【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#6

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【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#6


このコーナーは、気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし歌人だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただく企画です。今月取り上げる名句は、星野立子の〈父がつけしわが名立子や月を仰ぐ〉。この句を歌人のみなさまはどう読み解くのか? 俳句の「読み」の新たなる地平をご堪能ください! 今月は、服部崇さん・鈴木美紀子さん・野原亜莉子さんの御三方にご回答いただきました。


【2021年9月のお題】

父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

  星野立子


【作者について】
星野立子(1903-1984)は、高浜虚子の次女。7歳から鎌倉住まい。1930年、女性初の主宰誌として『玉藻』創刊。明るく伸びやかな感性の日常詠は、現在でも多くの俳人に愛されている。代表句に〈ままごとの飯もおさいも土筆かな〉〈囀をこぼさじと抱く大樹かな〉〈美しき緑走れり夏料理〉〈雛飾りつゝふと命惜しきかな〉など。1984年3月3日死去。2012年、上廣倫理財団により立子の名を冠した星野立子賞が設立された。


【ミニ解説】

九月は、中秋の名月の月。おのずと「月」に関する句が、句会で出されることが増える月です。そう、「月」というだけで、俳句では秋の季語ということになります。中秋の名月は、旧暦8月15日。2021年は、9月21日です。

作者の星野立子は、父である高濱虚子が30歳となる年に生まれました。立子は、20代のころに虚子の勧めで俳句をはじめ、1930年2月に長女(星野椿)が誕生。そして同じ年の6月に、主宰誌『玉藻』を創刊しました。立子没後は、星野椿が、2014年からはその息子の星野高士が主宰を務めています。鎌倉には、「鎌倉虚子立子記念館」もあります。

この句から「立子」の命名が、虚子によるものだったことがわかりますが、そんな感慨をもつのは、やはり自分が「名付ける側」にまわるときではないでしょうか。自分に子供ができてこそ、改めて子供としての自分と、親の関係を考えてみる――そんなふうに解釈することもできそうです。

「月を仰ぐ」という言葉が、取り合わせられているということは、どう考えればよいでしょうか。この「月」は中秋の名月、つまり一年のうちで最も月が明るく、大きく、美しく見えるときの満月です。それは、古来から歌にも読み継がれてきたもののひとつ。たんに大きなものである「月」に父親を重ねているだけではなく、そこには果てしない詩歌の伝統に身を置く自分を、冷静に見つめているまなざしも感じられます。

ちなみに、調べてみると数少ない(星野以外の)「立子」のなかには、九条立子(1192年〜1248年)がいます。彼女は承久の乱で佐渡に流された順徳上皇の中宮なのですが、詩歌の文脈でいえば、小倉百人一首にも出てくる九条良経の娘でもあります。良経が中心的役割を果たしていた歌壇がのちのち『新古今』へと結実していったとも言われるほどの「超大物」の歌人です。

もし、これが偶然でないとすると、虚子はみずからを良経になぞらえていたということになりますが、はてさて真相はいかに。まあ、〈天の川の下に天智天皇と(臣)虚子と〉なんて句を詠んでいる虚子先生ですから、ありえない話ではなさそうです。そうなれば、立子はみずからの名前にではなく、そんな名前をつけた父親に感慨(?)を覚えているとも……

いずれにしても、父と娘のあいだに、絶対に越えられない溝のようなものがあるのは、今も昔もきっとおんなじ。立子も、べつに大きな「月」に父親を重ねていたわけではなく、むしろ月との「距離」に、父娘の途方もない距離を重ねていたのかもしれません。さて歌人のみなさんは、ご自身の名前と名月のあいだに、どんなポエジーを感じるでしょうか。



自分の名前を父から呼ばれた記憶がほとんどありません。父はわたしが4歳のときに亡くなったので。時折、思います。父はどんな声でわたしを呼んでくれていたのだろう、と。幼い頃に聞いたはずの父の声を思い出そうとしても、夕暮れを過る鳥の羽ばたきや窓硝子をつたう雨のつめたさが紗幕のように降りきて、時間の向こう側でささめく父の声を探し出すことがどうしても叶わないのです。

そのせいかもしれない。男性から名前を呼ばれたとき、わたしは父の面影をその声の波動にそっと重ね合わせてしまうみたいです。名前って不思議なギフトですね。自分のものになったはずなのに自分だけのものではない。誰かに呼ばれることで、はじめて輪郭を結び、色彩を宿し、いのちを吹き込まれる気がします。

思えば月も同じ。太陽から光を注がれることで、深い闇から救い出されるようにその姿を現すのですから。追うように追われるように入れ替わりながらひとつの空を巡る月と太陽。決してひとつの空で同時に輝くことはできません。互いにその存在を隠すことで相手への想いを伝えうるのです。縁のあるひとから贈られた名前は、いつか出逢えるはずの大切な誰かに呼ばれるための祈り。たとえば、不意に誰かに呼ばれて振り向く刹那にひとは皆、月になるのかもしれない。

たまに、はっとすることがあります。満ちるように欠けるように、自分の返事の声色に宿ってしまう光と影に……。

いつか、わたしが今生に別れを告げるとき、誰の名前を呼ぶのでしょう。たぶん、その名前は声にならない。きっと、か細くほどける息でしかない。だとしても、その息は水面に浮かぶひとひらの月を揺らす風になり、いとしい誰かの記憶の紗幕をふわりと透きとおらせる気がするのです。

(鈴木美紀子)



掲出句を一読して、星野立子の誕生日は9月かと思い、調べてみたが、実際には11月のようだった。9月の句なので名付けられたのも同月かと思ったが、虚子が立子と名付けたのは9月ではなかったようだ。気になったのは筆者の誕生日が9月だからかもしれない。筆者の誕生日は9月21日、今年(2021年)は中秋の名月にあたるらしい。

星野立子は立子という名前をどう思っていたのだろうか。筆者の名前は「たかし」。崇高に生きるように、尊ばれるように、といった親の子に対する期待がこもっているような名前で、自分ではあまり好きではない。親の期待通りには子は育たない。それでも筆者は短歌を始めるとき、本名をそのまま使うことにした。 歌人の間でも、白秋の本名は 隆吉、牧水の本名は繁、というようにペンネームが流行った時期もあったし、近年は、twitterなどの場の広がりを受けて、ペンネームを使う人が増えているように思う。それでも本名を使ったのは、名づけるのが苦手だからか。

(服部崇)



私の名前は亜莉子(ありす)という。両親がつけてくれた昭和初期みたいな古風で日本的な名前がどうしても嫌で、短歌を始めるとすぐペンネームにしてしまった。赤毛のアンはコーデリアという名前に憧れていたけれど、自分の名前や外見が恥ずかしくて嫌になってしまう時期が女の子にはある。

父が癌で亡くなった時、私と母はすごくびっくりした。うちの父だけは死ぬことはないと思っていたのだ。

父はかなりの変わり者だった。弁護士なのに争い事を嫌い、書斎にこもって原稿ばかり書いていた。ドイツのアンティークショップで甲冑を買ってきたり、どこからか鳥の剥製を貰ってきたりして家族に呆れられていた。

今は私を本名で呼ぶ人はあまり居ない。こんな娘に育ってごめんねと少し思う。せめて父の好きな宇宙人の話をちゃんと聞いてあげればよかった。

(野原亜莉子)


【ご協力いただいた歌人のみなさま】

◆鈴木美紀子(すずき・みきこ)
1963年生まれ。東京出身。短歌結社「未来」所属。同人誌「まろにゑ」、別人誌「扉のない鍵」に参加。2017年に第1歌集『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@smiki19631

◆服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)
Twitter:@TakashiHattori0

◆野原亜莉子(のばら・ありす)
心の花」所属。2015年「心の花賞」受賞。第一歌集『森の莓』(本阿弥書店)。野原アリスの名前で人形を作っている。
Twitter: @alicenobara


【来月の回答者は、鈴木晴香さん、ユキノ進さん、鈴木美紀子さんです】



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