俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第19回】平泉と有馬朗人

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【第19回】平泉と有馬朗人

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

平泉は、岩手県南部の北上盆地の南端、北上川下流の右岸にあり、東に西行が「ききもせず束稲山のさくら花吉野の外にかかるべしとは」と詠んだ桜の名所・(たば)稲山(しねやま)、西に栗駒山がある。金の産出で栄華を極めた奥州藤原家が三代にわたり京都文化を取り入れ、中尊寺の金色堂、経蔵、高舘(義経堂)、毛越寺の浄土庭園、曲水の宴が知られる。

箱石橋からの束稲山展望 写真=平泉観光協会

光堂より一筋の雪解水       有馬朗人

五月雨の降り残してや光堂     松尾芭蕉

人も旅人われも旅人春惜しむ    山口青邨

秋蝉のこゑ澄み透り幾山河     加藤楸邨

古き代は見えず炎天の大河のみ   林 翔

高殿はそこぞと指して胡麻を干す  松本 旭

桃の花みちのくほとけ眉長し    澤木欣一

(たば)稲山(しね)は雲の須弥壇夏うぐひす   中原道夫

遣水や新樹に染むる雅楽の音(毛越寺)吉田千嘉子

〈光堂〉の句は第三句集『天為』に収録。「雪を踏みつつ中尊寺の参道を歩いていると、二三人の僧侶が鍬を持って雪を分け、溝を作っている。一人が光堂の入口に行き「いいか」と声をかけると同時に溝に沿って雪解水が勢いよく走ってきた。その瞬間のひらめきで出来た句」と自註に記す。「山野から解けだした雪解水ではなく、貴族文化の栄華の孕む時間から現世に流れ出した〈一筋〉の雪解水。縦横に大きな景を見せる佳句」(宇多喜代子)、「只の雪解水が「光堂より」という言葉を冠すると、清らかな、ほのかな光さえ放つ印象を受ける」(長谷川櫂)、「一見簡単な叙法に見えるも、光堂の屋根の遙かに残雪の奥羽山脈も連想させ、時空の広がりも表現されている」(藤田哲史)等の鑑賞がある。

芭蕉の「光堂」の句は、「奥の細道」(平泉)を代表する句で、他に義経堂での〈夏草や兵どもが夢の跡〉や〈卯の花に兼房みゆる白毛かな〉(同行・河合曾良)も知られる。 

毛越寺(浄土庭園)

有馬朗人は、昭和5(1930)年、大阪生れ。父丈二(俳号石丈)、母籌子共にホトトギスに属する俳人。父の転勤で銚子市、相模原市等に転居し、句会では虚子、池上たけし、鈴木花蓑とも会う。昭和17(1942)年に浜松市に転居、戦災に遭い、勤労動員、父の罹病と逝去等の多難の中、ホトトギス系の句会に参加、ホトトギス、若葉初入選となる。浜松一中から上京し私立武蔵高等学校に入学、極貧の中、毎日アルバイトで凌ぎつつ、現代詩、英詩評論を読みふける。

同25年、東京大学理学部物理学科に入学「東大ホトトギス会」「夏草」に入会し、大学院時代に古館曹人等と「子午線」を創刊。上田五千石、鷹羽狩行、堀井春一郎、楠本憲吉等と知り合う。俳人青田博子と結婚後、同34(1959)年、シカゴの研究所、帰国後東大の講師、助教授を経て再三渡米し、物理学者としての地位を不動のものにした。同47(1972)年第一句集『母国』を上梓、翌年「塔の会」入会、同62年、『天為』を上梓(俳人協会賞)し、東大総長在任中の平成2(1990)年「天為」を創刊主宰した。

その後文部大臣等を歴任しながら、句集上梓を重ね、『立志』(加藤郁乎賞)、『流轉』(詩歌文学館賞)、『黙示』(毎日芸術賞、俳句四季大賞、蛇笏賞)を受賞した。又、津久井紀代、対馬康子、大屋達治、福永法弘、日原傳、仙田洋子、天野小石、明隅礼子等多くの俊英を輩出し、俳壇有数の結社に育て上げた。健康管理にも心を配り、「120歳まで生きる」と宣言していたが、惜しむらくは、令和2(2020)年逝去。享年90歳。俳人協会の要職に加え、豊富な海外経験から「国際俳句交流協会」会長として俳句の国際化にも尽力、句集は他に『知命』『耳順』『不稀』『分光』『鵬翼』、評論集『現代俳句の一飛跡』がある。

「説明や形容を排除し、言葉そのもので実在性を示すまさしく詩人である」(大輪靖宏)、「漂泊を日常とし、国内外の自然、文化、歴史と向き合い、その交流交響を通じて各々の風土をその時空と共に悠揚と雄渾に映し出した。殊に海外詠は海外と言う言葉を超越するとき本物になることを教えている」(高野ムツオ)、「朗人俳句は、現場主義で本質の事実性を重視しつつ、虚と実の織りなす事実を見つめ、大局の中に瞬間を掴み取る。故に予期せぬ「新しい即興性」が生まれる」(対馬康子)等の鑑賞がある。

水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も

草餅を焼く天平の色に焼く 

新涼の母国に時計合せけり 

殷亡ぶ日の如く天霾れり

あかねさす近江の国の飾臼  

柚子風呂に聖痕のなき胸ひたす

紙漉くや天の羽衣より薄く  

晩秋のはるかな音へ象の耳 

長崎も丸山にゐて豆御飯  

なまけものぶらさがり見る去年今年

草餅の淡き緑は百済より  

金雀枝や磔いつも人の上  

初明り銀河系(あざ)地球かな 

天狼やアインシュタインの世紀果つ

直立のロボットが言ふ春ですね 

生も死もひよいと来るもの返り花   

揚雲雀ガリア戦記の山河かな  

ユダもまたまぎれなき使徒麦一粒

知床の海へカムイの放つ滝   

昭和一桁世代共通の勤勉な気質と、青年期の父の早逝や極貧の苦学経験を通じてか、生涯努力し続ける姿は抽んでていた。俳誌名「天為」の意味する、天命を受け入れつつ、諦めずに最大限の努力を尽くすという信念からであろう。 

天才の空海には畏敬のみ、終生努力の人最澄に親しみを感じていたという。これだけの多方面で活躍し、各々最高峰の実績を残す人物はもう現れないであろう。

(「たかんな」 令和三年五月号より転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


<バックナンバー一覧>
【第18回】塩竈と佐藤鬼房
【第17回】丹波市(旧氷上郡東芦田)と細見綾子
【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
【第14回】お茶の水と川崎展宏
【第13回】神戸と西東三鬼
【第12回】高千穂と種田山頭火
【第11回】三田と清崎敏郎
【第10回】水無瀬と田中裕明
【第9回】伊勢と八田木枯
【第8回】印南野と永田耕衣
【第7回】大森海岸と大牧広
【第6回】熊野古道と飯島晴子
【第5回】隅田川と富田木歩
【第4回】仙台と芝不器男
【第3回】葛飾と岡本眸
【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
【第1回】吉野と大峯あきら



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