神保町に銀漢亭があったころ【第61回】松野苑子

けれど、水は流れる

松野苑子(「街」同人会長)

銀漢亭に初めて行ったのは、オープンして間がないころだった。超結社句会の仲間の藤田美代子さんが連れて行ってくれた。お客さんが少なくて、店主の伊那男さんとカウンター越しに三人で話した。

伊那男さんは証券会社時代の話をされた。同じ団塊の世代。時代の空気は痛いほどわかる。私が駐在の夫についてアメリカの住んでいたころ、証券会社はひときわ目立ち、花だった。時の流れと時代の残酷さに、なんともいえない気持ちになったが、伊那男さんは、話ながら料理を始められた。

すごい、調理ができるんだわ……などと馬鹿なことを思っているうちに、お皿の上に料理が載り、楽しそうに泊り掛けの吟行で百句作った、多作は大切だ、などと俳句の話になったのである。

6年ほど前からは、倉田有希さんが代表の「写真とコトノハ展」に参加させていただいていた。展示場は銀漢亭。打ち上げの会も銀漢亭。俳句のお仲間に作品を見ていただけるのは嬉しかったし、打ち上げの会で出品者の皆さんと話すのは楽しかった。句会になったこともあったなぁ。

写真と俳句で作品を作るのだが、倉田さんに自分の句と自分で撮った写真を送るとパネルにしてくださった。つまり、私は俳句と写真を用意すればいいだけだった。

とはいっても、どの句をどの写真に合わせようかと考えるのは、わくわくするし面白かった。ちょっと大変だったのは、俳句は山ほどあるのだけれど、合わす写真はスマホに適当に写したものがあるだけだったことだ。最後になってしまった去年は、いい写真がなく、古いアルバムから自分の3歳のときの写真を使ってしまった。

「写真とコトノハ展」以外にも俳人協会や角川の集まりの後などに、銀漢亭に入り浸りの竹内宗一郎さんの「行こうよ行こうよ」という勢いに乗って、顔をだしていた。

伊那男さんの俳人協会賞と堀切克洋さんの俳人協会新人賞のお祝い会は、熱気に溢れて素晴らしかった。克洋さんの渡仏の壮行会は、母の葬式の次の日だった。母は私が俳句を作る切っ掛けを与えてくれ、96歳で亡くなるまで俳句を作っていた。どうしようかと思ったのだけれど、母とはもう永遠に会えない、会えるときには会っておかねばと参加した。コロナ禍の今、会えることの有難さをしみじみ思う。

神保町に銀漢亭がもう無いのは本当に寂しい。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と方丈記の文章が心を過る。けれど、「ゆく河の流れは絶えずして」ということは、水は絶えず流れる、絶えず新しくなるということではないだろうか。前へ前へと進むのだ。だから、コロナ禍もいつかは収まるし、伊那男さんや銀漢亭でお会いした人達とも、違う場所でまたお会いすることはできる。水は流れる。銀漢亭はもう無いけれど。


【執筆者プロフィール】
松野苑子(まつの・そのこ)
1947年生まれ。1974年長男誕生の年より作句。「好日」「坂」「鷹」を経て、現在「街」同人会長、俳人協会会員。第8回俳句朝日賞準賞受賞。第62回角川俳句賞受賞。句集に『誕生花』『真水(さみづ)』。


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