広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外―4】 奥武蔵・山毛欅峠と石田波郷


【番外―4】
奥武蔵・山毛欅峠と石田波郷

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


奥武蔵は埼玉県の南西部に位置し、武蔵野台地が緩やかに高さを増して丘陵、山岳となる辺り。その地域を名栗川(入間川)と高麗川が潤し、合流して荒川に至る。山奥まで集落があり、妻坂峠、正丸峠、刈場坂峠等を越えれば秩父盆地が開ける。

檥峠(山毛欅峠 山岡喜美子氏撮影)

歴史的には七世紀に新羅に滅ぼされ、日本に亡命した高句麗の人々(高麗王若光が郡司)が、霊亀2年(716年)この地(高麗郡)に集結し、勝楽寺を菩提寺とし、創建した高麗神社がある。彼岸花で有名な巾着田の日高市、武者小路実篤の「新しき村」の毛呂山町、梅園で名高い越生町、最近では俳人石田郷子氏が居住し、創意工夫で心豊かな山村生活を発信している名栗村(現飯能市)等がある。

萬緑を顧みるべし山毛欅峠      石田波郷

うつくしき鮎の青串高麗の竹     山口青邨

七夕や檜山かぶさる名栗村      水原秋櫻子

落葉焚く倭以来の煙立て       平畑静塔

枯野きて修羅の顔なり入間川     角川源義

桑を解くひとへ瞼の高麗の裔     能村登四郎

実篤の書にいなびかりつづけざま   細見綾子

擂粉木の素の香は冬の奥武蔵     三橋敏雄

あたたかき砂あたたかき石名栗川   石田郷子

高麗川の源流の冷え句碑さらに    広渡敬雄

「萬緑」の句は、句集『風切以後』に収録。『日本百名山』の著者深田久弥や中村汀女も愛誦し、波郷自身も「私の数少ない自然を詠んだ句で一番気に入っている」と語る。

山毛欅峠(橅峠・782メートル)は秩父盆地と飯能市の境・正丸峠と関八州見晴台のほぼ中程にあり、現在は奥武蔵グリーンラインも通じ、峠の小高い杉並木に昭和50年に建立の自然石に刻まれた波郷の句碑があるが、波郷を驚嘆させた山毛欅林は杉の植林となり、往時を偲ぶすべもない。

山毛欅峠波郷句碑(山岡喜美子氏撮影)

自句自解等には、「昭和十八年五月、長男修大誕生直後、日本文学報告会職員のハイキングで奥武蔵に遊んだ。見はるかす四方の浅黄、萌黄、浅緑、深緑の怒涛のように起伏する爽大な風景に魂を奪われ、即刻にこの句を為した。三月から月俸九十円の一書記であった」とある。

「昭和十八年という時勢からか、戦時下の現実の重圧から逃れての自然を、しみじみと純粋に美しいと感じたのだろう」(星野麥丘人)、「緑溢るる山野と共に遙かな来し方を眺めて、「顧みるべし」には、人生に通じる厳粛な思いがある」(馬場移公子)、「一句の声調は、男性的で大景を見事に詠じている」(橋本末子)の評がある。

矢島渚男は昭和32年3月、22歳の大学生の時、江東区砂町の波郷宅を訪ね、以後師事したが、その日にこの句を色紙に書いてもらったと「亡師追想」で述べている。

波郷は大正2年愛媛県の松山市生まれ。松山中学時代から俳句を始め、17歳で水原秋櫻子門下の五十崎古郷に師事し、「馬酔木」に投句。昭和七年同巻頭を得て単身上京、百合山羽公、瀧春一、篠田悌二郎、高屋窓秋、石橋辰之助、相生垣瓜人等錚々たる俳人と共に二十歳で最年少同人となり、窓秋、辰之助と並んで「馬酔木三羽烏」と称された。

健康にも恵まれ、辰之助等とハイキング、スキー等を意欲的に楽しんだ。終生の師横光利一にも目をかけられ、22歳で第一句集『石田波郷句集』を上梓し、24歳で「鶴」を創刊主宰。加藤楸邨、中村草田男と共に「人間探求派」と称された。29歳の結婚を機に「馬酔木」を辞した。召集による入隊以後体調を崩したが、終戦早々の昭和21年、「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又朗々たる打坐即刻のうた也」と宣し「鶴」を復刊する。

その後肺を病み、再三の成形手術、清瀬の東京療養所入所により、「療養俳句」の一時代を確立した。万全な体調でないものの、朝日俳壇選者、現代俳句協会さらに俳人協会の設立に尽力し、昭和30年、42歳で『定本石田波郷全句集』で第六回読売文学賞を受賞、俳壇で重きをなした。

定本石田波郷全句集

昭和44年には、句集『酒中花』で芸術選奨文部大臣賞を受賞するも、同年11月21日56歳で逝去し、深大寺に葬られた。〈今生は病む生なりき鳥頭〉。戦後十二年間暮らした江東区の砂町文化センターに平成十二年、「石田波郷記念館」が開設されている。

句集は十六冊あるが、句の重複も多く『石田波郷全句集』には『鶴の眼』『風切』『病雁』『雨覆』『惜命』『春嵐』『酒中花』『酒中花以後』の八冊が収録され、玄人跣の自身の撮影写真も添えた『江東歳時記』『清瀬村』等の随筆集もある。長男修大氏著の『わが父波郷』『波郷の肖像』は、父波郷とのほど良い距離感があり、最良の語り手を得た感がする。

高麗川源流碑

作風は馬酔木調の抒情的青春性の横溢する20歳代前半、加藤楸邨等の影響を受けた「人間探究派(難解俳句)」時代、戦後直後の「焦土俳句」時代、そして40歳からの長い「療養俳句」時代と生涯に大きな変遷がある。特に後半は自身の診療生活の限られた句材を詠んだ私小説風の俳句も多い。終生、「俳句の韻文精神」、又、「豊饒なる自然と剛直なる生活表現」を唱え、「俳句は文学ではない」との俳句の本質を喝破した言葉も残している。

「句集『風切』(昭和18年)で、抒情的新興俳句と訣別し、蕉風「猿蓑」を手本に古典の格と技法とを学び生活に即した人生諷詠としての俳句に開眼した」(山本健吉)、「芭蕉の影響による重厚な古典性とは違い、むしろ新興俳句育ちの少壮俳人が、その延長線上に脱皮を図った「意欲」に焦点を当てるべき」(髙山れおな)の評がある。

多くの波郷の佳句の中から、自然詠に限って記したい。

元日の殺生石のにほひかな  (那須湯本)

鱒生れて斑雪ぞ汀なせりける (蔵王高湯)

最上川嶺もろともに霞みけり (蔵王火口・龍山)

花ちるや瑞々しきは出羽の国

槇の空秋押移りゐたりけり 

雪降れり月食の汽車山に入り (越後湯沢へ)

雨蛙鶴溜駅降り出すか   (軽井沢・草軽軽便電気鉄道)

葛咲くや嬬恋村の字いくつ

蓼科は被く雲かも冬隣   (霧ヶ峰 鷲ヶ峰)

浅間山空の左手に眠りけり

琅玕や一月沼の横たはり  (手賀沼)

泉への道後れゆく安けさよ (軽井沢)

滝の風山葵田の蝶みな白し (浄蓮の滝)

戦後の「焦土俳句」「療養俳句」以前の、若く健康的な自然詠も、波郷俳句の別の面を示す。

*山毛欅峠の句は句集『風切以後』の表記に拠った。

           (青垣18号 加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第65回】福岡と竹下しづの女
【第64回】富山と角川源義
【第63回】摂津と桂信子
【第62回】佐渡と岸田稚魚
【第61回】石鎚山と石田波郷
【第60回】貴船と波多野爽波

【第59回】宇都宮と平畑静塔
【第58回】秩父と金子兜太
【第57回】隠岐と加藤楸邨
【第56回】 白川郷と能村登四郎
【番外ー3】広島と西東三鬼
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【第55回】甲府盆地と福田甲子雄
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