神保町に銀漢亭があったころ【第38回】柚口満

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銀漢亭、開店の頃

柚口満(「春耕」事務局長)

伊藤伊那男さんとは俳句を通じて知り合い、もう37年にもなろうか。

その伊那男さんが銀漢亭をオープンしたのは平成15年の5月、金融業界で波乱万丈の修羅場を潜ってきた氏が心機一転居酒屋を開くとは、正直びっくりしたものだった。

開店はしたものの、初めの頃の店は静かなものだった。

「春耕」の編集、発行業務をお願いしていた白凰社が店の近くにあった関係でここに寄るたびに相田昭社長を銀漢亭に呼び出してよく飲んだ。開店前の明るいうちから付き合わされた相田さんはたまったものではなかったろうに。社長は会社に戻り私は延々と10時頃まで飲んだものだ。ちなみに相田さんは伊那男さんが俳人協会新人賞を受けた第一句集『銀漢』の発行者である。

そうそう、この夕方前の時刻で思い出されるのが伊那男夫人、光代さんこと。あのきびきびした足取りで店に入ってきて「あら、マンさん今日もお早いのね」といいながら買物袋を持って厨房に消えるのだった。慣れない亭主を支える姿が今も目に残る。相田さんも光代夫人も若くして鬼籍に入られ過ぎ去りし月日の流れを思わずにはいられない。

開店の頃といえば「春耕」の神保町句会がひまわり館で開催されており、句会が終わったあとは銀漢亭で飲むのが恒例で奥のテーブルで騒いだのも懐かしい思い出、また句会でいうと湯島句会も懐かしい。

狭い店に50人ほどが集まり殆どが立ったままの状態で進行するさまは今でも語り草であり、この異様な雰囲気は店の前を通り過ぎる人達も何事かと立ち止る有様であった。

開店からの4、5年は一般客も利用していた銀漢亭であるが徐々に俳人が集う店となり後年になると殆どが俳句関係者で埋まるようになった。俳人伊藤伊那男の店が新聞や雑誌で紹介されるたびに店の人気に拍車がかかり、初見の地方の俳人も立ち寄ることも。いつしか銀漢亭は俳人の集まる居酒屋となった。

世の中は思わぬ出来事で事態が大きく変わる。新型コロナウィルスの未曽有の感染拡大で銀漢亭が閉店した。開店時とおなじく衝撃的であった。17年の年月の長さを改めて思う。

神田神保町の小路に生まれた小さな居酒屋に通い、熱気に満ちた一夜を過ごし俳句を熱く語った面々は永遠に銀漢亭を忘れない。

(「春耕」の神保町句会、銀漢亭にての一枚。正面奥から2番目が柚口満さん)

【執筆者プロフィール】
柚口満(ゆぐち・まん)
滋賀県甲賀市出身。「春耕」で皆川盤水、棚山波朗に師事。春耕同人、春耕事務局長。俳人協会幹事。


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