服部崇の「新しい短歌をさがして」

【連載】新しい短歌をさがして【7】服部崇

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【連載】
新しい短歌をさがして
【7】

服部崇
(「心の花」同人)


あけましておめでとうございます。毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。本年もお楽しみください。


新短歌の歴史を覗く

「新しい短歌をさがして」と題して始めた連載ではあるが、「新しい短歌」とはいったい何なのだろうか。ここは温故知新と行きたい。中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)を紐解いた。

あとがきによると、本書は、中野嘉一が、「新短歌」(宮崎信義編集)に「新短歌の歴史」として昭和28年7月から9年間連載したものを中心に、「芸術と自由」など他に執筆したものをも加え、さらに加筆増補したものである。

宮崎信義による本書の解説には中野嘉一が本書を執筆するに至った経緯が書かれている(同書、351~352頁)。

昭和二十四年に「新短歌」を創刊して自由律新短歌の再出発をはかりつつあった私の念願の中には、昭和初期以来の自由律短歌運動がどのような理念のもとに運動を展開し、どのような作品を残してきたか、その歴史をいまのうちに総合的にまとめておきたいし、現代語による自由律短歌を主張する必然性はどういう点にあるのかを先ず先輩諸家の論説中から抜萃集約して体形的な新短歌論集を編んでおきたいこと、更にもう一つはいままでの自由律短歌作品の中からすぐれた作品をひろく選び出してこれに注釈して世に紹介したいこと、などがあった。そして、これらの基盤の上に、改めて戦後の自由律新短歌運動を展開していき度いと考えた。また、同じく自由律短歌を主張してもいわゆる生活短歌派(プロレタリア短歌派)は私達いわゆる新短歌派に対して共通の広場を持とうとせずむしろ自由主義が生んだ仇花として仇敵視する傾向が強く、過去の多くの業績に対してさえ敢えてこれを無視する態度のように考えられた。そこで私は自由律短歌(新短歌)の歴史を何とかまとめてもらうように中野嘉一に度々要請をした。

そうして完成した本書は、新短歌論の集約と、自由律短歌の抽出の両面にわたって充実した一冊となっているように思える。

今回、第六章「石原純を中心とする新短歌運動」を取り上げてみたい。

石原純は「立像」(昭和9年3月創刊、昭和12年4月終刊)の創刊に際して刊行の主旨を書いている。新しい短歌への石原純の意気込みを示しているところを引きたい(『新短歌の歴史』126頁より引用)。

我々は我々が感受し得る若くは進んで作為し得るところの最も詩的なものを表現しようとして短歌を創作しようとする。これが為めには固より古典的な短歌定型から脱する必要のあるのは当然である。更に我々はこの短歌定型からの何等かの伝統的な継承に必ずしも執着しようとは考へない。より自由に、我々自身の短歌創作に忠実であらうとする。

石原純は「新短歌概論」を「立像」から「新短歌」(昭和12年6月創刊、昭和18年6月終刊)に書き継いだ。その中で、新短歌の「方法論」として、いくつかの方法を提案した。すなわち、(1)デフォルマション、(2)象徴、(3)モンタージュ、(4)超現実主義、(5)フォルマリズム、である。以下では、石原純がそれらの方法による作品例として挙げたものを再掲する『新短歌の歴史』142~145頁より再引用)。

(1)デフォルマション

もはや日数はうごかない、林のつきる空にたそがれの滝が落ちてゐた  草飼稔

ひさしい月の出は、死ぬほど草むらやせてあはれがった  児山敬

(2)象徴

牡蠣は裸となって娘と沐浴した シトロンの泡にくすぐられるときっと笑った  橋本甲矢雄

黄昏は わが掌の手に重し いと高き神の眸よ ゆく雲の背  六条篤

(3)モンタージュ

ある朝短剣が垣の蔓薔薇に刺さってゐた 私はひっそり穹窿(そら)の内側に座った  逗子八郎

自動階段。花ふたつ。ひとつリボンが結ばれて、昇り詰めると解けてしまった  中村鎮

(4)超現実主義

硝子および美しくない思考。生理的な競馬場へ、なんト静粛だ  上田穆

すとっく品ヲ軌道に載セ、鏡ニハ日暦ガ映ル。寒イト発音スル  上田穆

(5)フォルマリズム

ヘレン・ヘリウム・ヘリオトロオプ・ヘッペル・ヘッピリ・ベネジリチン・ヘンリイ・ヘロホ・ヘッヘッ  上田穆

さしすせそ
たんたん たの点を
わすれた こども
ちろんちろんと 秋がくる  簇劉一郎 

これらの方法が当時どこまで新しい短歌を引き出すことに成功したかについてはより深い検証が必要である。しかし、これらの作品からは、当時、旧来の短歌からの脱却を図ろうとした意気込みが感じられる。

石原純らによる「新短歌」は、昭和十年代初頭の時点において短歌の新しさを追求した一つの試みであった。

2023年、私たちは、どのような新しい短歌に出会えるであろうか。


【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。

Twitter:@TakashiHattori0

挑発する知の第二歌集!

「栞」より

世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀

「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子

服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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