俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第8回】印南野と永田耕衣

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

【第8回】印南野と永田耕衣

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

旧播磨国は兵庫県中南部に位置し、古代には大和朝廷と西の吉備との二大勢力間にあり、特殊な地位を占めた。印南野はその加古川東岸の台地で、都と大宰府を結ぶ官道沿いに位置し、万葉集時代からの歌枕の地でもあり、柿本人麻呂の「印南野も行き過ぎがてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ」、山部赤人の「印南野の浅茅押しなべさねる夜のけながくしあれば家し偲はゆ」等、十数首がある。

神亀3年(726年)には、聖武天皇の御幸。清少納言は、嵯峨野に次ぐ二番目の野として枕草子に記している。但し、実際に行ったとの記録はなく、おそらく風評、万葉集等で形成された彼女の心象風景なのだろう。もともと水利が悪く茅の原野であったが、大小のため池が造られ、江戸時代には、田が開かれた。

月の出や印南野に苗余るらし   永田耕衣
印南野は花菜曇りの神代より   鈴鹿野風呂
印南野の水温むけふ雨ながら   岩井英雅
田水湧く播磨に鍛冶の神多し   吉本伊智朗
新燃えの藁火かすむは播磨野か  赤尾兜子
播州の海の明るき穴子かな    成瀬櫻桃子
鳥渡る播州平野音もなし     西村和子

〈月の出や〉の句は、第五句集與奪鈔』に収録。昭和十八年作と戦争最中にもかかわらず、何一つその気配がない。良い意味で唯我独尊の耕衣の一境地でもある。月の出やと、ゆっくりと切り出し、「NA」が韻を踏んで、読者の脳裏に暮れなずむ植田の景を浮かび上がらせる。この句で、「印南野」は俳枕となったと言っても過言ではない。

「耕衣の郷土賛美の句,大景を捕え、歌枕の地名を詠い込み、美しい余情に富んでいる」(山本健吉)、「私の育った俳句の土壌と同じように思え、直ぐ馴染み且つ虜になった瑞々しい忘れ難い愛誦句」(藤田湘子)、「満目の植え苗のいとけなさと、植え終えた人々の静かな充足感が渾然と読者の胸中に広がってくる」(友岡子郷)等々の鑑賞がある。

永田耕衣は、明治33(1900)年、兵庫県加古郡尾上村(現加古川市尾上町)に生まれ、本名は岩崎軍二。

6歳で母系永田家を継ぎ、兵庫県立工業学校卒業後、三菱製紙高砂工場に就職、抄紙機で右指組織壊滅の負傷をし、兵役を免除される。在学時より、俳句・映画・演劇に、負傷後は禅哲学にも興味を抱く。大正11(1922)年に俳誌「山茶花」創刊号で巻頭の他、「鶏頭陣」(小野蕪子主宰)にも所属。原石鼎も敬慕し、昭和九(1934)年、第一句集『加古』を上梓し、翌年には主宰誌「蓑虫」を創刊(16号で休刊)。文化趣味の会「白泥会」も結成し、棟方志功、河井寛次郎、濱田庄司らと接し、民芸の精神も養う。

「鶴」(石田波郷)、「風」(沢木欣一)」「天狼」(山口誓子、西東三鬼)同人を経て、昭和24(1949)年、琴座(りらざ)()を創刊し主宰となる。「天狼」時代には、同誌のテーマである「根源俳句」を追求した。同27年には三菱製紙高砂工場NO3の製造部長となり、根源俳句開眼句集『驢鳴集』を上梓。同30年、定年退職後、赤尾兜子,橋間石等と「半箇の会」を結成、同35(1960)年、『與奪鈔』を上梓した。更に意欲的に句集、選集、評論書を刊行すると共に、金子 晉、鳴戸奈菜、柿本多映等を育て、書作展も開催した。同52(1977)年、兵庫県文化賞、平成2(1990)年、現代俳句協会大賞、翌年には詩歌文学館賞を受賞。同七年、阪神淡路大震災で辛くも九死に一生を得た後、同9年8月25日逝去。享年97歳。

「耕衣の根源俳句は、存在(生命)の根源を追求する根源精神によって貫かれた、素材的には一元俳句の方向を取る」(山本健吉)、「名を成した俳人は、誰しもすさまじいエネルギーを持っているが、耕衣ほどその持続力が長い作家は稀」(藤田湘子)、「母俳句は、齋藤茂吉の「赤光」を思わせて圧巻。消失(無・死)をテーマとし、生ある限り常に人間は途中、その途中感こそ人間の生と意識し、絶えざる自己超克の連続だった」(宗田安正)、「他の芸術家との付き合いと同レベルで、俳壇政治から距離を取り続けた。その結果、俳諧、俳句の歴史を踏まえながら、独自の存在論的俳句の数々を生み得た」(高橋睦郎)、「トーマス・マン同様にペシミズムとニヒリズムの深淵を抱いた作家だが、東洋的無の世界に浸ってゆく」(角谷昌子)、「耕衣の「瓦礫を目指す」姿勢は、「『大無量寿経』に由来する「無有(むう)好醜(こうしゅ)」に拠る」(小澤實)、格調高く簡潔で姿正しい作品に加え、思わずゲラゲラ笑ってしまうような喜劇性こそ耕衣俳句の真骨頂」(四ツ谷龍)、等々の鑑賞がある。

夢の世に葱を作りて寂しさよ
恋猫の恋する猫で押し通す
かたつむりつるめば肉の食い入るや
朝顔や百たび訪はば母死なむ
行けど行けど一頭の牛に他ならず
夏蜜柑いづこも遠く思はるる
いづかたも水行く途中春の夢
厄介や紅梅の咲き満ちたるは
天心にして脇見せり春の雁
近海に鯛睦み居る涅槃像
後ろにも髪脱け落つる山河かな
夕凪に菩提樹の實の飛行せり 
(鶴林寺)
死蛍に照らしをかける蛍かな
泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む
少年や六十年後の春の如し
夢に我が巨棺を談ず夏の夢
白梅や天没地没虚空没
(阪神淡路大震災)
枯草や住居無くんば命熱し
枯草の大孤独居士此処に居る 
(絶筆)  

東洋的禅思想と自らの芸術論を俳句によって貫徹し、耕衣独自の燦然たる句業を構築し生産した。その過程に妻を始め家族の深い理解協力があったのも記しておきたい。

 (初出「青垣」創刊号、加筆再編成して転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

サイト内検索はこちら↓

アーカイブ

サイト内検索はこちら↓

ページ上部へ戻る