歳時記のトリセツ

【連載】歳時記のトリセツ(12)/高山れおなさん

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【リレー連載】
歳時記のトリセツ(12)/高山れおなさん


昨年2022年は『新版 角川俳句大歳時記』が15年ぶりの大改訂! そこでこのコーナーでは、現役ベテラン俳人のみなさんに、ふだん歳時記をどんなふうに使っているかを、リレー形式でおうかがいしています。2022年限定の企画の予定でしたが、好評につきもう少しだけ続けていく予定。今回は、佐藤りえさんからのリレーで、朝日俳壇選者でもいらっしゃる「豈」同人の高山れおなさんです!


【ここまでのリレー】村上鞆彦さん橋本善夫さん鈴木牛後さん中西亮太さん対中いずみさん岡田由季さん大石雄鬼さん池田澄子さん干場達矢さん小津夜景さん佐藤りえさん→高山れおなさん


──初めて買った歳時記(季寄せ)は何ですか。いつ、どこで買いましたか。

平井照敏編『新歳時記』(河出文庫)または山本健吉編『最新俳句歳時記』(文藝春秋)のどちらかだが、どっちだったかしらと思って奥付を見たらあっさり解決しました。平井本は1989~90年に刊行されて私が持っているのは初版。山本本は1971~72年の刊行で、私が持っているうち一番刷りが新しいのが新年の巻で1997年の第16刷。私は1988年くらいに俳句を始めて、最初は歳時記を持っていなかったが、1990年に平井本が出揃ったタイミングで買ったということになるでしょう。山本本を買ったのが意外に遅かったことがわかったのは今回の発見ですね。買った場所の記憶はないけど、紀伊國屋書店の新宿本店か、神保町の岩波ブックセンターあたりの可能性が高いことは高い。しかし、当時はそこら中に書店があったわけだし、文庫版の歳時記なら小さな店でも置いてあったはずだから、記憶にございませんというのがやっぱり正確でしょう。

──現在、メインで使っている歳時記は何でしょうか。

角川書店の『圖説 俳句大歳時記』(1973年)と上記の平井照敏編『新歳時記』がメインと言えばメイン。あとはやはり上記の山本健吉編『最新俳句歳時記』高浜虚子編『新歳時記』(三省堂、1934年初版、持っているのは1995年の増訂49刷)、角川ソフィア文庫の『俳句歳時記』第4版増補(2011年)なんかも覗いたりします。第5版(2018年)はある偉い人にあれは酷いよと教えられたので、どれどれと思って買ってありますが、実際わりと不愉快だからあまり見てないです。『基本季語五〇〇選』(山本健吉編、講談社学術文庫、1989年)まで読む時間はなかなか取れないですね。昔はもっといろいろ持ってましたが、5年程前に蔵書を断捨離した際に売り払ってしまいました。売って後悔しているのは、改造社版の『俳諧歳時記』。まあ、買い直せばいいんですけど。

高山れおなさんの書棚(ご本人撮影)

──歳時記はどのように使い分けていますか。

歳時記を使い分ける以前に、ネット検索をすることが多いです。語意や季節を確認するだけなら、「きごさい歳時記」を見ます。運営主体もはっきりしていて信頼感はありますが、今のところ例句が少ないのが残念。例句は、「俳句季語一覧ナビ」がとにかく大量に集めてあるのでそちらを見ます。ただ、これはこのサイトを運営している方の目に入った範囲でなんでもかんでも例句として取り込んでいる感じで、俳句としては玉石混淆というか、平凡な句も多い印象です。もっとも、俳句の99パーセントは平凡なところで終わるわけなので、逆説的な意味で、非常に参考になるとも言えますが。

──句会の現場では、どのように歳時記を使いますか?

近年は、スマホ検索でたいてい済ませております。

──どの歳時記にも載っていないけれど、ぜひこの句は収録してほしいという句があれば、教えてください。大昔の句でも最近の句でも結構です。

小山玄紀氏の〈歌声は霞うごかすこともなく〉は、一読、これは歳時記に載せたらいいと思いました。「どの歳時記にも載っていない」事実を確認した上で回答するとなると大変なことですが、先日出たばかりの句集(『ぼうぶら』 2022年11月刊)にある句なので、たいてい大丈夫でしょう。もちろん、この句を挙げたのはそれだけが理由ではなく、「霞」という勅撰和歌集以来の由緒ある季語の本意に順接していると同時に、批評的なひねりも利いているという、なかなか稀有なありようを示している句だと思うからです。

──ご自分だけの歳時記の楽しみ方やこだわりがあれば、教えていただけますか。

特にありません。

──ご自分が感じている歳時記への疑問や問題点があれば、教えてください。

個々の歳時記は一長一短なんでしょうから、自分の使いやすいものを使えばいいのではないかと思います。制度としての歳時記の問題なら、それは歳時記以前に俳句の制度の話になるので、歳時記がどうこう言っても無意味かと存じます。

現在ある歳時記への疑問とか不満とかではなくて、今後、こういう歳時記を作るといいのではということでは、「ウェブ版俳諧超絶大歳時記」。中小の歳時記と異なる大歳時記の特徴としては、季語の数が多い、個々の季語の解説が詳しい、季語の歴史(初出など)への言及がある、例句の数が多いといったことがあるわけですが、こうした性質を生かしつつ、例句を制限なしに増やしてゆくというのが超絶の超絶たる所以。「俳句季語一覧ナビ」よりはもう少し取材範囲を広げつつちゃんと選句をして、連歌時代から当代まで、編年で例句を並べ、時代時代の特徴までわかるようにする。もちろん新しい句も、調査が進展して出てきた句も追加し続ける。また、典型的だったり特徴的だったりする季語の使い方をしている句、端的に難解な句についてはひとことメモ的な注釈を添えるなどしてもいいと思います。一方、解説の方も適切にアップデートし続け、季節分類についても、前田霧人氏の研究なども生かして、柔軟に調整を図る(この件、後述)。「桜」や「月」のようなメジャー季語だと、例句が1万とか2万とか並ぶ感じ。今はちょっと時間が無いけど、いずれこういうこともやってみたいものです。

──歳時記に載っていない新しい季語は、どのような基準で容認されていますか。ご自分で積極的に作られることはありますか。

季節性のある事物や行事であれば、歳時記に載ってようが載っていまいが季語としての資格はあるでしょう。最近、Picture Thisというアプリをスマホに入れて、そこら中の花を写真に撮っては名前を確認し、片端から俳句にしています。当然、歳時記に見当たらない花もあります。それはいいんだが、歳時記に見当たらないような花は、一部の例外(次項でふれる「皇帝ダリヤ」など)は別にして、読者に具体的なイメージを喚起しないと予想されるので、季語としては使いにくいですね。音数が多いことも多いし。そういう、改めて申すまでもないことを、今さら実地に確認しているような次第です。

それから、当方の第二句集に、〈無能無害の僕らはみんな年鑑に〉という句が入っていて、半分はシャレですが、いちおう「年鑑」を冬の季語として提案したつもりです。「俳句年鑑」は今も冬に出てるし、「俳句研究年鑑」もそうだったはず。後者は無くなりましたけど、その後、「WEP俳句年鑑」というのが出ていて、これも一月刊行なので冬ですね。しかし、「文藝年鑑」は確か夏だし、他にもいろんな業界にいろんな年鑑があって、季節はそれぞれでしょうから、「年鑑」一般が冬の季語というのはいささか無理があります。ただ、「無能無害」というのはもちろん「幻住庵記」の〈(つひ)に無能無才にして此一筋につながる〉のもじりで、この「僕ら」は俳人たちであり、「年鑑」は俳句業界の年鑑を指しているのは明らかなので、この句においては年鑑=冬季という季節の提示は成立しているとも言える。季語というのは普遍性を帯びたもので、誰もが何度でも利用できるものであるのが普通のあり方でしょうけども、じつは一回限り・一句限定の季語というのもあり得るのかも知れません。口から出まかせを申しておりますが、なかなか面白いアイディアかも。

──そろそろ季語として歳時記に収録されてもよいと思っている季語があれば、理由とともに教えてください。

すでに収録している本もあるかも知れませんが、それ自体を比較的最近よく目にするようになり、かつ例句も見かけるものとしては「皇帝ダリヤ」なんかそうですね。数年前の冬の夕方、京急の金沢文庫駅から神奈川県立金沢文庫への坂道を上がっていたところ、とあるお宅の庭にやたら背の高い花が咲いているのに出くわして驚いたのが初見。新聞俳壇の選者をしていますが、毎年11~12月には皇帝ダリヤを詠んだ投句が結構あります。冬の花としてはもしかすると一番人気かも知れない。

──逆に歳時記に載ってはいるけれど、時代に合っていないと思われる季語、あるいは季節分類を再考すべきだと思われる季語があれば、教えてください。

大歳時記か文庫版などの小型の歳時記などで話が違います。大歳時記は、歴史的に季語認定されたことのある語は、例句があろうがなかろうが、現時点で盛んに使われていようがそうでなかろうが、可能な限り多く採録すべきでしょうし、小型の歳時記は実際の使用実態に即して採録する語を取捨選択して当然です。

季節分類で個人的に強烈な違和感を禁じ得ないのは「甘酒」ですね。一年中飲めるものですが、あえて季節感を言えば寒い時期にあったまるための飲物でしょ? それが歳時記では暑気払いで飲む夏の飲物だって説明されてるわけですけど、そういうものとして飲んでいる人は、江戸時代はともかく、現在でもいるんでしょうか。私はじつは実験したことがあります。真夏の酷暑の日に、ある寺の門前を通りかかったら、甘酒を売っている茶店があった。店内はもちろん冷房が利いているのですが、私はあえて屋外の日影になった席で飲んでみたわけです。口の中があっという間にねばねばになって、地獄の飲物でしたよ。店の中の席で飲めば問題はないわけだけど、それじゃ暑気払いの飲物にはならない。暑気を払ってるのはエアコンなんだから。どうなのよこれは、と思ったことですよ。私自身の作品では、第三句集に、〈姉いつまで地に(あまざけ)を流す旅〉という句がありますが、「詩経」を俳句化する連作の中の句で、いわば幻想の光景。よって実際のところ、季節もへったくれも関係ない。そういう詠み口ならさておき、現実の夏の飲物としては、私はよう句にしませんな。

季節分類の問題では、前田霧人さんが以前からいろいろ調査して、論文もたくさん書いておられますよね。たとえば、「軽暖」は初夏の季語「薄暑」の傍題とされているが、これは誤りで本当は仲春の季語であることを説明した文章などはウェブでも読めます。虚子が何らかの誤解をして初夏の季語になってしまったみたいですが、「軽暖」という言葉自体からしても夏とするのはおかしいし、古典の用例から仲春2月(新暦なら3月)の季語ということで間違いなさそうですから、こういうのは分類を変更すべきかと思います。季語はフィクションの体系で、事実とは必ずしも一致しないのだという人もあり、それも一面の真実ですが、調整可能なものは事実の方に合わせる工夫をしてはどうかと思います。「軽暖」であれば、虚子は初夏のつもりで作品を作っているわけですが、「薄暑」の項にはかつて子季語とされた「軽暖」については春の巻何ページを見よと指示を出しておき、仲春に移した「軽暖」の項でもろもろ説明した上で例句を提示すれば良いのです。紙の本でそんなかったるいことはコスパ的にもやってられないでしょうけど、「ウェブ版俳諧超絶大歳時記」ならノープロブレムです!

──季語について勉強になるオススメの本があったら、理由とともに教えていただけますでしょうか。

藤原公任撰『和漢朗詠集』。あえていえば、これが元祖歳時記であり、根本歳時記なのでは。角川ソフィア文庫に入ってます。

──最後の質問です。無人島に一冊だけ歳時記をもっていくなら、何を持っていきますか。

質問者の異様な歳時記愛に慄いております。ところでその無人島は、ネット環境は整っているのですかね。電気が来ていてネットが使えるならパソコンを持って行けばいいので、歳時記は不要かと。

──以上の質問を聞いてみたい俳人の方がもしいれば、ご紹介いただけますか。テレフォンショッキング形式で…

じゃあ、関悦史氏におつなぎします。

──それでは次回は、「翻車魚」同人の関悦史さんにお願いしたいと思います。本日は、造詣の深すぎる歳時記トークをありがとうございました。


【今回、ご協力いただいた俳人は……】
高山れおな(たかやま・れおな)さん
1968年生まれ。「豈」「翻車魚」同人、朝日俳壇選者、日本文藝家協会会員。句集に『ウルトラ』(スウェーデン賞)、『荒東雑詩』(加美俳句大賞)、『俳諧曾我』、『冬の旅、夏の夢』。評論に『切字と切れ』。近著に『尾崎紅葉の百句』。



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