広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第42回】 山中湖と深見けん二


【第42回】
山中湖と深見けん二

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


山中湖は富士山東麓に位置し、籠坂峠で静岡県と境をなす。富士五湖では最大で、海抜982メートル、冬期には東岸が凍結し、氷上の公魚釣で名高い。

夏の山中湖と富士山

湖岸からの傾斜地には別荘、ペンションが立ち並び、夏は避暑地となり、夜間には、湖畔から富士山頂を目指す登山者の延々と連なるライトが見られる。ここを含めて山梨側から見る富士の姿は、静岡側から見る「表富士」に対し、「裏富士」と呼ばれ、端整である。

また晩夏から初秋にかけ、雲や霧の影響で富士の肌を朝日が赤く染める様は「赤富士」と呼ばれるが、富安風生の〈赤富士の露滂沱たる四辺かな〉によって新季語となった。湖畔の「文学の森公園」には、毎夏過した山荘「風生庵」があり、近くに虚子山荘もあった。

晩秋の山中湖と富士山

去り難な銀河夜々濃くなると聞くに 深見けん二  

風生と死の話して涼しさよ     高浜虚子

山中湖凧のあがれる小春かな    高野素十

公魚のよるさゞなみか降る雪に   渡辺水巴

裏富士の月夜の空を黄金虫     飯田龍太

富士朱し暁ひぐらしのやみてのち  黒田杏子

赤富士のやがて人語を許しけり   鈴木貞雄               

〈去り難な〉の句は昭和二十六年山中湖畔の虚子「老柳山荘」の稽古会の帰路の作で、第一句集『父子唱和』に収録。「虚子先生は尚滞在されるが、私は帰らねばならぬ。山麓の空はこれから益々澄んでゆく」と自註にある。「帰り際『今宵は銀河が濃くなりますね』と誰もが言う。楽しかった稽古会、虚子先生や連衆との別れがいよいよ淋しく、別れ難く感じられた」(あらきみほ)、「何よりも無念なのは、師虚子に心を残して去ることで、その思いが下五の字余りに一層心の籠った句になった」(山田閏子)の鑑賞がある。

冠雪の富士と山中湖

深見けん二は、本名謙二。大正11(1922)、父の勤務地・福島県郡山近郊の高玉鉱山に生れ、19歳の旧制一高時代に母の知人の紹介で虚子の大崎句会に出席し師事。東大入学後、草樹会(東大俳句会前身)、山口青邨門(「夏草」)となり、東大ホトトギス会にも出席。

昭和22(1947)年、ホトトギス新人会(上野泰、清崎敏郎、湯浅桃邑、真下ますじ等)を結成、山中湖、鎌倉虚子庵、千葉鹿野山神野寺等の鍛錬会に参加し、関西からの波多野爽波、大峯あきらとも交流した。父と同じ日本鉱業に入社し、同31年、青邨序文の第一句集『父子唱和』を上梓。同34(1959)年虚子逝去後、多忙な仕事の為、十年近く俳句から遠ざかった。(「偉大な虚子の長逝に際し殉死した」黒田杏子)。

山中湖畔の白鳥

同52(1977)の定年後には、太極拳を始め、句集『雪の花』上梓、練衆句会「木曜会」で古舘曹人、斎藤夏風、黒田杏子、染谷秀雄、岸本尚毅等と研鑽を深め、平成3(1991)年、「花鳥来」創刊主宰。同4年、第四句集『花鳥来』で俳人協会賞を受賞した。虚子の説く「客観写生」は、花鳥を描くが、花鳥を描くのではなくやがて作者自身を描くと悟り、又宇宙の大に比較すると人間の存在は非常に小さく、その中で生かされているという虚子の死生観にも感銘し、精力的に虚子に関する講演、執筆を行った。平成18(2006)年、句集『日月』で詩歌文学館賞、同26年には、句集『菫濃く』で蛇笏賞、山本健吉賞を受賞し、百歳直前迄現役俳人を貫いた。

令和3(2021)年、9月15日白寿で逝去。句集は他に『蝶に会ふ』『もみの木』等計十二句集。俳書に『虚子の天地』『虚子『五百句』入門』『折にふれて』等がある。

最後の句集となった『もみの木』は、入居していたケアホームの名前よりつけられた。

「単なる虚子礼讃ではなく、虚子が目指したものが何かを生涯問い続け、その問いを深化させて倦まなかった。人間として、作家としての真摯さ、科学者の冷静な眼差しと詩人の魂が共存した」(岩岡中正)、「淡い表現の中に、滋味があり、読者の体内に納まるところに納まるという力がある。書かれていないその背後周辺が静かに見えて来る」(宇多喜代子)、「〈薄氷の吹かれて端の重なれる〉は現代俳句の最高傑作のひとつで、深見俳句を支えているのは、ある意味では宗教に近く、万象への畏敬の念である」(片山由美子)、「けん二の俳句の着実な歩みは、鍾乳洞で人知れず高さを増す石筍と言えよう」(本井英)、「季題と深見自身の心が渾然一体となって、写生句であると共に深見の心象風景につながっている」(田中亜美)等々の評がある。

焼跡の天の広さよ仏生会

青林檎旅情慰むべくもなく

妻の手のアイロン往き来春燈下

父の魂失せ芍薬の上に蟻 

かなかなや森は鋼のくらさ持ち 

人はみななにかにはげみ初桜(所沢・放光寺に句碑)

椿寿忌やわが青春の稽古会 

獺祭忌悪人虚子を敬ひて

雨かしら雪かしらなど桜餅

一片の落花のあとの夕桜

屑金魚などと云はれて愛さるる

老いてなほ小さき立志梅白し

藤房の中に門灯点りけり

師の小諸銀河流るる音の中

ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ

陰祭ながら支度の少しづつ

蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ

川蜻蛉水にうつりて現れし

一人来て一人の音の萱を刈る

ひとゆらしして福笹を買ひにけり

師に学び鏡に学び初稽古

人生の輝いてゐる夏帽子

福島へ思ひ一入霧の声

桜貝妻の小箱に海の音

もみの木の緑陰をこそ恃み住み

百歳は近くて遠し星祭る

虚子の謦咳を受けた最後の弟子として、自らその真髄を生涯にわたり噛みしめながら咀嚼し、青邨の言う「大きな人虚子」を真摯に研究・顕彰し世に伝えようとした。

(「たかんな」令和四年三月号転載)

深見けん二「去り難な」色紙

【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

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【第40回】青山と中村草田男
【第39回】青森・五所川原と成田千空
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