広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第7回】大森海岸と大牧広

【第7回】大森海岸と大牧広

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

大森は、蒲田と共に城南・大田区に属し、商業住宅地域の他、京浜工業地帯を支える町工場・中小企業が蝟集している。江戸時代は、東海道街道筋の品川宿と川崎宿の間で、海苔養殖(浅草海苔)や農業が盛んで江戸二大刑場・鈴ヶ森刑場があった。

明治10年、東大に招聘されたモース博士が横浜から新橋への汽車から発見した、大森の崖の貝殻群が大森貝塚遺跡である。大森海岸は、戦前迄は東京湾が深く入り込み、森ヶ崎等は、潮干狩、海水浴、海苔養殖が盛んであったが、次々に平和島等の埋立てが進み、羽田空港も年々拡張されている。

春の海まつすぐ行けば見える筈  大牧 広
水枕ガバリと寒い海がある    西東三鬼
家土産に海苔買ふことも森ヶ崎  池内たかし
松風や羽田の子供海苔を乾す   細谷源二
どくだみの暴れはじむる鈴ヶ森  柏原眠雨
貝塚にきて陽炎のつよく立つ   津根元 潮
去年今年なき空港の灯の羽田   鷹羽狩行
空港は灯の矢を放ち星今宵    牛田修嗣
初糶や手締めの音に乱れなし   大山高正(大田市場)

〈春の海〉の句は、広の代表句の一つ。「港」創刊号の掲載句で第三句集『午後』に収録。後年には〈虹立ちし大森海岸逝く地なり〉の句もある(句集『大森海岸』)。

「港を創刊したときの思い。『何年続くか』との陰口もあったようで、ただひたすら真っ直ぐ行けば……との想いで、三十年を過ごしてきた」と自註にはある。

「まつすぐに作者の強靭な精神、一貫した行動力を垣間見る」(島村正)、「中七以降のフレーズは松下幸之助『道』の一節―道を開くためにはまず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩くと必ず新たな道、深い喜びも生まれてくるーを彷彿させるが、港への並々ならぬ覚悟が読み取れる」(野館真佐志)、「平成元年の春、師の能村登四郎のもとを離れて港から船出したときの決意が見える。ひたすら『まつすぐ行けば』見えるものがあると俳人は思った」(酒井佐忠)等々の鑑賞がある。戦前は間近かだった大森海岸も、相次ぐ埋め立てですっかり海が遠くなったとの思いもあろう。

ちなみに三鬼の句は「昭和十年の作、海に近い大森の家、肺浸潤の熱にうなされていた。家人や友達の憂色によって、病軽からぬことを知ると死の影が寒々とした海となって迫った」と自註にある。

大牧広は、昭和6(1931)年、都内荏原区生れ。岐阜県から上京した父が、日本橋で開業したメリヤス問屋の店が関東大震災で全壊、荏原区に移転して始めた八百屋も空襲による延焼防止のため、強制転居させられた。

その品川区豊町の家も空襲で焼け出され、その跡に建てた掘立小屋で終戦を迎え、加えて十代で両親を亡くす等々の幾つもの不幸と苦労した体験が人生観に深く影響した。

信用金庫に勤務しながら、昭和40(1965)年、「馬酔木」「鶴」で俳句を始め、同45年「沖」に入り能村登四郎に師事。沖新人賞、第一句集『父寂び』上梓、沖賞受賞後、平成元(1989)年、58歳で「港」を創刊した。

意欲的に後進の指導に当たり、衣川次郎、櫂未知子、仲寒蝉、小泉瀬衣子等の俊英を育てた。殊に70歳を過ぎてからの活躍は目を見張らせるものがあり、現代俳句協会賞(平成21年)、句集『正眼』にて詩歌文学館賞、与謝蕪村賞、俳句四季特別賞(同27年)、山本健吉賞を受賞。 

更に今年句集『朝の森』で俳壇の最高の栄誉・蛇笏賞を受賞するも、授賞式の前、4月20日、88歳で逝去。

句集には他に『某日』『午後』『昭和一桁』『風の突堤』『冬の駅』、評論には『能村登四郎の世界』、エッセイ集には『いのちうれしき』等々がある。

「大牧広は、市井の路地こそが大道に通じるとの志を貫き、隅っこを生き切った俳人。平凡に徹する(すが)しい志を持ったゆえ、七十歳後半から大成した」(恩田侑布子)、「映画監督への夢を果たせず、黙々とこなす信用金庫の仕事、その歪みから生じるペーソスを句として表現し得た」(櫂未知子)、「名もなき一庶民として反戦反骨を徹頭徹尾貫き、巍巍たる一世界を創造した」(高野ムツオ)、「俳諧味溢れる作風、昭和一桁生れの市井人の哀愁が漂う」(遠藤若狭男)。等々の鑑賞がある。

遠い日の雲呼ぶための夏帽子
おのれには冬の灯妻には一家の灯
こんなにもさびしいと知る立泳ぎ
ラストシーンならこの町のこの枯木
帰るとき野に目礼す土筆摘
夏景色とはB29を仰ぎし景
海見ゆるほどに開けておく柿簾
曼殊沙華在来線のために咲く
進駐軍の尻の大きさ雁渡る
正眼の父の遺影に雪が降る
熱燗やこの世の隅といふ一隅
松過ぎてはや偏屈のもどりけり
お迎へが来るまで書くぞ雪しんしん
世の中を正しく怒れ捨て案山子
としよりを演じてゐぬか花筵
開戦日が来るぞ渋谷の若い人
この先に崖ありてこそ大花野
  

銃後の庶民(少年)としての戦争体験を、戦争を知らない世代に語り続けることこそ、その悲劇を体験した者の務めだとの強い信念のもと、ペーソスある反骨精神を貫いた。 

「港」を一代限りとしたのも、作者のゆるぎない美学でもあった。

 (「たかんな」令和元年十一月号より転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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【第6回】熊野古道と飯島晴子
【第5回】隅田川と富田木歩
【第4回】仙台と芝不器男
【第3回】葛飾と岡本眸
【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
【第1回】吉野と大峯あきら

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