神保町に銀漢亭があったころ【第13回】谷口いづみ

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銀漢亭・夜明け前

谷口いづみ(「銀漢」同人)

2003年4月も終る頃、仕事の切れ間にすこし遅い昼食をとるため、後輩と神保町の街中を歩いていた長いことシャッターが閉まっていた店の前が騒がしい。扉が開け放され中がよく見える。「あ、新しい店だ」…二人立ち止まり、中の様子を伺った。看板の位置を直していた男性が私達に気づいて「5月から開店です、よろしくお願いします」と小さな黄色いチラシをくれた。

黒の上下に黒いギャルソンエプロンをして、お腹まわりがぴしっと引き締まっていた気がする。これが、その後少なからぬご縁となる「銀漢亭亭主」との出会いだった。

当時の仕事場へは専大前寄りのメトロ出口を使っていたので、この店の前を通ることはあまりなかった。秋口になり、ある日ひとりで残業をして夜も10時近くなった。体内時計がアルコール補給を催促する。そのときふと黄色いチラシを思い出した。たしか「立呑み」の文字があったような? 行ってみようか。これが、まさに、人生の曲がり角であったとは、その時の私は知る由もない。

銀漢亭のイメージは「黒」に天井のイルミネーション。でも初期銀漢亭のインテリアは木部がすべて白木だった。カウンターの塗装の剥げたところがその名残りだ。だから店内はカフェのように明るく、女ひとりでも気後れせずに入れる。

エイっと扉を開ければ店内はおっさんばかり。当時は近くの勤め人や商店のおやじさんなども多かった。ビールが美味しい。当時の人気メニュー「三点盛り」も美味しい。結局誰かにおごられて、いい調子で地下鉄に乗る頃には「また行こう~♪」である。

週に一度が二度となり、三度となり。一ヵ月もすればすでに常連顔。カウンターに陣取っていた中には、唐沢静男さん小滝肇さん、故人となったが白鳳社の相沢さんが。すっとスペースを空けてくれて、さりげなく振ってくれる話も面白く、愉しい時間を過しつつご馳走になった。

この頃は厨房担当がいたので、店主はほぼカウンターの中。たくさんのお話しをしたが俳句の「は」もなかった気がする。ただカウンターの棚に『銀漢』という本がころがっていたような。また時折、奥のテーブルをつなげて数名が飲むでもなく、静かにひそひそと語らっていて、はてなんのシンジケートかといぶかしむこともあった。

ともあれ、銀漢亭の黎明期は「真面目な立呑み屋」であった。銀漢亭亭主も真面目に立呑み屋をやるつもりらしかった。なにしろ私が「俳句やろうよ」と誘われたのは、半年近く後のことである。(つづく、かもしれない)


【執筆者プロフィール】
谷口いづみ(たにぐち・いづみ)
東京品川生まれ。2004年より「銀漢句会」に参加し伊藤伊那男に師事。2010年「銀漢」創立に同人として参加。俳人協会会員。2005年秋より銀漢亭スタッフ(金曜日の女)として閉店まで勤務。横浜市在住。

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