ハイクノミカタ

消すまじき育つるまじき火は埋む 京極杞陽【季語=埋火(冬)】


消すまじき育つるまじき火は埋む

京極杞陽
(『但馬住』)

 火種を絶やさないために灰の中に埋める炭火のことを「埋火」という。灰に埋もれた炭火は、起こして息を吹きかければ炎を生む。炎は、炭を燃やし炭の寿命を短くする。だから、炎を生まない程度に、消えない程度に灰の中に埋めるのである。太く短い人生ではなく、細く長い人生みたいなものである。恋愛も若い頃は、燃え上がって燃え尽きるような恋を選ぶが、年齢と共に、細々と続く恋を望むようになる。

 埋火というと立原正秋の小説『埋火』を思い出す。39歳で夫に先立たれた女性の肉体の疼きや仄めく恋の火を繊細に描く。骨董品屋を営む磯子は、夫の死後、同業者の男性と付かず離れずの関係を持っている。いつしか、肉体の淋しさを埋めるだけの惰性的な関係に疑問を感じるようになる。その背景には、骨董品の目利きである雲水の存在があるのだが。

 立原正秋は、道ならぬ恋を美しく描く小説家であった。満たされた恋を描いても文学にはならないからだ。鎌倉や奈良などの古都を舞台とする恋の物語は、多くの女性読者を魅了した。女性を主人公にするあたりも巧妙である。

『去年の梅』の女主人公は、医者の妻だが、夫は、若い女に没頭して不在がちである。様々な葛藤を経て、自宅サロンに通ってくる男性と恋仲になる。物語の最後に「私達の関係は春画の中だけで終わらせましょう」と言う。家を守る女主人公は、妻の座を捨てられない。相手の男性もまた家を背負っている。女主人公の申し出は、男性にとっては、都合の良い結論である。お互いの家を壊すことなく、恋の火を密かに灯し続ける関係は、男性の理想だ。若い頃に読んだ小説である。細く長い恋を望む女性は、この世にどれだけいるのかと疑問に思った。

 俳句を詠み始めた26歳の頃、俳句結社の句会で仲良くなってくれた女性は、私よりも25歳年上だが、立原正秋の小説の愛読者であった。現在の若い女性で立原正秋を知っている人は少ない。だが、埋火のように細く長く女性の心を焦がし続ける作家である。

  消すまじき育つるまじき火は埋む   京極杞陽

 大学時代、ショットバーで働いていた。深夜12時を過ぎると上の階のスナックの女性達が客を連れて押し寄せる。そのスナックのナンバーワンであったナナさんは25歳。当時20歳の私には、美人で聡明なナナさんは憧れだった。ママの後継者と言われている一方で資産家のパトロンを得て店を持つのではないかとも噂されていた。実は、青年実業家で妻子ある40歳の男性と恋仲にあった。カウンターでの二人の会話は、いつも青年実業家がひたすらナナさんを口説き、振られていたように認識していた。

ある晩、誰かが左義長の話を始めた。その土地では「どんど焼き」と呼ばれている。どんど焼きとは、正月を終えた門松や松飾りを円錐状に積み上げて火を放つ1月15日の行事である。豪勢な炎を見た後、残り火で餅を焼く。ナナさんが言う。「私は、どんど焼きのような恋がしたいの。火を放つまで、炎になるまでの行程は長いけれど、燃え始めたらあっという間に燃え尽きるような恋。それでいいのよ。だって、いつまでも燃えられていたら、あなただって困るでしょう」。40歳の青年実業家は言った。「僕は燃え尽きるような恋は望んでいない。ずっとナナと一緒に居たい。確かに結婚はできないけれど、同志みたいな関係で、ずっとそばに居て欲しい」。「私は、長く続く恋なんていらない。ただ現在の私の淋しさを分かって欲しい」。聡明なナナさんが、刹那的な恋の情熱に身を燃やしているのが悲しかった。

 燃え上がってはいけない恋、でも消したくない恋があることを頭では理解できるのだ。少女漫画の王道『ベルサイユのばら』(原作:池田理代子)では、スエーデン貴族フェルゼンはフランス王妃マリーアントワネットと恋仲となる。不倫の噂により恋人が傷つくことを恐れアメリカの独立戦争の派兵へ志願する。戦後、フランスに戻ってきたフェルゼンはフランス王家の危機を知りマリーアントワネットの側にいることを決意する。アニメ版では「もう燃え上がらない。燃えてはいけない。これからは、セーヌの川の流れのごとく貴女の側に居ります」という台詞を吐く。史実はともかくとして、物語上では、身を滅ぼすような恋の炎は燃やさないけれども恋の火は消しませんという内容を述べ永遠の忠誠を誓う。

 とある女性は、45歳の時に10歳年上の男性と恋をした。お互いに守るべきものを持っている恋である。家族や友人にも言えないことを相談できる相手であるという。その関係は、10年以上も続いている。一緒の墓には入れないことを承知の上での恋。どちらかが炎上すれば終わる恋。密かなる恋の永続を守るために、人知れず恋の火種を真白い灰に埋め、灯し続けることもあるのだ。 

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔80〕兎の目よりもムンクの嫉妬の目   森田智子
>>〔79〕馴染むとは好きになること味噌雑煮 西村和子
>>〔78〕息触れて初夢ふたつ響きあふ    正木ゆう子
>>〔77〕寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ   小路智壽子
>>〔76〕服脱ぎてサンタクロースになるところ 堀切克洋
>>〔75〕山茶花のくれなゐひとに訪はれずに 橋本多佳子
>>〔74〕恋の句の一つとてなき葛湯かな 岩田由美
>>〔73〕待ち人の来ず赤い羽根吹かれをり 涼野海音
>>〔72〕男色や鏡の中は鱶の海       男波弘志
>>〔71〕愛かなしつめたき目玉舐めたれば   榮猿丸
>>〔70〕「ぺットでいいの」林檎が好きで泣き虫で 楠本憲吉
>>〔69〕しんじつを籠めてくれなゐ真弓の実 後藤比奈夫
>>〔68〕背のファスナ一気に割るやちちろ鳴く 村山砂田男
>>〔67〕木犀や同棲二年目の畳       髙柳克弘
>>〔66〕手に負へぬ萩の乱れとなりしかな   安住敦
>>〔65〕九十の恋かや白き曼珠沙華    文挾夫佐恵
>>〔64〕もう逢わぬ距りは花野にも似て    澁谷道
>>〔63〕目のなかに芒原あり森賀まり    田中裕明
>>〔62〕葛の花むかしの恋は山河越え    鷹羽狩行
>>〔61〕呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  長谷川かな女
>>〔60〕あかくあかくカンナが微熱誘ひけり 高柳重信
>>〔59〕滴りてふたりとは始まりの数    辻美奈子
>>〔58〕みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな   筑紫磐井
>>〔57〕告げざる愛地にこぼしつつ泉汲む 恩田侑布子
>>〔56〕愛されずして沖遠く泳ぐなり    藤田湘子
>>〔55〕青大将この日男と女かな      鳴戸奈菜
>>〔54〕むかし吾を縛りし男の子凌霄花   中村苑子
>>〔53〕羅や人悲します恋をして     鈴木真砂女
>>〔52〕ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
>>〔51〕夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子
>>〔50〕跳ぶ時の内股しろき蟇      能村登四郎
>>〔49〕天使魚の愛うらおもてそして裏   中原道夫
>>〔48〕Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希
>>〔47〕扇子低く使ひぬ夫に女秘書     藤田直子
>>〔46〕中年の恋のだんだら日覆かな    星野石雀
>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
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>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


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