俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第6回】熊野古道と飯島晴子

【第6回】熊野古道と飯島晴子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

熊野古道には、東国からは伊勢路、京都大阪からは高野山経由の小辺路と田辺経由の中辺路と大辺路がある。最も有名で険しい中辺路は、平安後期から後白河法皇を始め上皇、貴族が詣でて『梁塵秘抄』にも歌われ、途中の歌会は「熊野懐紙」の名で残る。中世以降、熊野信仰は老若男女貴賎を問わず、生きながら歩く黄泉の道として「蟻の熊野詣」と言われる程の盛況となった。田辺市・滝尻王子(口熊野)から近露王子を経て熊野本宮参拝後、熊野川を下り那智勝浦から那智の滝、更に本宮に達する大雲取、小雲取越えが最も利用された。飯島晴子は、山歩きで鍛えた足で、昭和52年、53年(第三句集『春の蔵』)、55年(第四句集『八頭』)の三年がかりで中辺路全踏破している。

熊野古道中辺路「牛馬童子」

尚、辺地は遍路、王子は道中九十九か所ある礼拝地。

西国は大なめくぢに晴れてをり    飯島晴子
鶯や御幸の輿もゆるめけん      
高浜虚子
一王子落花の雪を敷きにけり     
下村梅子
木下闇木下明りも熊野道       
後藤比奈夫
掃くところ(なぎ)の実ばかり王子址    
福本鯨洋
中辺路の昼のひなたの牡丹鍋     
辻田克己
瀧音の秀衡桜とぞ申す        
黒田杏子
神涼し紀のわたつみのやまつみの   
谷口智行
夕立風大斎(おおゆの)(はら)の香りけり      
堀本裕樹
雲取や羊歯震はせて鹿のこゑ     
広渡敬雄

〈西国は〉の句は、自註には「中辺路を滝尻から近露まで12キロ歩いた。途中雨に降られたがそのうち晴れて、山中で大なめくじを見た。熊野のなめくじは特別大きいかと思う位大きな蛞蝓であった。雨の晴れ際、熊野は雲の美しい国であった」とある。「この蛞蝓は、西国一円の照り降りを思うがままに操ることが出来そうとの印象を与えるのは、ひとえに「に」の置き方にある」(奥坂まや)、「こういう幸運があるので晴子はせっせと山道を歩いたに違いない。机上の想像からは生まれない句」(山地春眠子)の鑑賞がある。

飯島晴子は大正10(1921)年、京都府久世郡冨野庄村(現城陽市)生れ、京都第一高女卒。結婚後夫の代理で出た馬酔木の藤沢句会で能村登四郎の指導を受けつつ、昭和39(1964)年藤田湘子「鷹」創刊に同人として参加。同41年第一回鷹俳句賞受賞し夫と共に立山・八ヶ岳等踏破。同44年、俳句研究の高柳重信編集長に初めて会い、同誌に評論を連載し、以後実作と評論をこなす。又現代俳句協会総会で阿部完市の知遇を得た。同47年〈泉の底に一本の匙夏了る〉を巻頭句とした第一句集『蕨手』上梓。

その後句集『春の蔵』『八頭』『寒晴』と意欲的に刊行した。平成8(1996)年第六句集『儚々』で蛇笏賞受賞。同12(2000)年6月6日、自死。享年79歳。翌年第七句集『平日』が刊行され、評論集には『葦の中で』『俳句発見』他がある。

同51年〈天網は冬の菫の匂かな〉の『朱田』を刊行。「過程は写生なのだが、結果がそう見えない句」を目指し、作句前に吟行をしないと俳句が出来ないと、自然と人間の生活が必然的に交じり合った普通の農山村である山梨県・上野原や秩父等での一人吟行を続けた。ホトトギス派俳人とも交流し、「言葉が言葉になる瞬間は、無時間であり、従って無意識である」と述べる。

「鷹」で薫陶を受けた小川軽舟が平成18年、「俳句研究」に一年間に亘って掲載した「飯島晴子の句帳」では、吟行時に見て感じた材料を机上で推敲し、「鷹」誌上の作品に完成させる過程(格闘)を丹念にトレースして読み応えがあとる。「作者は自作の入口は語れるが、出口については、読者以上に知っているわけではない」と述べる晴子の作句工程を知る上で、熊野古道の三作品の自句自解を引用する。

くれなゐの眦そろふ冬の宿      

熊野・近露王子。建仁元(1201)年初冬の熊野御幸、後鳥羽院に藤原定家が随行している。私はしきりに想像力を刺激された。御幸では歌会が催され、近露王子でもあったという。町役場で貰ったパンフレットの「旅宿埋火」「旅宿冬月」等の文字がこの句のきっかけである。貴人達が埋火をかきたてて、作歌の興奮に眦を紅潮させている冬の宿。

神在のはうばうにうつくしき夜道 

中辺路を那智から本宮まで、定家同様にどしゃ降りの雨の中雲取越えをした。有名無名の数しれぬ人々が数知れぬ思いをこめて歩いた中辺路、神さまは出雲ならぬ熊野権現であり、熊野の景色と表面上は何の関係もない。

那智の滝へ大門坂の杉並木

猪の跡たづねる裾をむらさきに 

小広王子から朝から十時間歩いて熊野本宮に着いたのは夜の八時だった。山中で会った紀州犬を連れたハンター(昔風の猟師)は、「猪の掘った跡はあるが今日はおらん」と言いながら降りていった。本宮から乗ったタクシーの運転手の猪の生態の話も加え、どういうわけか猪という動物の粗い素朴なイメージが好きで、後日こういう句となった。

交流した「言葉派」の阿部完市「一切の固定観念や予定調和から解放され、言葉が自由に泳ぎ回れる」の影響もある。独特の美意識と完璧な言葉作りの鬼才晴子の魅力ある作品を熊野古道の句に限定して挙げる。(掲載句は省く)

法皇のぴかぴかの濤の一月
九十九日王子を照らす氷柱かな 
(以上昭和52年)  
牛にまたがり馬にまたがり氷見る 
(牛馬王子)
先頭を行くことにして黴の花
男らのものがなしくも蝮山 
(以上55年「八頭」) 

血の滲むような言葉との格闘で、成功の確率は低いが多くの人口に膾炙される佳句を生み出した。

(「青垣」9号加筆再編成 転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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