人の能村登四郎、鍵和田秞子と同様、人間としての魅力があり、門下の個性・作風を尊重し、門下には基本的に「自己肯定」があった。

(「たかんな」令和5年1月号加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第56回】 白川郷と能村登四郎
【番外ー3】広島と西東三鬼
【番外ー2】足摺岬と松本たかし
【第55回】甲府盆地と福田甲子雄
【第54回】宗谷海峡と山口誓子
【番外ー1】網走と臼田亞浪
【第53回】秋篠寺と稲畑汀子
【第52回】新宿と福永耕二
【第51回】軽井沢と堀口星眠
【第50回】黒部峡谷と福田蓼汀
【第49回】小田原と藤田湘子
【第48回】箕面と後藤夜半
【第47回】房総・鹿野山と渡辺水巴
【第46回】但馬豊岡と京極杞陽
【第45回】池田と日野草城
【第44回】安房と鈴木真砂女
【第43回】淋代海岸と山口青邨
【第42回】山中湖と深見けんニ
【第41回】赤城山と水原秋櫻子


【第40回】青山と中村草田男
【第39回】青森・五所川原と成田千空
【第38回】信濃・辰野と上田五千石
【第37回】龍安寺と高野素十
【第36回】銀座と今井杏太郎
【第35回】英彦山と杉田久女
【第34回】鎌倉と星野立子
【第33回】葛城山と阿波野青畝
【第32回】城ヶ島と松本たかし
【第31回】田園調布と安住敦
【第30回】暗峠と橋閒石

【第29回】横浜と大野林火
【第28回】草津と村越化石
【第27回】熊本・江津湖と中村汀女
【第26回】小豆島と尾崎放哉
【第25回】沖縄・宮古島と篠原鳳作
【第24回】近江と森澄雄
【第23回】木曾と宇佐美魚目
【第22回】東山と後藤比奈夫
【第21回】玄界灘と伊藤通明

【第20回】遠賀川と野見山朱鳥
【第19回】平泉と有馬朗人
【第18回】塩竈と佐藤鬼房
【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子
【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
【第13回】神戸と西東三鬼
【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎


【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
【第7回】大森海岸と大牧広
【第6回】熊野古道と飯島晴子
【第5回】隅田川と富田木歩
【第4回】仙台と芝不器男
【第3回】葛飾と岡本眸
【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
【第1回】吉野と大峯あきら



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 「パリ子育て俳句さんぽ」【4月23日配信分】
  2. 秋櫻子の足あと【第4回】谷岡健彦
  3. 【新連載】茶道と俳句 井上泰至【第1回】
  4. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2024年1月分】
  5. ゆる俳句ラジオ「鴨と尺蠖」【第6回】
  6. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第40回】 青山と中村草田男…
  7. 【#43】愛媛県歴史文化博物館の歴史展示ゾーン
  8. 【第4回】ラジオ・ポクリット(ゲスト: 大西朋さん・白井飛露さん…

おすすめ記事

  1. 【夏の季語】扇風機
  2. 【書評】柏柳明子 第2句集『柔き棘』(紅書房、2020年)
  3. 水を飲む風鈴ふたつみつつ鳴る 今井肖子【季語=風鈴(夏)】
  4. 【冬の季語】実南天
  5. 趣味と写真と、ときどき俳句と【#03】Sex Pistolsを初めて聴いた時のこと
  6. 【冬の季語】十二月
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第63回】三輪初子
  8. 神保町に銀漢亭があったころ【第127回】鳥居真里子
  9. 【新年の季語】小豆粥
  10. 【新年の季語】小正月

Pickup記事

  1. 神保町に銀漢亭があったころ【第31回】鈴木忍
  2. 未来より滝を吹き割る風来たる 夏石番矢【季語=滝(夏)】
  3. 冬深し柱の中の波の音 長谷川櫂【季語=冬深し(冬)】
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第98回】森羽久衣
  5. 寝室にねむりの匂ひ稲の花 鈴木光影【季語=稲の花(秋)】
  6. 男衆の聲弾み雪囲ひ解く 入船亭扇辰【季語=雪囲解く(春)】
  7. よし切りや水車はゆるく廻りをり 高浜虚子【季語=葭切(夏)】
  8. しばれるとぼつそりニッカウィスキー 依田明倫【季語=しばれる(冬)】
  9. サフランもつて迅い太子についてゆく 飯島晴子【季語=サフランの花(秋)】
  10. 天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部 加倉井秋を【季語=落葉(秋)】
PAGE TOP