広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第41回】 赤城山と水原秋櫻子


【第41回】
赤城山と水原秋櫻子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


赤城山は群馬県の中東部にあり、二重式火山で頭部のない円錐型の山塊の総称。日本百名山であり、榛名山、妙義山と共に上毛三山でもある。広大な裾野を有する独立峰で、万葉集にも〈上つ毛野久路保の嶺ろの葛葉がた愛しけ子らにいや離り来も〉と歌われている。中央の火口丘は地蔵岳(ロープウェーで楽に登れる)、外輪山には最高峰の黒檜山(一八二八m)他、鈴ヶ岳、荒山、長七郎山等がある。

赤城山の大沼と覚満淵

大沼(おの)小沼(この)、覚満淵の湖沼を擁し、大沼湖畔の赤城信仰の中心となる赤城神社は、志賀直哉の小説「焚火」で名高い。赤城颪や国定忠治の活躍した舞台としても知られ、夏は避暑、冬は地蔵岳北面のスキー、大沼の氷下釣(公魚)でも賑わう。大沼上方の四本楢平の散策道に秋櫻子(啄木鳥句碑)、上村占魚、稲畑汀子等の句碑がある。

赤城神社

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々    水原秋櫻子

赤城山に真向の門の枯木かな     村上鬼城

夏雲と見るに赤城を凌ぐなし     篠田悌二郎

人こほしき日なり郭公鳴けばなほ   上村占魚

かぜ吹けば風から生まれ赤とんぼ   松野自得

沼二つ紅葉の峯を聳えしむ      岡田日郎

地吹雪と別に星空ありにけり     稲畑汀子

〈啄木鳥〉の句は昭和三年の作で、第一句集『葛飾』に収録。赤城山五句連作の一つで代表句とされる。〈コスモスを離れし蝶に谿深し〉〈白樺に月照りつゝも馬柵の霧〉〈月明や山彦湖をかへし来る〉〈二の湖に鷹まひ澄める紅葉かな〉が同時作であり、自註に「印象派の油彩画が好きで展覧会を見ては勉強していた効果がこの句に至って現われた」と記す。

赤城山の秋櫻子句碑

「従来の俳句的情趣から抜け出して斬新な明るい西洋画風を開き、この句以後俳句の近代化の一つの方向をもたらした。この句の感触には、いつまでも色褪せない瑞々しさがある」(山本健吉)。「キ音(5)反復による軽快なしらべと、上五(聴覚)と中七下五(視覚)の照応調和の妙が眼目。印象画風の景色を描出。啄木鳥の連打の音により静寂を深めているのも見逃せない」(鷹羽狩行)。「高原の秋は早く、短い。啄木鳥の音に誘われるかの様に、落葉が次から次へ舞い落ちる」(アサヒグラフ増刊『俳句入門』)等々の評がある。

秋櫻子は、明治25(1882)年、東京市神田猿楽町に生まれ、本名豊。独協中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学医学部医学科卒業。松根東洋城の「渋柿」を経て、大正8(1919)年から「ホトトギス」に投句開始、同10年、虚子に対面し師事、同11年、東大俳句会再興、「破魔弓」同人。同時期窪田空穂に短歌の指導を受け、万葉調の叙情的調べを学ぶ。

同13(1924)年、「ホトトギス」初巻頭を得て、山口青邨より青畝、誓子、素十と共に「四S」と称されて活躍した。昭和3(1928)年、昭和医専の教授就任とともに、「破魔弓」を「馬酔木」と改題し、後主宰となった。

赤城山全景(気象庁撮影)

同5年の近代俳句の出発となる一世を風靡する『葛飾』上梓では、虚子に序文を乞わなかった。虚子の「花鳥諷詠」と相容れず、叙情的主観写生を唱える。「自然の真と文芸上の真」を「馬酔木」に掲載し、個性と主観を重視し「ホトトギス」を離脱したが、俳壇の期待は大きく直ぐに千名を超える結社となり、反ホトトギスの有力俳人を擁した。但し、「新興俳句」の急進的な立場からは距離を置き、当初進めた「連作」も、後日一句の独立性が弱まるとして廃止した。

空襲により、神田の自宅兼病院が焼失し、十年近く八王子に寓居するも創作は旺盛。俳壇で指導的な位置も占め、昭和37(1962)年、俳人協会会長に就任する。「昭和俳句の革新」の永年の業績に対し、同39年、日本芸術院賞を受賞し、同41年には、日本芸術院会員となった。同56(1981)年、88歳で逝去。墓は染井霊園にある。

自身の最も好きな句集は『葛飾』で、句は〈瀧落ちて群青世界とどろけり〉と述べたが、石田波郷は〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉を第一に推した。

赤城山麓の桑

「馬酔木」では瀧春一、石田波郷、加藤楸邨、相生垣瓜人、山口草堂、相馬遷子、石塚友二、石川桂郎、高屋窓秋、能村登四郎、石橋辰之助、馬場移公子、藤田湘子、林翔、篠田悌二郎、鷲谷七菜子、堀口星眠、山上樹実雄、福永耕二、橋本榮治、徳田千鶴子、野中亮介等の俊英を育て、その弟子が後日、「寒雷」「鶴」「南風」「海坂」「鷹」「沖」「橡」「風土」等の結社を設立、更にそれらから派生する多くの結社を生み出し、一大山脈をなした。

地蔵岳麓の白樺

「秋櫻子ほど俗念に遠く、清澄な純粋俳句を希求し続け、創意を尊び俳句の本質を考えながら、その表現に生涯を埋めた俳人は稀である」(岡田貞峰)、「高原地帯の風光を印象画風に描き出した句の音調感が流麗なことは、俳句史上空前」(加藤楸邨)、「秋櫻子の初期の作品は、私たちの心に懐かしさを呼び起こす「光」そのものを描いている」(高柳克弘)等の評がある。

句集は『葛飾』『新樹』『岩礁』『磐梯』『重陽』『霜林』『帰心』『殉教』『餘生』等二十一句集。随筆、評論等多数。

鶯や前山いよゝ雨の中

春惜むおんすがたこそとこしなへ (百済観音)

蟇ないて唐招提寺春いづこ

梨咲くと葛飾の野はとの曇り

連翹や真間の里びと垣を結はず 

葛飾や桃の籬も水田べり

馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺

金色の仏ぞおはす蕨かな

白樺を幽かに霧のゆく音か

雲海や鷹のまひゐる嶺ひとつ

高嶺星蚕飼の村は寝しづまり

天平のをとめぞ立てる雛かな

桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな

寒鯉はしづかなるかな鰭を垂れ

雪渓をかなしと見たり夜もひかる

初日さす松はむさし野にのこる松

伊豆の海や紅梅の上に波ながれ

べたべたに田も菜の花も照りみだる

ひぐらしや熊野へしづむ山幾重

餘生なほなすことあらむ冬苺

しぐれふるみちのくに大き仏あり

麦秋の中なるが悲し聖廃墟 (長崎・浦上天主堂)

羽子板や子はまぼろしのすみだ川

神田生れの江戸気質の潔癖な性格に加え、旗本出自の祖母の影響による歌舞伎、浄瑠璃等の素養、西洋絵画への造詣等芸術的に懐の広い俳人。現在の主要結社はほぼ秋櫻子を系譜としており、裾野の広い赤城山の様な偉大な存在であると言える。

(「青垣」36号加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第40回】青山と中村草田男
【第39回】青森・五所川原と成田千空
【第38回】信濃・辰野と上田五千石
【第37回】龍安寺と高野素十
【第36回】銀座と今井杏太郎
【第35回】英彦山と杉田久女
【第34回】鎌倉と星野立子
【第33回】葛城山と阿波野青畝
【第32回】城ヶ島と松本たかし
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【第30回】暗峠と橋閒石

【第29回】横浜と大野林火
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