ハイシノミカタ【俳誌を解剖する】

ハイシノミカタ【#4】「100年俳句計画」(キム・チャンヒ編集長)


【俳誌ロングインタビュー】
ハイシノミカタ【#4】
月刊ハイクライフマガジン『100年俳句計画』
(キム・チャンヒ編集長)


好評企画!
ハイシノミカタは、さまざまな俳句雑誌(結社誌・同人誌・総合誌)の編集のうらがわについて、がっつり訊いてしまおうというコーナーです。
【#4】は、俳都・松山で発行されている月刊ハイクライフマガジン『100年俳句計画』
編集長のキム・チャンヒさんに、じっくりとお話をうかがいました。


月刊『100年俳句計画』とは?

――月刊ハイクライフマガジン『100年俳句計画』を刊行されているマルコボ・コムさんは、2004年に夏井いつきさんらと松山市で作られた会社なのですね。最初は、何人で立ち上げられたのでしょうか?

キム 外部の役員がひとりおりますが、基本は3人ですね。残っているのは、うちの社長とぼくで、夏井さんだけ今は抜けられました。あとはバイトを雇ったりはしています。

編集長のキム・チャンヒさん

――創業時からずっと同じメンバーで、長く続けられてるわけですね。出版事業だけではなく、俳人のマネジメントや俳句イベントの運営などもされていますが、スタッフはみなさん、俳人なのでしょうか?

キム そうですね。手伝ってくれているアルバイトも方も含めて、基本的にはみなさん俳句をつくられます。

――現在の『100年俳句計画』という名前になったのは「2012年」からだそうですが、それまでの経緯を教えていただけますか?

キム 「100年俳句計画」というのは当初、「いつき組」〔1997年結成〕のキャッチコピーだったんです。いま、雑誌が279号なのですが、ぼくが編集長になった79号から雑誌形式にしました。それまでは「俳句新聞いつき組」という文字通りの「新聞」でした。

――編集長になられて200号以上、かれこれ20年近くになるんですね。

キム 「俳句新聞いつき組」だったころは、キャッチコピーが「楽しくないと俳句じゃないぜ」だったんですよ。でもこれって元は「楽しくないとテレビじゃない」っていうフジテレビのコピーでしょ。辻桃子さんの「童子」では「俳句って、楽しい」が理念だし。ぼくは広告の仕事もしてたので、なんかイヤだなと思ってまして。言葉の仕事するのに、人のコピーを使っていいのかというね(笑) オリジナリティがあって、方針に合致するようなフレーズを考えてたところ、「100年俳句計画」を思いつきました。

――その言葉に込めた思いを教えていただけますか?

キム 目先のことにとらわれずに、長いスパンで俳句をつくったり、活動していこうということでしょうか。「いつき組」からいずれ「100年俳句計画」というのを前面に押し出そうと思っていました。夏井さんの一声で、雑誌名も「100年俳句計画」に統一したのが2012年です。

――話が少し戻りますが、「俳句新聞いつき組」というのは、どういう経緯で立ち上がったものなんですか?

キム 松山には「子規新報」という俳句新聞があります。当時、執筆の編集委員に夏井さんが入っていたこともあって、それの弟分というか妹分のようなかたちでスタートしたのが「俳句新聞いつき組」です。編集メンバーも一部重なっていました。

――それを雑誌化するときに、キムさんが編集長に就任されたと。

キム はい、2004年のことだったと思います。きちんと見てみないと正確にはわからないのですが……(いちど席を外してバックナンバーを確認)……あ、2004年ですね。

――同時にマルコボ・コムを設立されたわけですね。つまり、この雑誌は会社のアイデンティティというか、いちばん大事なお仕事が 「100年俳句計画」の発行であると。

キム そうですね。

――もとはといえば、松山市の方に向けた俳句専門のローカル誌だったのでしょうか?

キム 最初は全国という感じではなかったですね。いまも松山の方が多いですけれど、購読者が全国に少しずつ広がって、半々くらいになりましたでしょうか。句会には参加できなくても、投稿自体は全国どこからでもできますから、県外の方も多いです。販売は県内中心で、年間定期購読がメインですね。例外的に札幌のお店が毎月5冊買ってくださっているのですが(笑)

――これを読んでくださってる全国のお店から定期購読の話が増えるといいですね。ちなみに「プレバト!!」で夏井さんがお茶の間の人気者になってから、購読者は増えましたか?

キム 今は一緒にやってはいないですから、あまり変わらないですね(笑)

――松山市や愛媛県にとっても貢献されていると思うのですが、行政の支援は受けていないんですよね?

キム 一緒に何かをやることはありますが、行政からの支援を受けて運営しているわけではありません。何年か前に雑誌の企画で、囲碁や将棋みたいに一対一で時間制限つきで俳句をつくる「俳句対局」というイベントを松山市さんが面白がってくれて、3年ほどやらせていただきました。そういうかたち一緒にお仕事をさせていただくことはあります。


俳句を「捨てる」な!

――つまり「草の根」の文化プロジェクトということですね。ブログを拝見させていただいたんですけれど、「殿様ケンちゃん」というキャラクターが、雑誌のマスコット的存在なわけですか?

キム 夏井さんとは人づたいに知り合ったんですが、そのあとすぐ「子規新報」とも出会って、俳句甲子園の立ち上げにも立ち会いました。「子規新報」を真似て、俳句新聞をつくろうという話になったとき、ぼくは会社勤めを半分やめて暇にしてたんで、レイアウトを頼まれたんです。それでいろんな結社誌を見せていただいたんですけど、一向にマンガが出てこないんです! 新聞にだって出てくるのにね。

Twitterのアイコンにも「殿様ケンちゃん」が。

――あ、これもキムさんの創作なんですか?

キム ちょっとマンガも描いてたものですから。「キムちゃん描いてよ」って話になって。むかし、「ケーキ屋ケンちゃん」とかあったでしょ(笑) 最初はほんと、悪ふざけで描いてただけなんですよ。

――「最初は」というと、その後の展開があるわけですね?

キム 2003年にインターネット版の「俳句の缶づめ」というサービスをドコモの公式サイトで始めることになって。10年くらい、コンテンツを提供したんですが、毎日一コマ、「殿様ケンちゃん」を描いていたんです。

――「俳句の缶づめ」というと、すぐに北海道の鈴木牛後さんの名前が浮かびます。実は当サイトでも毎週火曜日に、一句鑑賞(「ハイクノミカタ」)をお願いしているんですそれにしても毎日一コマずつというのは、すごいですね。「俳句の缶づめ」が終了したのが「2012年」ですが、その後「殿様ケンちゃん」はどこかに引き継がれたんですか?

キム 子供向けの「俳句手帳」というのがあるんですが、そのなかにある「絵で見る季寄せ」というのに「ケンちゃん」を使っています。それでブログでも使おうということになりました。

――「俳句手帳」はどのくらい続けられてるんですか? 商品開発のきっかけを教えてください。

キム 学校の教育現場のなかで、以前は鑑賞だけだったのが、俳句や短歌を実作する授業が1単元できたんですよ。そのときに何か商品をつくろうと企画したんです。

最初は、ワークシートのようなものを作ったんですが、1単元ですからね、何も回収できない(笑) 当時、うちの娘がちょうど小学校1年生になるタイミングだったんですけど、子供のためになるものを何か作りたいなと思って、「俳句手帳」にたどり着きました。

「殿様ケンちゃん俳句手帳 A6 3冊セット」はAmazonでも購入可能!(画像リンクします)

――決め手は何だったんですか?

キム 子供の書いた俳句ってかわいいでしょう。それを短冊に書くだけでおわるのは、もったいないと思ったんです。手帳に記録として残れば、親も俳句を愛でられるし、本人も自分の成長がわかる。「季寄せ」もそのときにわかりやすく絵で描いたほうがいいという話になったんです。

――お子さんのことを思って誕生した商品だったんですね。

キム そういう思いには普遍性があるからなんでしょうね、今では、いろいろな場所や自治体でこの手帳は使っていただいています。学校の名前入りの手帳なんかも作っています。自治体によっては、ゆるキャラが入っていたりね。

――そういうカスタマイズはうれしいですね。世界にひとつだけの俳句手帳。

キム ますます子供は俳句を捨てられなくなるでしょ。俳句ってすぐ捨てられるからね(笑)

――「多作多捨」とか言ってすぐ捨てちゃう(笑)

キム 俳句を捨てないように、愛着をもってやれるように。子どもたちには特にそういうのは大事なんじゃないでしょうかね。


「褒める」ことの大事さ

――ここまでのお話を聞いていて、ひとつは文化プロジェクトの一環としての雑誌づくりというコンセプト、もうひとつはインターネット黎明期からオンラインの活用をされてきたことが類例を見ないように思います。ネットに関しては、詳しい方が周囲にいらっしゃったのでしょうか?

キム 「俳句の缶づめ」自体はシステム会社さんと一緒にやっていましたけれど、ぼくらみんなコネもないし、もうね、がむしゃらに何でもやるって感じですよ。個人的にはMS-DOSの頃からパソコンを使っていて、多少のスキルと興味がありました。

――MS-DOS、懐かしいですね… しかしコネがなくても、アイデアと行動力でカバーされてきたのがすごい。僕もコネがないので、こうやっていきなりキムさんに突撃インタビューをしているわけですが(笑)

キム あとがないからやるしかないっていう感じでしたよ。

――しかもみなさんお子さんが小さかったはずで。キムさんもそのようですし、夏井さんもそうですよね。いま、うちの子供が4歳なので、子育てしながら開拓していくそのフロンティア精神が、それだけで本当にリスペクトです。

キム 本当ですか?(笑)そんなの言われたことないなあ。

――「100年俳句計画」の創成期のエピソードは、こんなことやっていいんだ、っていう自由さにすごく応援されてる気持ちになるような気もしてきます。いまって子育てで大変な思いしている人たちがたくさんいるので、ぼくらの世代にとっては、こういう話は「ぐっ」ときちゃう(笑)

キム 俳句とは、出会いがよかったなと思いますね。とくに松山は、子供のときから俳句を作らされる機会が多いですから。俳句を子供に作らせると、褒めることが出来るでしょ。一句作るごとに褒めることができる。豊かなコミュニケーションが生まれる。その意味で、俳句は教育上とても有効なんじゃないかと思ってるんです。

でもね、学校では俳句の作り方も教えずに、短冊だけ配って集めて、大方捨てちゃうので、みんな俳句が嫌いになるんですけど(苦笑) 学校の先生にはいつもぼくは「褒めるために作らせてほしい」と頼んでいるんです。なのに、どうしてそういうふうに使ってくれないのかな、と思うことは今でもありますね。

――じつはぼく、演劇を専門にしているんですけど、フランスと日本の演劇文化でいちばん違うのが「褒め」なんですよね。日本は「ダメ出し文化」。演出家から灰皿が飛んでくるとか、いまでもパワハラが問題になりますが、根底には教える側と教わる側の非対称性があると思うんです。もちろんヨーロッパにだってハラスメントはありますが、しかし文化的にいえば、フランスは「褒め文化」。いいところを探して、お互いを高めていいものを作っていく。

キム ぼくはね、俳句を教えるときに「ダメ」とはけっして言わないんです。下手じゃなきゃ出せない句もありますからね。でも少しスキルが上がってくると、「悪いところを言ってくれ」とダメ出しを求めてくる人はいます。そういう文化的なものが関わっているんですかねえ。

そもそも、うちの雑誌では指導をしないですから、「ダメ」の基準がないともいえます。雑誌は毎月出していますが、「切字の使い方」とかいう話題はまったく出てこない。

――それがあったら楽しくなくなっちゃうかもしれない(笑)

キム そういうのを求めている方がいるのも、わかってはいるんです。でもそれって、ひとつの答えやゴールがあるという前提ですよね。でも、ぼくは見たことのない俳句に出会いたい。知らないものを知りたい。そのために俳句をやってるようなものです。

――それでいうと拝見した「添削王」という企画、あれなんかマジで目からウロコでしたね……。

キム あの企画はね、半分は添削に対する「怒り」のようなものがあるんです。添削が天才的にうまいとか言っている人に会うと、腹が立って仕方がない(笑) もちろんね、添削がうまくいくときもありますけど、でもそれは本当の答えではないんじゃないか。理想的な添削というのがもしあるとすれば、直してほしいと言った方が納得するようなかたちですね。

【添削王とは?】
添削王決定戦とは、チーム戦で添削を競うゲームです。
内容的に未完成な俳句を出題句とし、その俳句の作者がどこが気に入らないかを説明。
その説明の元、チームごとに添削句を作ります。
それぞれのチームが添削句を発表した後、俳句の作者がどちらの句を持ち帰りたいかで勝敗を決めます。
(参照元:マルコボ・コム

いい句を決めるのは「偉い先生」じゃない!

――よく日本では「まなび」は「まねび」である、なんて言いますけど、「真似」はするな!ということですよね。

キム まあ、「学ぶ」途中では「真似」は要りますけどね、最後はそこじゃないと思う。俳句甲子園に関わってきて、いまも実行委員のメンバーなんですけれど、俳句って投句すると白黒、勝ち負けがつくものだと一般の人に思われているふしがあるんです。

――ああ、言われてみれば、そうかもしれません。

キム 松山でも投句すると優秀句になったり特選になったり、そんな機会はいくらでもあるわけですよ。でも必要なのは、誰が見ても面白いもの、表現の「おいしさ」のようなものが求められてるんじゃないのかなって。いいか悪いかを決めるのは偉い先生じゃなくてね。

先ほどの「添削王」に関しても、添削をされる未完成な句を作ってしまった人がなぜか「神」のような存在で、添削してもらったのに白黒つけるわけです。皮肉もきいてるでしょう。

――テクニックや知識が権威化するのを未然に防ぐしくみですね(笑)

キム どんなにプレゼンテーションがうまくても、「神」が納得しなかったらダメ。そしたら添削者は、「しょーがねーなー」って気分になるじゃないですか。添削がうまい人が「偉い」わけじゃない。あの企画には、そこらへんの面白さがあるんじゃないかな。

添削王では「神」が絶対!(画像提供=マルコボ・コム)

――ここまでお話をうかがっていて、「俳句を学ぶ」というよりは純粋に「俳句で遊ぶ」という要素が根底にあると思いますが、これは当初からみなさんで共有されている方針なのでしょうか? 逆にいうと、よくもまあここまで「遊び」を思いつくなと…(笑)

キム ぼくが編集長を引き受けたとき、「やりたいことをやらせてもらう」のが条件だったんです。まだ俳句はじめて2、3年だったと思うんですが、生意気に俳句雑誌って面白くないなと思ったんですよ。1年前のも2年前のも同じに見えちゃって(笑)

――たしかにワインだったらそうはいかない

キム だから最初の目標は、「新しい号が出たら、前の号がつまらなくなって捨てられるような雑誌」にしたんです。

――それって、雑誌の本質的な批評になってる気がしますね。

キム でもそれはむずかしくて。だから別の目標として、「子供が学校にもっていったら怒られるような雑誌」というのも考えました。マンガみたいに、こんなものもってきちゃダメっていうね。これもなかなかむずかしいですけれど、雑誌づくりの精神はそこですね。

――俳句をそういうふうに楽しみたい、遊びたいっていう欲求はどこから湧いてきているんでしょうか?

キム ぼくいま52歳なんですけど、ぼくが中学・高校のころクラスの持ちきりだった話題といえば、音楽なんです。レコードですね。あとはマンガと映画かな。そういうサブカルチャーの分野では、数年たてば見たことがないもの、聴いたことがないものが出てくるような時代だったと思うんです。そういうエネルギーを俳句でも再現したいと思っているというのは、あるかもしれません。

――俳句の土俵が決まって安定してしまうと、それはそれでひとつのかたちだとは思うけれど、ルール主義、ひいては権威主義に陥りやすいのかもしれないですね。

キム おそらく、「ホトトギス」が出てきたあと、あのころの若い人たちは、次々に新しい俳句が出てくる、そういう面白さがあったに違いないと思うんです。

――当サイトの企画で、平山雄一さんという音楽評論家の方にお話をうかがう機会があったんですけど、とても似たようなことを仰っていました。狭いところだけで通じる話ばかりになるのは、文化の凋落の兆しであると。

キム そうだと思いますよ。だってね、ぼくが俳句はじめたころのイメージって「俳句=年寄りの趣味」だったんです。それって文化的に「終わってる」って証じゃないですか(笑)

――いまでも俳句に関心のない方は、そういうイメージを持っている方が多数派だと思います。といっても、松山は違うかもしれませんが……

キム いえいえ。ぼく、俳句甲子園の黎明期から関わっていて、もう20数年になるわけですけど、最初はすごく何かが変わると思ったんです。たしかに若い俳人は生まれてきたかもしれないけど、でも、基本的な部分はあまり変わっていないと思う。

若い俳人はいるのに、さっき言った新しい音楽が次々出てくるような感覚って、まだないですもん。いまだに季語がどうだ、切字がどうだとか言ってる。ずいぶん昔見た本のままやってる感じ。もちろんバッハを否定するわけじゃないけれど、結局、俳句甲子園も「若年寄」を作っているだけなんじゃないかって……。

――やっぱりいまって俳句と呼ばれているものが「分裂」していて、サブカルチャー的な、いいかえればハイブリッド(混淆)的な俳句と、純粋志向の保守的なハイカルチャーとしての俳句が、あまり交わっていない。松山が面白いのは、その両方を背負ってるってことですかね。

キム そうかもしれないですね。

――松山を一歩出れば、おそらく「俳」のマジョリティは「ハイ」としての、つまりゲームや遊びではなく、「大人の文芸」という教科書的な、狭い世界のなかの俳句です。例外は、「プレバト!!」の夏井さんを除けば、北大路翼さんの歌舞伎町俳句くらいじゃないでしょうか。

キム 本当は俳句は「サブ」なんですよ。はじまりはサブだったのに、俳諧も偉くなりすぎたから、若者だった正岡子規が「俳句」にして、つまり簡単にして「サブ」にした。そしたらまた、お年寄りの趣味になってしまった……。偉くなりたい人がいっぱいいるってことですかね。(笑)

――俳句って集団的な文芸ですから、徒党をくんで、ともすれば権威化していくのかもしれません。

キム 根本的な問題としてあるのは、作品が「売れない」ということでしょう。売れる作品があれば、いかに「偉い先生」がよくわからないと言っても、そっちが強いですから。

――俳句における「権威性と資本」というなんだか重厚なテーマになってきました……(笑)

キム 俳句作品が、一般読者に欲されていないから、どうしても権威的なものが残りやすいんでしょうね。

――「100年俳句計画」との比較でいうと、結社誌にしても総合誌にしても根底にあるのは、個人主義ですよね。ひとりひとりがオリジナルな「作家」であるという発想です。ほぼ「売れない作家」ですが(苦笑) でも「100年俳句計画」は、ひとりひとりが集まって文化的な「場」をつくっている。俳句のコミュニティ的な価値というか、そういう側面が大事にされてる気がします。

キム 風通しをよくしたいというのは、ありますね。ぼくは編集長だけれど、けっして偉い人ではないんです。

うちの雑誌には本誌主催の「百年俳句賞」の選考委員が集まる「百年百花」というコーナーがあります。4人が毎月12句の作品集を4か月間連載します。これって結構たいへんですよね。比べられる相手もいるわけだし。逆にいうと、ずーっと10句ずつ出し続ける方が気楽な場合もある。

「百年百花」はただの作品発表の場ではなく、読者の厳しい目に晒されるような真剣勝負の場にしたいと思っていて。そしたら、主宰がいなくても作品のレベルが進化していくかもしれないじゃないですか。実は、そういう「実験」をしているつもりなんです。

――それは、面白いですね。師弟のような階層的な上下関係ではなく、フラットな関係性を保つ〈場〉のなかで作品が向上していくような集団のあり方ってことですよね。劇団だけど演出家を置かないようなもの。「ポスト1968年的」というか、いまでも「同時代的」な発想だと思います。


俳句は企画次第で「進化」する

――もうひとつ面白いなと思ったのは、「俳句に閉じない」という方針です。普通、俳句の雑誌ってほとんど俳句の中で終始してるんだけど、そうじゃなくて、俳句とジャズだとか、俳句と英語とか、俳句と書道とか、いろいろな「俳句と○○」を実践されてるでしょう。それも「風通し」と関わっていますね。同時に、俳句以外のクリエイティヴィティも問われることになります。

キム そもそも俳句って、正岡子規が西洋画を見て「写生」の理論でやると言い出したわけですよね。たぶん俳句ってとても小さい文芸だから、写生を使えば連歌のように続けていかなくても、575だけで作品になると考えたんだと思うんです。それなら同じように、俳句を「進化」させるには、俳句以外のジャンルを次々引っ張ってくることが必要なんじゃないかと思うんです。

一句を短冊にしたためて、はいって渡しても、それだけでは商品としては成り立たないところが、俳句の弱みじゃないですか。それをどうやったらこう、俳句を「おいしく」いただいてもらえるのか。俳句が絵の力を借りたように、絵が俳句の力を借りることが可能かもしれない。いろいろな芸術と対等に渡り合える俳句像というのも、作っていけるんじゃないかと思いますね。

――そういう意味でいちばん感銘を受けたのは、「クロヌリハイク」です。

キム ありがとうございます(笑)

――最初は検閲とか情報公開に対するアイロニーなのかなと思ったんですけど、ポイントはそこじゃなかった(笑) 要するにあれって、自分の意識の内側じゃなくて「外側」に俳句が「存在」してるってことじゃないですか。しかも、出会う文字列は無限だから、偶然性が関わってきます。ぼくの専門分野でいうと、マラルメの「賽子一擲」(1914年)やジョン・ケージの「チャンス・オペレーション」と連続的ですね。これは、歴史を超えたなと思いました(笑)

キム あれはね、最初は悪ふざけですから、彼の……

――歴史に残る「悪ふざけ」(笑)

キム これは余談で話が長くなるんだけど、「クロヌリハイク」を考案した黒田マキっていうのは、男の人なんです。黒田くんはね、マジックのマッキーを使うから、そういう名前なんですけど。彼の子供が、うちの子と同じ小学校に通っていて、「おやじの会」というので一緒だったんです。「キムさん、俳句やってるんですよね」って声をかけられたのが、すべてのはじまりですね。彼は、本当にいろいろな企画をもってるんです。クロヌリの前は「ホンヤクサイホンヤク」というのをやっていたんです。

――なんですか、その「ほんやくコンニャク」みたいな企画は。

キム 有名な俳句をネットの翻訳サービスで「翻訳」するんです。それをもういっかい日本語に「再翻訳」するんです。そしたら、へんちくりんな「俳句」ができるわけですよ。それを集めて、自分の俳句として発表するっていうことをやっていました。アホな企画でしょう(笑)

――いえいえ、すごいですよ、その発想は。コンセプチュアル・アートですよね。

キム でもね、やっているうちに翻訳サイトがだんだん賢くなっていって、全然面白い句ができなくなっちゃった(苦笑)

――あ〜。昔だからできたことですね。

キム そういう流れで彼が「クロヌリハイク」の企画をもってきたんですけど、彼はね、俳句は作らないんです。主に「クロヌリ」しかしない。

――なるほどね。だって、自分で俳句作る人には絶対に思いつかない企画ですもん。

キム でもね、最初はへたっぴだったんだけど、雑誌読むようになって、いろんな俳句の形を知り、クロヌリハイクの俳句の質が上がってきちゃったんですよね(苦笑) 最初は本当にバカにされていたんだけど、今じゃ質があがって、クロヌリハイク界の巨匠のようになってきて……(笑)

――俳句が順調に「進化」してる証じゃないですか(笑)

キム 俳句やってるひとは、俳句上手くないと発表できないでしょ。でもうちの雑誌は「少年ジャンプ」みたいなもので、絵が下手でもアイデアがあれば載るよ、みたいなところがあって。そういうアイデアっていうのは、俳句がうまい人でも出てくるとは限らないんです。だからそっちのほうが大切かなって。

往年のVOW!にも似た面白さがある「クロヌリハイク」(画像提供=マルコボ・コム)

俳句を通じて「学ぶ」ということ

――いまの話からつながりますけど「句集をつくろう!コンテスト」は本当に素晴らしい企画ですね。小中学生相手に「40句出し」を要求することもさることながら、装丁のデザインまで競わせる。しかも、出てくるデザインがとても素晴らしい。本当に子供ってすごいなと。

キム あれもね、「40句」作るのも大変だから、はじめたころはそれほど質は高くなかったんです。でも14年続けていると、本当に「進化」してくる。やりたい子は、やるんです。とても大事なことなんですけどね、子供ってね、やっぱり……ヒマ(笑)

――時間は想像力の拠りどころですね。仕事しない古代ギリシャ人が、哲学深めたのとおんなじで。時間がないと想像力は湧かない。

キム 集中してやる時間があるんだと思いましたね。だから〈場〉を与えてあげると、やりたい子はやる。

――大人も含めて、いまのコロナがきっかけになって、労働の無駄を省いて、時間を「文化」に割く時間が出てくる流れになれば、いいですね。

キム あのコンテスト自体も、ひとつのアンチテーゼなんです。松山市に子規顕彰小中校生俳句大会というのがあるんですけど、教育委員会が主催なので、各学校俳句を50句ずつ本部に送るというかたちらしいんですね。ひとり2句作っても、大きい学校なんかは、500人近くいれば、1000句集まりますから、50句に絞るとおおかたは「捨てられ」てるんですよ。しかも、作り方も教えないから、親が代わりに作ってたりする。

だから、1、2句だけ子供に作らせていても、教育的価値はあまりないと思っていたんです。むしろ、俳句嫌いを生む弊害もある。だったら、多少下手な句があっても、子供たちの力をしっかりと出せる〈場〉を用意してあげたほうがいいと思った。1年に40句作るのはそりゃ大変ですけど、それだけあれば多少助詞が間違ってても構わない(笑)

――たしかに、2句だと助詞のミスは、致命的ですが、その「致命性」が子供の何の役に立ってるかって話ですよね。

キム そうそう。だからその子供が評価されるしくみを作りたかった。いまは20句部門もつくりましたけど、20句にしても40句にしても、その子の世界というのが生まれてくるので、いいコンテストになったかなと思っています。

――けっこう全国から応募があるんですね。

キム そうですね。朝日新聞社さんにご協力いただいています。

――ぼくも大学で教えたりしているので教育者の端くれとしていうと、素材が何であれ、汎用性のある学びというのが、いちばんかけがえのないものですよね。俳句を続けなくても、俳句通じて「何か」を学んでもらう、それはなかなか数字になりにくい部分ですけど、すごい教育的効果があるんじゃないでしょうか。

キム ほんとうにぼくもそう思っていますね。たとえば、無理やりでも1日1句作ろうと思えば、日々のことを細かく観察するようになりますし、何よりも出来上がったものって「宝物」じゃないですか。ものをつくるときの一番の楽しみ。書いてポイっと捨てるんじゃなくて、かたちになって残るっていうね。

――子供自身もきっと自分がつくった「もの」を媒介にしていろんなコミュニケーションができますし、いい経験になると思いますけど、同時に親が子供を見直すきっかけになるっていうか、「褒める」きっかけにもなりますよね。褒めない親もいるから、もっと褒めてくださいと「教育」する必要があるかもしれませんが(苦笑)

キム ほんとにね、俳句やってて怒られる必要なんてどこにもないんです。こんなん出したらバカにされるかなとか、そんなこと思う筋合いはない。

――小中学校の俳句教育において「手ごたえ」のようなものを感じることはありますか? 俳句甲子園なんかだと、卒業後も俳句を続ける人が多少は増えて、社会的にも話題にされることが多いと思いますけれど。

キム 教育に関していえば、先ほど話題にあがった「手帳」ですかね。今日も東京の江東区の学校の先生と電話でお話しをしまして。自分の学校の名前の入った季寄せとか手帳があると、子供が俳句を残してくれると。江東区も芭蕉記念館や波郷記念館があって俳句に力を入れてますけれど、俳句を作るが嫌いな子供は多いですから(苦笑)

――ええーっ!?

キム みんな嫌いですよ! 松山の子供たちも俳句を作るのは苦手です(笑)

――ええーーーーっ!? 理由は何なんでしょう?

キム だって学校で無理やり作らされるし、なのに作り方は教えてもらえないし。投句しても何がいいのかも悪いのかもわからないし。大方は「捨てられる」わけですよ。この手帳のいいところはね、うしろのところにその年の「代表句」が書けるようになっているんです。

――「わたしの代表句」、いいですねー。

キム 自分の行程を知ることがいちばん大事だと思ったんです。江東区の俳句手帳は年に1冊、毎年「代表句」を書けるようにしています。良くも悪くも自分の成長が見えるようにするだけで、だいぶ違うと思う。もっと広めてほしいという応援をいただくこともあります。「手帳」が生まれて十数年が経ちますが、これで子供が俳句をつくることの意味というか意義が、ようやく伝わってきたようなところがあるかなと思いますね。

――いまの「手帳」にしてもさっきの「装丁」のコンクールにしても、俳句を「もの」にすることのこだわりが生きていますね。

キム そもそもぼく、グラフィックデザインの仕事をしたいとずっと思ってきたんです。ダメって言われてもずっと落書きをしているような子供でしたし。だから、ぼくとしては、ダメって言われても窓の外見ながらずっと俳句のことを考えているような子供がいたらいいな、と思う。それが教育上いいかどうかは、わかりませんが(笑)、そのくらい俳句が魅力的なものであってほしい。

大人顔負けのデザインの「句集」が次々と出現している(画像提供=マルコボ・コム)

俳人よ、もっと「お金」の話をしよう

――それこそ後ろにたくさん並んでますけれど、シングル盤というのか、正方形の小さな本として、安価な句集が出せる「句集style」をマルコボ・コムさんは提案されています。いままでの話と、すごく繋がってきますよね。「子供版」と「大人版」というか……

キム そうなんです。一般向けの「百年俳句賞」もそうなんですけど、俳句という作品をたくさんの人が買ってくれて、俳句をつくれば仕事になるという時代が、僕が生きているうちに巡ってくるとは思っていないんです。そのなかで、100万円くらい自腹をきって一冊出して世に問うというしくみがあるわけですけど、そもそもお金がないとその土俵にすら立てないわけですよ。

だったら数十冊から土俵に乗せりゃいいじゃない、ってことですよね。数万円でいくらでも土俵に乗せて、読みたい人がいつでも買える状態にしておく、というほうが大切なのかもしれないなという考え方ですね。高いお金を出して出版したわりには、句集はすぐに絶版になったりしますから(笑)

キムさんの後ろには「JAZZ HAIKU」などの「シングル盤」がきれいに並ぶ

――そうそう、そうなんです(笑) 俳句の自費出版文化というのは、なかなか問題含みですね。

キム それよりは書店やネットでいつでも手に入るほうがいい。これはインディーレーベルのシングル盤を真似てるわけですけれど。

――そこにもキムさんの青春時代が影を落としてるわけですね。今は作ろうと思えば、タダで電子書籍は作れてしまって、オンデマンドで小部数印刷ができる時代ですから、句集のあり方も少し変わってくるかもしれませんね。

キム 自分の想像したものをかたちにするのにはお金がかかりますが、それはそれで大事なことで、否定はしません。ぼくたちだってそういう句集も作っています。でも、根本のところでは俳句の中身を問うてるわけでね、才能があってもお金がないと本をつくれないというのは、おかしいですよね。失敗作となってもリスクが少ないからチャレンジも出来る。このやり方なら「絶版」になることはないですから。

――俳句は誰にもに門戸を開いているという人がいますけれど、閉じたままの部分も結構あるなと思いますね。お金をもっている人「だけ」とか、東京近郊「だけ」とか。それは必ずしも俳句のせいではなく、社会全体の問題なのかもしれませんが、そこを変えていこうと闘っているわけですよね、キムさんは。

キム 軟派に見える雑誌かもしれないけれど、ずっと「闘って」いるのかもしれないですね。

――今回、初めて誌面を拝見させていただいてから、すぐに志が高い雑誌だなと感激したんです。こうしてお話を伺ってみて、やっぱり共感するところ、リスペクトするところばかりでしたよ。

キム けっこう舐められてるんですよ(笑)だからね、今回お話しをもらったときに、「どうして知ってんだ?」と思ったんです。

――今日は「100年俳句計画」っていう「俳誌」のインタビューということですけど、実際は俳句甲子園とか、教育や医療にまで踏み込んだ「文化プロジェクト」じゃないですか。こういうのって、作品・作家ベースの総合誌や評論家は絶対に取り上げない。個人的な仕事でも、演劇を中心に日本文化の考えてきたこともあって、これはすごいぞ、と思ったんですよ。いろいろなヒントをいただいたような気がします。

キム 俳句を「文化」として考えるのは、とても大事なことですよ。俳句という作品がもっと流通すれば、俳句の「技」も増えていくと思うし、読者も増えていくと思う。でもいまは「何が正しいか」ばっかりでしょ。口語現代仮名遣いでつくるだけで本流になれないんだから(苦笑)

――また「権威」の問題になってくるのかもしれませんね。

キム あんまり活字にできないかもしれないけど(笑)、正直にいうと、どこかに「苛立ち」みたいなものはありますね。でもそれをどう面白く、楽しく見せるかというのが、腕の見せ所だと思っています。

――「100年俳句計画」はローカル誌なので、単に松山の「町おこし」的な事業なのかと思われるかもしれませんが、実態はまるでちがう。タイトルのとおり、ビジョンをもって、歴史的なことを踏まえて、未来の俳句文化の全体を考えているわけですよね。

キム なかなかお金の話をすると、汚れた人みたいに見えるのかもしれないけど、文化の経済的な側面というのは、とても大事なことだと思うんです。

――もっとお金の話をしよう、ということですね。ぼくからすれば、「文化は儲からないもの」と決めかかっているほうが時代遅れという感じがしますね。クリエイトしているのに、お金が減っていくというのは、僕も不健全だと思っています(笑)

キム それができないのなら、少しのお金でもっと遊べるようになったほうがいい。

――このサイトも今はほぼ完全ボランティアで俳人のみなさんにご寄稿いただいているんですが、なるべく早くお支払いできるようにしたいと思っていまして。今日はこの方向でいくべきだ、と背中を押されたような気持ちにもなりました。

キム ええ、頑張ってください。

――「100年俳句計画」を応援するには、やはり定期購読をしていただくのが最善ですか?

キム やっぱり「仲間」として加わっていただくのが一番ですね。それもあって「百年俳句賞」の選者は、購読者に絞っているんです。「仲間」のなかから面白い人がいたら、頑張って押し出そうよ、ということをずっとやってきているつもりです。

――最近は、電子版もはじめられたとのことですね。

キム 昨年から定期購読をされている方にウェブ上で電子版が読めるサービスを始めました。もともとは購読者に目の不自由の方がいて、スタッフのなかに点訳ができる人がいたんです。点訳は許可なくできるので、やってもらっていたんですけど、時間がかかるんですよね、点訳って。

――文字情報が多いうえに、月刊ですもんね。

キム そして点訳スタッフ自身が、楽しくなくなっちゃったんです(苦笑)それで模索していたところ、テキストファイルだったら、音声として聞けるという話が読者のほうからあがってきて、それならぼくらも楽だし、何より発行日にお届けができる。そうすると投句ができる。そんなことをはじめたのが、十数年前になります。

――それもまた画期的ですよね。そういう試みをされている雑誌は、他にもあるのでしょうか?

キム ないようです。

――原理的には難しいことじゃないのに、言われてみれば、不思議ですね。

キム うーん、需要はそこまで多くないですから。本当に俳句の「仲間」のためにはじめたことなんです。

――99頭の羊を置き去りにしてまで、一頭の迷い羊を探しにいくみたいなエピソードですよね。どこまで志が高いんだと、思っています。

キム ぼくとしては、こういうのは俳句雑誌だけじゃなくて、いろんな雑誌が取り組めば、目の不自由な方がリアルタイムでいろんな話題を楽しむことができるはずです。俳句雑誌がその実例を見せることができれば、波及していくんじゃないかと思って、いろんなところで話してきたんですけれど、それでもなかなか社会は変わらないですね。

――本日は壮大な「計画」の一端を解き明かしていただき、ありがとうございました。ますます多くのみなさんのもとに、キムさんの思いが届くように、いろんな方にこの記事を読んでいただきたいですね。

【次回は「藍花」、5月1日ごろ配信予定です】


【今月の編集長】キム・チャンヒ
1968年生まれ、愛媛県出身。高知大学教育学部特設美術科卒。
有限会社マルコボ.コムにて、句集の装丁などのグラフィックデザインや、各種俳句イベントの企画などを行っている。ハイクライフマガジン『100年俳句計画』編集長。NPO法人俳句甲子園実行委員会理事。まつやま俳句でまちづくりの会会長。

【講座】
・愛媛新聞カルチャースクール「手ぶらで始める俳句入門
・愛媛新聞カルチャースクール「百年俳句塾(メール句会)」(2021年4月から)

【個展・出展歴】
・個展「Stepping Out」(2001年)
・個展「白い鴉」(2004年)

【著書】
・句集「COSMOS」(マルコボ.コム)
・句集「少年期」(マルコボ.コム)


【「ハイシノミカタ」バックナンバー】
>>【#3】「街」(今井聖主宰・竹内宗一郎編集長)
>>【#2】「奎」(小池康生代表・仮屋賢一編集長)
>>【#1】「蒼海」(堀本裕樹主宰・浅見忠仁編集長)



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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