俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第5回】隅田川と富田木歩

【第5回】隅田川と富田木歩

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

大正12(1923)年9月1日の関東大震災で夭折した俳人富田木歩は、生涯を隅田川沿い(墨東)で過ごした。

隅田川は荒川から分岐し都内を南下し東京湾に至る。浅草寺界隈は浮島堂の針供養、三社祭、鬼灯市、隅田川花火大会、羽子板市等年中賑っており外国人観光客も多い。 対岸(墨東)は、謡曲「隅田川」梅若伝説の木母寺、向島百花園、旧玉の井遊郭街、隅田公園、桜餅で名高い長命寺、木歩終焉地の枕橋、同句碑の三囲神社がある。

(枕橋)

更に下流には、関東大震災で避難した35000人が火災旋風で焼死した陸軍被服廠跡(現横網町公園)、両国国技館、旧芭蕉庵の地(新大橋たもと)には芭蕉記念館等がある。

夢に見れば死もなつかしや冬木風 富田木歩            
雪降るやくらししづかに隅田川  山西雅子
仲見世の裏行く癖も十二月    石川桂郎
出盛りて鬼灯市の夜へ移る    神蔵 器
青空の一枚天井羽子板市     鷹羽狩行
狂ひなば悲しみうすれ梅若忌   鈴木貞雄
剪定の一枝がとんできて弾む   高田正子 向島百花園
桜餅食うて抜けけり長命寺    高浜虚子
秋風やむかし木歩に平和堂    福永法弘
はぐれきて木歩の土手の冬雀   伊藤伊那男
大川のまんなか暝し翁の忌    橋本榮治
隅田川いまあげ汐の星まつり   鈴木真砂女

木歩の代表句のひとつ〈夢に見れば〉の句は、父に続き弟、妹を結核で、俳句支援者であった妹の婚約者や姪を次々に喪った大正8(1919)年21歳頃の作品。一周忌が行われた終焉地近くの三囲神社境内に句碑があり、虚無的ながら諦観したような詠いぶりである。「常に死と隣り合わせに生きた木歩の切ないまでの生涯が見えて来る」(福永法弘)、「死んだ人と夢の中で会えて懐かしかったと素直に受け止めればよいのかも知れない。死も一生という夢の中の一部なのだから」(松下育男)「あまりに死の観念に甘えていて好きでない」(山本健吉)等々の鑑賞がある。

(三囲神社の「夢に見れば」句碑)

富田木歩は、明治30(1897)年、都内本所区新小梅町(現墨田区向島)生れ。本名は一(はじめ)。誕生の翌年高熱で両足が麻痺し、生涯歩行不能となった。俳号の木歩は、歩きたい一心で自分で作った木製の足に依り、身体障害と貧困で小学校にも行けず無就学児童となった。

三人の姉妹も口減らしの為身売りに出され、弟利助も聾唖者であった。大正2(1913)年、16歳から俳句を始め、当初吟波の俳号で臼田亜浪の「(しゃく)(なげ)」、ホトトギス、原石鼎の指導を経て同五年「小梅吟社」を掲げた。

同六年、同じ「石楠」所属の資産家の慶大生新井声風と出会い、終生の俳句の同志となり、彼の同人誌「茜」で作品発表欄を得た。翌年、俳号を木歩と改め、俳壇からも「境涯の俳人」として賞賛注目されるようになったが、弟利助と、花街から病気で戻っていた妹まき子が結核で亡くなる。

その間、母や姉の援助で駄菓子屋後に貸本屋「平和堂」を営んだ。同11年、俳句のみならず、随筆評論も書ける新進気鋭俳人として全国的に知られる様になり、句風の違いから「石楠」を去り、渡辺水巴「曲水」に入った。

母が亡くなり、自身も結核となるも、有志が「木歩短冊慰安会」で特効薬代を集め、病状も回復しつつあった同12年、関東大震災に遭遇し、声風の懸命な救援も及ばず、隅田川に流れ込む源森川の枕橋で焼死した。享年26歳。 

当地には、妹まき子の結核死を詠った〈かそけくも咽喉(のど)鳴る妹よ鳳仙花〉の終焉碑がある。

富田木歩終焉地(枕橋)

後年、声風が編集した句集には、『木歩句集』『木歩文集』『富田木歩句集』『決定版富田木歩句集』等々がある。

「近代俳人では、わずかに村上鬼城と木歩のみを境涯俳人と呼びうる。二十歳代にしてこの特異な完成した境地を打ち立てた作家は、後に芝不器男が現れる迄誰も居なかった」(山本健吉)、「吟波(木歩)には人間的魅力あり、不具ながら陰気な暗さやひがみがなく、物柔らかく謙虚だった」(吉屋信子)、「〈わが肩に蜘蛛の糸張る秋の暮〉は木歩一代の絶唱。蜘蛛の囲を払い落しもせず、その動きを凝視しており、総ての運命を諦めて静かに病を養い鬼気迫る境涯を詠う」(斎藤百鬼)、「声風あっての木歩、木歩あっての声風。俳人新井声風は境涯俳人富田木歩を世に知らしめた功績のみに於いて後世に残る」(福永法弘)等々の鑑賞がある。

背負はれて名月拝す垣の外
人に秘めて木の足焚きぬ暮るる秋 
菓子買はね子のはぢらひや簾影 
己が影を踏みもどる児よ夕蜻蛉 
母がゐて和讃うたふや夜半の冬
桔梗なればまだうき露もありぬべし 
妹身売り
犬猫と同じ姿や冬座敷 
乏しさの湯槽(ゆぶね)に浸たり冬の雁
面影の囚はれ人に似て寒し
ゆく年やわれにもひとりの女弟子
墓地越しに街裏見ゆる花木槿 
行人の蛍くれゆく娼婦かな
街折れて闇にきらめく御輿かな
ひとりゐて壁に冴ゆるや昼の影
ぬかるみに木影うつらふ蚊喰鳥
なりはひの紙魚と契りてはかなさよ 
貸本屋営みて一年

木歩を人として俳人として尊敬し、精神的負い目を与えずに支援し続け、その死後も全集刊行等に終生努めた新井声風という稀代の江戸っ子気質の俳人の存在があったからこそ、われわれは今木歩の作品に触れることが出来る。

 (「たかんな」令和元年9月号より転載)

(隅田川とスカイツリー)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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