神保町に銀漢亭があったころ【第122回】樫本由貴

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間に合った銀漢亭

樫本由貴(「小熊座」所属)


私はいつ銀漢亭を知ったのだったか。

思い出すために他の方の「銀漢亭があったころ」を読み直したところ、今泉礼奈さんは大学三年生の時に銀漢亭でバイトを始めたと知り、驚いた。

私は銀漢亭を「今泉さんのバイト先」として知ったので、17歳から俳句を始めておきながら20歳になるまで銀漢亭の存在を知らなかったことになる。

銀漢亭にお邪魔したのは25歳の9月だ。不精で疎かにしていた修論用の資料収集からいよいよ目を背けられなくなっていたところに、広島―東京間の交通費が支給されるバイトの紹介があった。

悪知恵は働くもので、交通費分をホテル代に回せば銀漢亭に行く予定も立てられる。

東京行きの日程が決まるとすぐ、日中働くご褒美にと黒岩徳将さんに「初めて銀漢亭に行くんですが、お会いできそうな方いませんか」とかなんとかお願いした。

あっという間に太田うさぎさん近恵さん竹内宗一郎さん阪西敦子さんにお声がけ頂いた。修論の資料収集をさぼっていた人間には過ぎたご褒美である。

当日は私の高校同期の大藤聖菜も呼んだ。「街」の幽霊会員と化しているらしい大藤は竹内さんがいらっしゃることにビビっていた。そのくせ、銀漢亭に行くのはこれが初めてではないらしかった。

この東京行きが人生で2度目だった私には、神保町すらも初めて降り立つ土地である。

輪郭すらわからない街の中で、マツキヨと銀漢亭だけが唯一の“知っている”風景だったのが印象的だ。

黒岩さんと合流して入店すると奥の座れる席に竹内さん阪西さん近さんがおられた。

竹内さんにお任せするまま、竹籠にお金を入れ、伊藤伊那男さんが出してくださる料理とお酒に舌鼓を打つ。お料理はどれもシンプルで滋味。とうもろこしのみずみずしく甘かったこと!

その日は銀漢の皆さんが近くで句会をしていたらしく、句会終わりの皆さんで賑わっていた。

奥の席をお譲りし、阪西さんと竹内さんのお二人と立ち飲み席で飲み直した。

太田さんはいつのまにか人の足りなくなったカウンターに入られ「もう従業員じゃないのに」と言いつつ、慣れた手つきで水割りを出しておられた。

その後、お料理の手を休められた伊那男さんと少しお話しできた。俳句ではなく、お孫さんのお話をしたと思う。俳人の集まる居酒屋で俳句の話をしないのがよかった。

お店を出る時、伊那男さんは銀漢を3冊もお土産にくださった。カラッとした笑顔で手を振ってくださったのを覚えている。

それから約8か月後に銀漢亭は閉店した。Twitterで閉店の報を知った時、私は一度しか行けなかったと嘆くよりも、何とか間に合ったことにほっとした。

その間に合った一回が温かな場であったことを嬉しく思うばかりである。


【執筆者プロフィール】
樫本由貴(かしもと・ゆき)
1994年生まれ。「小熊座」所属。



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