神保町に銀漢亭があったころ【第95回】若井新一

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銀漢亭と巾着なす

若井新一(「香雨」同人

「銀漢亭」という居酒屋が開かれるという話を、伊藤伊那男さんから聞いてから、既に20年近く経った。小生は越後の南魚沼市で「魚沼産コシヒカリ」を栽培する小農家。畑作も少しやっており、諸々のものを作っている。殊に「茄子」の味には予てより執着している。とりわけ「新潟黒十全」という茄子は材料としては万能で、どの茄子と比較しても味は劣らないという思いが以前よりあつた。

開店する「銀漢亭」の料理の具の一つとしてはどうかと思い、伊那男さんに提案したら即使うというご返事を頂戴した。6月末から10月中旬まで、1週間に1度1箱ずつ納品するという口約束を交わし、毎年10数回ずつ廃業される迄、10数年間宅配便にて送り出した。「十全茄子」では少し硬い感じなので、「巾着なす」という風土性豊かな俗称にて、扱っておられたようだ。そういえば我が家の茄子畑を写真にして送ったことも懐かしい。

小生は料理に対しては全く素人で、何もできない。氏は、店主の料理人としての腕前はバッチリのようで、様々なメニューにて茄子料理が出されているということを、風の便りに聞いていた。当方は施主のお申し越しのように、粒を大きめにし、鮮度のよい品を月曜日の午後に、江戸の「銀漢亭」へ到着させるよう、ヤマト便にて送り出し続けた。

かつて「銀漢亭」が営業中に、二度ほどお伺いしたことがある。こちらは自他ともに認める方向音痴。いつも大阪の朝妻力さんに連れて行って貰った。店は細長く奥行きがあつた。俳誌「銀漢」の会議室も記憶している。  

伊那男さんの師匠は「風」の同人「春耕」主宰の皆川盤水さん。私の初めての師匠は、「風」の原始同人「花守」主宰志城柏(目﨑徳衛)先生であり、遡って行きつくのは両者とも沢木欣一さん。句の作り方も即物的なところがあり、気楽にご交誼に与っている。

元禄二年、西行没後五百年を機会にみちのくへ旅立った芭蕉。紀行文『奥の細道』を綴った。越後で〈荒海や佐渡によこたふ天河〉を残した。誓子は掲句がこの一冊の中の白眉とか。表面の豪壮と、秘めた流人や島送りの悲しさが深い。また翁の望郷の念も底辺にあろう。「銀漢」は「天河」の言い換えなのだ。

その「銀漢亭」は、儚なくも都から消えた。が「銀漢」の俳句は結社が続く限り、滔々と流れて行く。今後「巾着なす」はこの大河を流れることもなく、些かの寂寥感が漂う。


【執筆者プロフィール】
若井新一(わかい・しんいち)
昭和22年新潟県生れ。昭和54年作句開始。「花守」志城柏に手解きを受ける。後に「狩」鷹羽狩行に師事。廃刊後、片山由美子主宰「香雨」に同人参加。第43回「角川俳句賞」。第3句集『冠雪』で「宗左近俳句大賞」。第4句集『雪形』で第54回「俳人協会賞」。



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