【新連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第1回

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【新連載】

「震災俳句を読み直す」第1回

あえて「思い出す」ようなものではない

―高野ムツオ『萬の翅』・照井翠『龍宮』・岡田利規「部屋に流れる時間の旅」

加島正浩(名古屋大学大学院博士課程)


「節目」というのは、事態の大幅な変化がみられたときに使用する言葉なのであって、単に月日が経過しただけで「節目」となるわけではない。ここ数年3月が近づくと、「震災」関連のニュースの数が増加し、11日を「節目」にガクッと減少する現象を恒例行事のように目にしている。筆者は「東日本大震災」以後の(広義の)『文学』に関心があるため、この時期の報道/記事も極力確認しようと努めるが、質は悪くない。むしろ丁寧な報道/記事に数多く触れるため、毎年この時期は胃をキリキリ痛ませている。報道する側の中身には問題はないのだ。

問題なのは、この時期に集中的に報道と記事を投下して、あるいはそれを読むことで、何かをした気になっている人間である。全く書かれないよりは、読まないよりは、ましなのか、どうか。質のよい報道/記事が多いだけに、気にかかる。

数年前、3月11日に黙祷をしている姿を収めたプリクラをSNSにアップロードすることが流行っていた、らしい。私はそれへの肯定的な意見も目にすることで知った。少なくとも、その日は震災を〈思い出して〉いるのだから、よいのではないか、と。なるほど、プリクラを取り、かつそれをSNSにあげ、そこから「いいね!」をもらっている瞬間は(すべて総計すれば、1日程度の時間がそこには費やされているだろう)かつて震災があったという事実を〈思い出して〉いるだろう。しかし、それで終わる。

自分が震災で亡くなった死者に思いを馳せているような姿を収めて、「いいね!」をもらおうとする人間の関心は〈私〉にある、亡くなった死者にはない。〈私〉の関心は1ミリもそこから動かない。

「文学」の仕事のひとつは現行の〈私〉の枠組みから動かない人々を、そこから「追放」することであろう。〈私〉が知らない「現実」へと。

では「文学」は、俳句は、どのように〈私〉(たち)を「現実」へと開き得るのか。

高野ムツオは、地震の被害を被り、自宅まで歩いて帰る必要があったこと、自宅のすぐ近くまで津波が押し寄せていたことなどから、震災の「当事者」として捉えられてきた俳人のひとりである。また〈車にも仰臥という死春の月〉などの「名句」を詠んだことから、震災詠を考える際には名前の挙がる俳人でもあり、震災句が収められた『萬の翅』(角川学芸出版、2013年11月)は話題となった。

彼の震災句の特徴は、上句に「春の月」という季語を持ってくる取り合わせのすごさと、津波により多くの車が横転した光景を「仰臥という死」という言葉で言い表す表現力であろう。その表現の力は〈地震の闇百足となりて歩むべし〉にある「百足」という比喩や〈炎天の涙痕として勿来川〉のように涙の痕として勿来川を見立てる修辞性により組み立てられている。

そして彼の修辞性は、死者の声を「聞こう」とする姿勢において、強く力を発揮しているように思える。

  春光の泥ことごとく死者の声

  犇めきて花の声なり死者の声

  逆光にうねり死者呼ぶ蘆の花

  風花は声なり声は聞こえねど

春の日の光を浴びた泥に、犇めく花々に、逆光に曲がりくねる蘆の花に、俳人は死者の声をあるいは死者を呼ぶ声を「聞こうと」している。〈風花は声なり声は聞こえねど〉と俳人自らが詠むように、その声は聞こうとしても聞こえないものなのである。

しかし俳人は「聞こうとする」。それが高野の俳人としての倫理観であると私は疑わない。〈車に「も」仰臥という死〉と、「」をつけて俳人が詠むとき、ではどういう死が車の外側にあったのか、俳人はそれを見ている(あるいは見ようとしている)。だからこそ「」という言葉が出てくるのである。

もちろん、聞くこと見ることを試みたからといって、聞くことができるわけでも、見ることができるわけでもない。〈私〉たちは試みるだけでなく、「聞く」ことや「見る」ことが、本当にできるのかというのは、重要なテーマであるが、今回はそちらには立ち入らない。いずれ連載のなかでこの問いに立ち返ることになる。

ここでは、見て、聞くことを試みる高野ムツオに対し、「見てしまい」「聞いてしまう」照井翠を対比させてみたい。彼女が震災三部作の第一部と位置づける『龍宮』(角川学芸出版、2013年7月→『文庫新装版 龍宮』コールサック社、2021年1月)からである。

  喉奥の泥は乾かずランドセル

  骨壺を押せば骨哭く花の夜

  朧夜の首が体を呼んでをり

遺体の喉「奥」に泥が乾かずに付着している様子は、〈私〉(たち)の常識では、見えない。では照井は遺体の様子から喉奥に泥が付着していることを「想像」して詠んだのか。

しかし、夜に骨壺の骨が哭き、首が体を呼んでいると断定する俳人は、死者の声をはっきり「聞いている」のであり、ならば喉奥の泥も「見えていた」のではないか。

だからこそ〈芋殻焚くゆるしてゆるしてゆるしてと〉、〈花吹雪耳を塞いでゐたりけり〉などという句も詠まれてくる。芋殻を焚きながら〈ゆるして〉と何度も乞わなければならないのは、花が散る様のなかにいて耳を塞ぐのは、それは俳人が声を「聞いてしまって」いるからではないか。

岡田利規「部屋に流れる時間の旅」(『新潮』2016年4月号)は、震災の数日後に亡くなった帆香が夫の一樹に〈おぼえてるでしょ?〉〈おぼえてないの?〉と、震災からの数日間のエピソードを問いかけ続け、最後に以下のように述べる。


  帆香 ねえ。いくら目をつむったとしても、わたしのことは見えなくならなくて、あなたには、わたしのことが見えていない振りしかできない。
  だってあなたはわたしのことを目でみているわけではないから。
  だから、そこを閉じたらわたしのことが見えなくなる、そういう場所、そういう部位がどこかにないか、いっしょうけんめい探してる。そうでしょ?
  でもそんなところは、見つからない。
  見つからないし、わたしはわたしからすすんでこの部屋を立ち去ることもしない。だってここは、わたしたちふたりの部屋だから。


なぜ死者の声が「聞こえる」のか。おそらくその答えは照井にも一樹にもないだろう。ふたりは「聞きたかった」わけではない。なぜか死者の声を「聞いてしまって」いるのである。(付け加えるならば、いとうせいこうの『想像ラジオ』で、死者であるDJアークの声を車中で「聞いてしまった」人々も「聞こう」としていたわけではない。)

だから「聞く」ことをやめることもできない。なぜ「聞こえる」のかがわからないから。

死者はこの場から出ていかない。〈私〉(たち)は死者に触れることはできない。

チェルフィッチュ主宰の岡田利規は今年、俳人の池田澄子らとともに読売文学賞を受賞した

高野は死者の声を「聞こう」とした。それは俳人の倫理観だと―そして、それは死者の声が「聞こえた」と詠まなかった点も含めて―先に述べた。

しかし〈私〉(たち)は死者に能動的に働きかけ、その声を「聞く」ことはできない。ただ一方的に〈声〉は流れ込んでくるのである。死者の前で〈私〉(たち)は、受動的であるしかない。

では「文学」は、俳句は、どのように〈私〉(たち)を「現実」へと開き得るのか。

ひとつは「文学」や俳句が、読者の感情に働きかけ、強く読者を揺さぶることであろう。

「文学」や俳句が、ときに読み手の心を動かすことに異論を抱く人はいないだろう。しかし、それで死者の「声」が「聞こえてしまう」=「現実」へと〈私〉たちは開かれうるのか。今の私にそれに対する答えはない。「想像」することや「聞こえた」ふりはできるだろう。しかし、照井が経験したように「聞こえてしまう」ことは、おそらく〈私〉(たち)には起こらない。

(西加奈子の小説『i』において、東京に留まることで震災の「当事者」になれると思った考えが「傲慢」であったと、後に振り返る主人公「アイ」の姿を私は思い起こす)

ただ照井の俳句によって、〈私〉(たち)はそのような「現実」を生きなければならない俳人がいることを知る。
そのような俳人にとって、震災はあえて「思い出す」ようなものではない。

俳人は常に「震災後」を生きているのである。

そして「震災後」を常に生きているということは、11か月、震災を忘却の底に沈めていた罪滅ぼしをするかのように1年に1度「思い出す」行為を共有できず、そこからも締め出されていることを意味する。

新自由主義に搔き立てられ、日々を生きるだけでぼろぼろになっている〈私〉(たち)が、「震災」のことを常に意識するということは、確かに難しい。そのことを責めることはできない。

ただ「震災後」を「生きなければならなくなった人々」は、望んで震災後を生きているわけではないこと、自然と原発「事故」の圧倒的な脅威の前に立ち尽くすことしかできない受動の立場に置かれ、「その後」を生きろと、強制されたのである。照井の〈三・一一神はゐないかとても小さい〉という句は、そのようななかで詠まれている。

人間は忘れていく。それも仕方がない。忘れれば「思い出せ」ばよいのである。

しかし望んでいない「震災後」=「現実」を生きなければならなくなった人々がいることを「忘れて」しまうのだとすれば(私には残念ながらそのような人が多いようにみえる)それは「忘れて」いるのではない。

「忘れたい」と願っていたのではないか。能動的に「忘れよう」と試みている。無自覚に、無意識化で。自分の苦しい日常を生き抜くために。それは「震災後」を生きなければならなかった人々が「忘れたい」と願うこととは、やはり違う。

新自由主義の徹底的な浸透は世界から幸福の再分配の機会を奪ったのかもしれない。自分(たち)が生き残るのに精一杯な状況を作り出したのかもしれない。いや、おそらくそうなのだ。

しかし、「文学」は自分の日常生活を死守しようとしている人に、「余計なお世話」をするのが仕事である。「日常」に裂け目を入れる。〈傷〉をつける。〈創〉作や〈創〉造は、〈傷〉とは切り離せない概念である。(絆〈創〉膏、銃〈創〉などを考えればよい)

だから「文学」は新自由主義の浸透度があがればあがるほど、嫌われる。

嫌われるのが「文学」の仕事である。

そうであるならば、私はこの連載にも同様の態度で向き合いたいと思う。

これまでに詠まれてきた俳句を読み返しその度に、「震災」を自分とは無縁のことと捉え、早く「忘れ去りたい」と願い、自らを「震災後」の外側へと位置づけてきた主体に、それでも語り続けたいと思う。

〈おぼえてるでしょ?〉と。


【執筆者プロフィール】
加島正浩(かしま・まさひろ)
1991年広島県出身。名古屋大学大学院博士後期課程在籍。主な研究テーマは、東日本大震災以後の「文学」研究。主な論文に「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」『JunCture』8号、2017年3月、「怒りを可能にするために―木村友祐『イサの氾濫』論」『跨境』8号、2019年6月、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか―「当事者性」とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」『原爆文学研究』19号、2020年12月。



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