神保町に銀漢亭があったころ

神保町に銀漢亭があったころ【第24回】近恵

ふらっと入ったらクサヤ

近恵(「炎環」「豆の木」同人)

今年も勤め先の株主総会が無事終了した。

総務部の私はようやくほっと一息という気分。こんな日は帰りに神保町へちょっと寄って、美味しいビールを一杯やって…と思ってはたと気付く。そうだ、もう銀漢亭はないのだった。

もうないのだと思うと、やおら美味しい生ビールが飲みたい飲みたい! でも、一人でふらっと入ったら誰か知っている人がいて、俳句の話やどうでもいい話なんかをして、ちょこちょこっと飲んでじゃあまた!って帰る、そんなお店がそうそうあるわけもなく。

これではちょっとした息抜きも出来ないではないか。

私は何度もあちこちで言っているが、人見知りなんである。お店に一人で入ってリラックスして一杯やれるようになるまで、実は結構時間がかかるのだ。そう、銀漢亭は職場と家の間の、そして私の人生の絶妙な位置にあったのだ。

(たぶん選句中の近恵さん)

初めて銀漢亭に連れて行ってくれたのは結社の先輩だった。2007年秋。その頃私は高円寺で根城にしている店があり、神保町にはなかなか行くことはなかったが、暫くしてUさんとIさんに連れられて再訪を果たし、伝説の湯島句会に参加するようになり、さすがに人見知りの私も銀漢亭の馴染みの客となっていく。

いつも遅めに行くものだから気付けは閉店ということもしょっちゅうで、その後二軒目に行って終電とか、終電終ってるとか、地元でもう一軒とか、そんなこともよくあった。

そんな風にしてふらっと遅い時間に寄ったある夜、店を閉めた伊那男さんが奥のカウンターに誘ってくださった。他に銀漢の方がお二人いたような気がする。

何が始まるのかと思ったら、伊那男さんはやおらクサヤを焼き始めたのである。焼いたクサヤを小さくちぎり、瓶詰にしてゆく。

大好物なのだが家で焼くと娘に怒られるとか。店のメニューにはなかったので完全に伊那男さんの趣味で、私はそのおこぼれに預かることになった訳だ。

翌朝、家の人に臭いと言われるかもしれないなと思いながらも、ついつい手が伸びてしまう美味しいクサヤでお酒も進む。

なんだかちょっと不思議な気分の一夜だった。もちろんその日はちゃんと電車で帰りましただよ。

銀漢亭はなくなってしまったけれど、そこで紡がれた縁は繋がっている。銀漢亭が縁で通うようになった気仙沼はまた来年も行くだろう。

コロナで止まっている句会もそのうち再開するだろう。宴会に呼ばれれば駆けつける所存だし、どこかの会合なんかでバッタリ会うこともあるだろう。

結社の仲間とはまた違う、私の大事な俳句の仲間を沢山くれた銀漢亭と伊那男さんには、もうこうなったら感謝しかないのである。


【執筆者プロフィール】
近恵(こん・けい)
1964年青森県八戸市生まれ。2007年俳句を始める。「炎環」「豆の木」同人、「ロマネコンティ俳句ソシエテ」会員、「尻子玉俳句会」世話人、現代俳句協会会員。2013年、第31回現代俳句新人賞。合同句集炎環叢書『きざし』。杉並区在住。日本酒とホヤと生鯖をこよなく愛する人見知り。



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